津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■決戦は日曜日

2014-11-16 08:59:59 | 熊本

 今日は注目の沖縄知事選、その結果次第では国政への影響もさけられない。降ってわいたような衆議院の解散話が首相不在の中で首をもたげ、本物に成りつつある。12月14日投票予定で動き出しているようだが、先にいろいろ予定が入っている我々にとっては迷惑な話ではある。
「期日前投票をお願いします」等と言う笑い話まで出てくる有様である。

一方熊本では今日は熊本市長選挙、政令指定都市制定後初めての選挙である。三つ巴の結果がどうなるのか興味深い。
■元県議の0氏は、現職市長に対し自民党を離れて立候補して勝利した現市長を応援した人物、自らも自民党を離れて活動をしてきた人物。
今回は自ら候補を立てることが出来ない自民党が、勝ち馬に乗りたいとO氏の推薦をきめた。これが吉と出るか凶とでるか・・・・・
■会社社長のI氏は、立候補会見の席で隣に細川佳代子夫人が座って居られてこれが衆目を集めた。護煕様の強力な後援者で在ったのだろう。
熊本城下の色々なイベントの仕掛け人として有名な人物で、これ等に参加する若い人たちが走り回っていると聞く。
■市会議員のS氏は職を辞しての立候補、市議歴が長く満を持してのチャレンジである。広く市民の声を聞く有能な人物であると聞く。 

そろそろ選挙に出かけようかというところ・・・・ 

 

追記(11/17 7:14
投票締め切りから数分後NHKは早々に大西一史氏の当確をテロップした。
確定得票数は次の通り
                               当129,994大西 一史 46無新
                                  76,508石原 靖也 60無新
                                               25,769下川  寛 54無新

 

 

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■11月18日発売 「決戦関ヶ原」

2014-11-16 08:56:59 | 先祖附
     決戦!関ヶ原
 
      講談社

著:葉室麟著:冲方丁著:伊東潤著:上田秀人著:天野純希著:矢野隆著:吉川永青 

  • 発売日: 2014年11月18日
  • 定価 : 本体1,600円(税別)

慶長五年九月十五日(一六〇〇年十月二十一日)。
天下分け目の大戦――関ヶ原の戦いが勃発。

――なぜ、勝てたのか――
東軍
伊東潤(徳川家康)
天野純希(織田有楽齋)
吉川永青(可児才蔵)

――負ける戦だったのか――
西軍
葉室麟(石田三成)
上田秀人(宇喜多秀家)
矢野隆(島津義久)

――そして、両軍の運命を握る男――
冲方丁(小早川秀秋)

当代の人気作家7人が参陣。
日本史上最大の決戦を、男たちが熱く描いた「競作長編」。

「人を致して」 伊東潤
「笹を噛ませよ」 吉川永青
「有楽斎の城」 天野純希
「無為秀家」 上田秀人
「丸に十文字」 矢野隆
「真紅の米」 冲方丁
「孤狼なり」 葉室麟

 

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■史談会11月例会

2014-11-15 18:46:31 | 熊本史談会

 今日は史談会の11月例会、時習館教授・高本紫溟先生のご子孫高本保夫会員に、御先祖である高本李彌太先生の五言律詩の解説をいただいた。
まずは絶句・律詩の基本的法則に付いてお話しいただいたが、半世紀以上前の国語の時間に偶数行の最末尾に押韻するいわゆる「韻をふむ」事くらいしか覚えておらず、何とも難しいことではあったが久しぶりによい勉強ができた。李彌太先生の詩・三編と李白の詩一編、白居易の古詩「長恨歌」並びに「売炭翁」の解説をいただく。御年92歳ユーモアを交えての1時間20分程の長時間、元気に解説いただいた。自作の七言絶句四編は時間の都合で次回に再度解説をしていただくこととした。

その後、K家文書を当方からご説明をし、来年のスケジュールにのせる宇土藩主の参勤交代に随従した藩士の道中日記を御紹介して本題終了。
100数日をかけて世界一周の船旅から帰られたK会員(82歳)の旅行談などを伺い、笑い声に包まれた例会であった。

近くのホテルで昼食後T・DrとN君と三人、慈眼庵の刑部家墓所・浅井・牧・堀部家などのお墓を廻り、その後小笠原少齋家の墓所を訪ね、堀内傳右衛門のご子孫の御宅を訪ねる。某珈琲店で休憩して解散したのはそろそろ五時といった頃、今回も楽しい例会となった。

