津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

三齋公墓所

2007-08-21 13:27:47 | 歴史
 大徳寺高桐院の三齋公の墓所は、利休遺愛の石燈篭である。秀吉の所望を逃れるためわざと蕨手が欠かれた。この石燈篭と、加藤清正から贈られた「袈裟形おり蹲」という蹲を、三齋は参勤の折には熊本から持ち運んだと言う。「鷺絵源三郎久重覚書」にも、この石燈篭が八代にあることを書き記している。さて三齋は正保ニ年十二月二日八代に於いて亡くなった。翌年一月廿四日遺骨が高桐院に分骨された。三齋の遺言であった。「松江(八代)城秘録」に次のような記録がある。
三齋様被仰候ハ御逝去被成候ハ御骨ハ大徳寺ニて高桐院へ指上御秘蔵之石燈爐御座候間それを御こツの上に被置候様ニと日比高桐院へ御約定ニ而御座候・・とある。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 只々空しい | トップ | 菊地木庭城と木庭一族 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
高桐院墓参 (駿河駿河守一族の末裔)
2007-08-21 14:21:57
お暑い毎日ですが、御身大切に願います。八月十二日に長男夫婦と孫娘をつれて高桐院に墓参してまいりました。高桐院の参道の緑が美しく心洗われて帰ってまいりました。利休様遺贈の「石燈籠」、清正公から贈られた「蹲」を長男一家にも説明かたがた見せてまいりました。参勤交代の度毎に熊本・江戸へと運んだとの事。運んだ人々の大変な苦労に皆で天を仰いだものでした。お寺の説明では「石燈籠」の下には「御歯」が安置されているとの事でした。実際はどうなのでしょうか、、、。
返信する
坂本守氏について (高山れおな)
2007-08-21 17:10:28
新潮社の芸術新潮という月刊誌の者で、高山と申します。つかぬお尋ねをいたしますが、写真家の坂本守氏は津々堂様のご関係の方ではありませんか? 氏が以前に撮影されました細川護貞氏所蔵の陶磁器の写真を小誌10月号で掲載させていただければと考えているのですが、もしご存知でしたらご連絡先などご教示いただけないものかと思いまして、お問い合わせする次第です。坂本写真館(坂本写真研究所?)の坂本守氏撮影とのみ判明しているのですが、それ以上の情報がなく困っております。当方のアドレスは、takayama@shinchosha.co.jp
となります。なにとぞよろしくお願いいたします。
返信する

コメントを投稿