津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■難行苦行

2024-11-27 19:42:29 | 徒然

 今日は午後、胃カメラ・大腸の内視鏡検査のために病院行。
胃カメラの経験はあるが、大腸の方は初体験である。朝8時からの4時間での、2リットルの「ニフレックス」なる下剤の服用には参ってしまった。
それでも何とか1時間半で飲み干したが、わずかに味が付いた「ポカリスエット」みたいなものだ。
そでに体験された方は、私と同じ経験をされているわけだが、下剤の服用やその後の生理現象は本当に難行苦行である。
病院では胃カメラのために喉に麻酔をし、腕に睡眠薬を点滴したが、気が付いたときにはすでに終了して、睡眠が解除するのを待って終了、都合3時間ほど、ほぼほぼ睡眠の中の事であった。
胃には異状なく、腸には2センチほどのポリープが見つかったが、これは経過観察という事に成り、ひとまず安心できる結果を得て大安心である。
体重の減少の原因は何だろうという事に成ったが、妻の入院や、夏の暑さ、これらに伴う食事の不摂生など複合しているのだろう。
腹が減って帰り道はいささかふらふらしながらの帰宅となったが、夕食が旨かったのは勿論のことである。
祝杯を上げたいところだが、御酒の方は今晩はお休みにしておこう・・・

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■閑話休題「さむがり内蔵助」

2024-11-27 06:53:10 | 堀内傳右衛門覺書

 赤穂義士に関する三田村鳶魚の著に、「元禄快挙別録』「赤穂義士遺聞」「横から見た赤穂義士」等があるが、私は未読である。
この中で鳶魚は「大石内蔵助の切腹は見苦しいものであった」「ぶるぶる震えていた」等としているらしいが、私自身がこれらの本を読んでいないから表現が適当でないかもしれない。いろんなブログが、面白おかしくこれを引用している。
中には「大石が寒がりだったからだ」という好意的なものもある。
これは、まさしく「堀内傳右衛門覺書」をお読みになっていることを表している。
内蔵助は大変寒がりであったことを傳右衛門は特に記事にしている。「堀内傳右衛門覺書‐12」ー(49)
細川家に於ける「切腹之図」を拝見すると、内蔵助はもろ肌を表して切腹に臨んでいる。
旧暦元禄十六年二月四日はグレゴリオ暦では3月20日だが、まだ温かいとまでは行っていない時期だったろう。
切腹に臨むにあたって、綿入れの下着など着込むわけにもいかぬ。寒さを我慢しながらも耐えられず身震いしていたのだろう。
鳶魚氏の発言も、このあたりが切り捨てられてしまったのかもしれないが、「内蔵助の切腹が見苦しいものだった」とする伝聞が独り歩きしているのは、誠に気の毒ではある。
内蔵助の名誉のためにも「さむがり内蔵助」を取り上げた堀内傳右衛門に感謝である。

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