来月は例会は御休み、忘年会を開催して今年の〆と相成る。いろいろ課題を残しているが偏に事務局の至らぬところである。深謝そして感謝。 

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■K家文書から・3 「加納曲齋」のこと

2014-11-15 07:05:20 | 歴史

 K家文書においてはこの書状の最期の宛名となっているのが加納曲齋である。忠興の決済を必要とする書状であるから、忠興の側近であることが判る。
曲齋から忠興へと上げられ忠興のローマ字印をもって決済されている。

加納曲齋は田邊城籠城衆の一人である。綿考輯録は次のように紹介している。

 ■加納曲斉 
相国寺首座(シュソ)なりしか、還俗して丹後の町人になり居候、総て律義もの成故、今度(田邊城籠城)も致籠城首尾よかりしとて、豊前にて千五百石被下、町奉行被仰付、飯岡豊前(後・誅伐)と相役也 (綿孝輯録・巻五)

相国寺は五山第二位の京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺である。山外塔頭に金閣寺・銀閣寺を有する。
曲齋はその首座にあった人だが、還俗して丹後に住していた折幽齋の居城・田邊城が三成の手により攻められた折城に入り籠城に一味した。
その故を以て細川家家臣として迎えられた。二代目以降は松山姓を名乗り明治に至った。 

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■熊本県立図書館蔵資料「雑撰録」--8(巻44~51)

2014-11-14 06:55:53 | 史料

     「雑撰録 巻44」

1 利光鶴ヶ城合戦覚
2 秀吉公御紙面
3 主人を思ふ信情
4 盗賊利口
5 武運稽古
6 鳩丸太刀由来
7 玄猪餅由来
8 信長公謀略
9 小早川隆景遺訓 (常山記談)
10 宗氏系図并伝
11 孟母
12 楠公紙面
13 潮満就之事
14 木村重成誠忠
15 立花十時譲功
16 酒食誡
17 助成寺能間
18 里見家給金制
19 島田幽也
20 弥宜山伏出家於船中三論
21 大友騒動之事 (九州記)
22 秋田某依君命討科人事 (武将感状記)
23 東京人数
24 蒲生四郎兵衛忠義
25 三渕大和守諌言
26 阿閉掃部
27 天野屋利兵衛
28 渡部競
29 弥平兵衛宗清
30 伊藤九郎祐清
31 静か事
32 入江平内
33 三介の事武林の八介
34 秋田城説
35 征西親王系図并伝
36 白藤貞村軍忠之事
37 五人組畳上帳
38 町反畝
39 知行百貫弁
40 花房忠言并殉死止む
41 新田義貞申状
42 唐玄宗
43 東大寺大仏
44 宮令旨
45 大條監物
46 前田利家卿臨終
47 四国狐不住由来
48 里見家士を賞る
49 信長公御法事并織田信濃守代香
50 八丈島
51 甲斐宗運紙面
52 菊池家士八十四人名前
53 奇異物語
54 上総ノ五郎兵衛忠光
55 大石相戦 (伽婢子)
56 蟷螂の蝉をとる (堪忍記)

     「雑撰録 巻45」

1 渡辺勘兵衛覚書
2 南条家系
3 大阪夏陣先手勤覚書 巻之1
4 大阪夏陣先手勤覚書 巻之2
5 肥後物語 巻之上
6 肥後物語 巻之下

     「雑撰録 巻46」

1 妙海語
2 妙海尼米の字守り色紙の書付写
3 泉岳寺宝物
4 使僧之名
5 大石内蔵助自画像の由来
6 武林唯七妻女之事
7 堀部家略系
8 南京八景歌
9 大日本帝国五畿八道八十六州総人員社寺数
10 太閤へ支那より遣候書付
11 吉良一件多門伝八郎筆記
12 檄文 明治9年加屋大田黒初熊本城内へ押入シ時分クワイチュウイタシ居処也
13 黒田長政家臣忠義
14 二天一流五輪之書 地の巻水の巻火の巻風の巻空の巻

     「雑撰録 巻47」・・欠

     「雑撰録 巻48」

1 五月雨草
2 治国要
3 覚 文化9年諦観院様初て御入国の節中山市之進より指上居候書付
4 薩州桜嶋鳴動
5 野芹
6 大塩列御仕置 (松平和泉守殿御差図申渡)
7 関原御一戦之覚
8 鸚鵡言目録 (天職之事徳を慎む事学問之事下之情之事君臣之事賢才之事政之
9 岩殿観音縁起

