今日夕方になって、携帯が行方不明になっていることに気づいた。
妻の携帯から電話をしてみるが、呼び出し音がならない。
昨晩は熊本史談会の忘年会で13名の出席者で大賑わいした後、4人ほどでコーヒ店に入り又ひとしきり話し込んだ。
そのコーヒー店から電話が入り、私の携帯の呼び出し音がなったのだろう、発信した妻の携帯にご連絡をいただいた。
明日は10半頃には開店されるそうなので、受取に出かけなければならない。
そろそろ買い替えようかとも思っていた矢先だが、一応手元に帰ってくれるから本当に良かった。もう感謝しかない。
切腹が近づいた前々日・前日の事である。
(88)
一二月二日、番代り參、早速罷出候へは、内蔵之助被申候は、先頃は内記樣(綱利二男・吉利)御出被遊、何れも御覧被成、難有仕合に候
と、手を付候て被申候、扨は左樣に御座候や、とく罷出被申度被存候へ共、付居候者共兎角と仕、致延引候、如御覧若年に御座候へと
も、大ちゃくなる生つきにて、當正月初て年始之御禮に被致登城候節、足袋の紐とけ申候に付、兼て心安出入仕候御城坊主に結はせ被申
候、其節供に參候奥村安左衛門と申者承り、輕き者とても御城坊主の儀に御座候へは、重ては些遠慮被仕候樣にと申候へは、いや/\輕
き者共に申付候へは、結句悅申候と被申候由、何も承候て笑申候と咄候へは、扨々乍憚御大家樣へ御生つき被遊候とて、皆々感入奉り候
と被申候、内蔵之助挨拶に、内記樣被遊御覧候とは、尤成被申樣、次の間の衆も同前にて、詞のあやまても、吟味被仕候と感申事に候、
右之御足袋の紐御結はせ被成候事、後に上御屋敷にて、野田小三郎被申候へは、初て聞被申候、萬事御附の衆中善悪共外樣には、咄申さ
ぬ事可有之候へとも、箇條之儀は、何れもへ承せ、奉悅せ度候事
(89)
一二月二日夜五つ半過之頃、上之間へ罷出候へは、内蔵之助・惣右衛門・十郎左衛門三人、中かさにて酒飲居被申候、忠左衛門・久太夫・
十内・彌兵衛は下戸にて甘、それを猪口にて飲居被申候へは、傳右衛門殿是へと呼被申候に付、能い所へ參候と申候へは、十郎左衛門其
盃を、内蔵之助、傳右衛門殿へさゝれ候へと被申候故、十郎左衛門さし被申、拙者も給申候へは、内蔵之助是へ被下候へと被申候故、是
は慮外と申候へは、是非と被申、盃さし、其れを拙者へ返し被申、又給申候時、内蔵之助被申候は、十郎左衛門へ、一つ御のませ候へと
被申候に付、直に指候へは、一盃飲被申、又一つと申候へは、先刻より殊外給申候間、御ゆるし候と座を立被申候、内蔵之助被申候は、
十郎左衛門は總體能給申候間、御とらへ御飲せ被成候へと被申候故、椽際へ追懸引留、是非と申候へは、誓言にて候、給醉申候間、御免
しと有之候故、其通りにてしひ不申候、後に考候へは、右之樣子暇乞の心にても可有之候、世上の批判も能く、とかく御赦免可被成候な
とゝ申候故、曾て切腹の心付は無く其内にも内蔵之助、又は惣頭分は、遠島にても可被仰付候やなとゝ申たる事に候、正月中には御祝
多、いつれも江戸巧者故、二月朔日過候へは、被仰付樣の趣尋被申候、只今存當候事のみ多く、一入殘念に存候事
(90)切腹前日
一二月三日夜四過(9時)頃、吉弘嘉左衛門、拙者當番にて詰居申候處に、長瀬助之進出被申、只今上御屋敷より、如此手紙參候、明朝は花
を兩座へ御出被成筈申來候、明朝茶道可仕候、我等兩人能挨拶いたし、花を出し候へと被申候故、御懇之儀共忝り可被申と申候處に、次
之間の衆より、坊主を以何れも臥り不申候、御聲と承候、是へ御出被下候へと被申候故、助之進は我等え出候へと被申候に付、其儘出申
候處に、大かたは寝所へ居被申、助右衛門・清左衛門なと、若き衆中色々咄共にて、頓て埒明可申候、御暇乞に、藝の盡しの程、懸御目
可申とて、御番衆の見申さぬやうに、枕屏風の陰にて、堺町木挽町踊狂言の眞似を被仕、そろ/\さわき被申候、脇に奥田孫大夫・潮田
又之丞、御ゆるし被成候へとて臥被居候、又之丞被申候は、とかくあの樣に騒き申候間、頓て埒は明可申候へとも、先命日は内蔵之助に
申候て、手錠をおろさせ可申と笑ひ被申候、拙者存候は、助之進も跡より見可被申哉と存候て、最早夜も更申候、孫大夫殿も、御迷惑に
て可有御座候、最早御休日成候へと申候へは、是非共に今暫と被申候へとも罷立申候、今存候へは誠に暇乞い成り別て殘念に存候事