     「雑撰録 巻49」

1 佐藤先生学話
2 冨士日記
3 太上感應篇
4 平州紀先生答問書
5 西本願寺惑乱并大師号願御直命
6 立花宗茂戦功書序
7 潜溪先生迷事
8 上杉家家臣格式大略

     「雑撰録 巻50」・・欠

     「雑撰録 巻51」

1 御家中御式法
2 江戸詰格式
3 御軍備之事
4 長岡帯刀先祖書
5 有吉主膳由緒書
6 御家臣先祖大略
7 御知行取名前高附
8 年頭御礼之次第
9 鷺絵源三郎覚書
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■松寿庵先生 第121講

2014-11-14 06:49:24 | 史料

                                                        金峰山 

        

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■大名の相貌―時代性とイメージ

2014-11-13 08:36:09 | 先祖附
 大名の相貌―時代性とイメージ化 (シリーズ士の系譜1)
                高野信治
           清文堂出版

代社会のメディアに至るまで再生産され続けてきたイメージ化も射程にいれながら、政治・経済・思想・民俗などの諸観点から多面的に考察する。大名に関する総合史としての「藩」研究の一つの試みでもある。


■本書の構成

  まえがき

序章 研究と展示の交錯
  1 大名と藩   2 研究の動向   3 大名展の性格   4 問題の設定

一章 近世国家と大名
  1 大名の成り立ち   2 「公儀」と大名   3 大名の多様性と統合性

二章 大名と家臣

  1 家臣の包摂   2 家臣と知行   3 軍制と役職の組織

三章 大名の治政
  1 文武と仁政   2 民政の展開   3 「家」と「国家」

四章 大名のイメージ化
 1 記録類の編纂   2 大名像の形成   3 御家物としての鍋島猫騒動

おわりに  参考文献  あとがき
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■熊本県立図書館蔵資料「雑撰録」--7(巻35~43)

2014-11-13 07:01:48 | 史料

     「雑撰録 巻36」・・不明

     「雑撰録 巻37」

1 明徳記
2 応永記
3 嘉吉記
4 長禄寛正記附乃保利ノ始リノ訳
5 於糺河原勧進能の図 寛正5年

     「雑撰録 巻38」

1 応仁記
2 相州兵乱記 (一名関東兵乱記)

     「雑撰録 巻39」

1 荒山合戦記
2 家康公名言ノ事
3 末森記
4 小松軍記
5 蘆名家記
6 蒲生氏郷記
7 羽尾記
8 十河物語
9 後藤家彫物由来并系図

     「雑撰録 巻40」

1 三斎公御諚
2 三斎院様へ妙解院被仰上候御書 (御書節要)
3 忠利公雨中之御作意 (藩譜便覧附録)
4 幽斎公御葬礼記 (藩譜便覧附録)
5 丹後国成合寺鐘の事 (藩譜便覧附録)
6 沢村大学より清巌和尚への書付 (藩譜便覧附録)
7 境野喜十郎窺書
8 江良元昌馬之弁
9 佐藤拾蔵上書
10 高波記
11 新井白蛾諭
12 建武式目
13 信長公瀧川へ賜法度書 (信長記)
14 石田三成紙面
15 秀吉公夜話
16 関ヶ原之儀大躰 (神辺久五郎覚書)
17 秀吉公摂津国有間御入湯の時下知状 (摂津名所図会)
18 甲斐宗運紙面

     「雑撰録 巻41」

1 隈本城
2 徳太寺殿諌言 (後光明帝御行状)
3 平資盛石棺 (紫溟新報 明治16年4月15日)
4 大坂城中軍評定 (和説苑)
5 阿蘇蛍丸 (古城考)
6 諸宗門次第
7 官位
8 家康公御遺言
9 土居宗三諌言 (土佐物語)
10 鎮西八郎伝
11 武功より分別勝ると言扱 (醍醒記談)
12 佐藤次信信忠妻 (東遊記)
13 小栗言 (鎌倉大草紙)
14 渡辺番が事 (駿台雑話)
15 小山某古主を忘れず (豊公逸事録)
16 秀頼公二条城御成の時の事 (為人鈔)
17 日置宗因覚書 (藩譜便覧追加)
18 武田晴信朝臣へ山本勘助奥秘相伝 (六諭衍義附録)
19 東山公太閤深意 (六諭衍義附録)
20 板倉重宗事 (六諭衍義附録)
21 青砥藤綱
22 北條泰時無欲 (駿台雑話)
23 堀監物武の心懸 (駿台雑話)
24 月岡左門忠義 (武将感状記)
25 言語可慎事 (耳袋)
26 沢橋母子 (駿台雑話)
27 天野三郎兵衛 (駿台雑話)
28 結翁の何かし
29 浮田秀家伝并に家人八丈島へ従ひし名前 (柳あん雑筆)
30 放打之心得
31 十時摂津耳川合戦物語 (九州諸将軍記)
32 安東五郎左衛門古戦物語 (九州諸将軍記)
33 太陽寺左平次 (駿台雑話)
34 馬場美濃守 (武学拾粋)
35 吉弘加兵衛 (魔釈記)
36 武田信繁 (駿台雑話)
37 太閤奥方素性并明智次左衛門事 (雨窓間語)
38 鄭子龍日本へ加勢を乞 (綿考輯録)
39 甲斐宗運遺言 (和説苑)
40 大橋豊前 (和説苑)
41 米村権右衛門 (武将感状記)
42 小幡助六 (和説苑)
43 飯尾豊前妻 (和説苑)
44 吉岡尼妙林 (古城考)
45 米倉彦次郎事芦毛馬の糞薬に成事
46 大橋通貞考心 (古城考)
47 小宮山内膳 (和説苑)
48 宇佐美駿河 (和説苑)
49 立花三太夫 (続撰清正記)
50 千葉常胤紙面 (小窓閑話)
51 黒田如水長政へ異見并に黒田記内抜書 (黒田記)
52 大友二階崩事 (和説苑)
53 君を諌兼術を以て諌む事 (諸家評定)
54 公家衆法渡
55 二月寺末派
56 新田義興紙面
57 三斎公御作鍛治御銘 (新刀銘盡後集 5)

     「雑撰録 巻42」

1 雑集
2 細川全記之内
3 藩譜便覧之内
4 御家略集之内
5 阿蘇ノ畑之内
6 雑録之内
7 風説秘記
8 井戸家記之内
9 男子訓之内
10 醍醐隨筆之内
11 下谷集之内
12 古城考之内 (森本一瑞)
13 提醒記談之内
14 西遊記之内
15 耳袋之内 (根岸守信)
16 薦野家譜之内
17 古本之内
18 九州記之内
19 蒲生氏郷記之内
20 魔釈記之内
21 三才図会之内
22 土佐物語之内
23 小窓閑語之内
24 熊沢大学或問之内
25 為人鈔之内
26 雑記之内
27 太平記之内
28 続武将感状記之内

     「雑撰録 巻43」

1 内空閑伝記

 

 
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■「旦夕覺書」--風・24

2014-11-13 07:00:24 | 史料

                        一、松兵助咄申候亭主は御使番勤居申候 兵助も心安く枕にて咄居申所去る小姓組参候ておれも草臥たと
                          てわきに有之亭主の枕を取申候かひさに敷申候所を起上り扨々おのしはうつけ者侍の枕を足に敷と
                          ておつ取申候 兵助も氣もつぶし起扨々そゝふ成事是を召れ候へとて平助枕を遣申候 先心安く候ても
                          枕を膝に敷申事大成誤り又亭主も短慮に候 扨々そなたはふしつけ成ると候 何そ枕に成候者遣候が
                          又何とそ申様可有事に候 兵助も扨も々々短慮男と申候 箇様成事多く候能々兼々工夫可有候 喧嘩口論
                          能き侍は不仕候 双方能仕候ても犬死と古人申候 主君に命上私の心儘にあほふをつくし能ク仕候の悪
                          く仕候とは誠に双方位に貮たとへたる事を熊澤・貝原など書置候書にも喧嘩犬にたとへたる事心付見可
                          被申候 未御入國前に奥田一残と申島原にて能 光尚御代五百石にて被召出御逝去以後何と存候哉知
                          行差上一残と改致法體白川長六橋向に町屋立居申候 同名文左衛門以前語被申候 拙者も右の通に存候
                          或時澤村宇衛門御家老の時林孫助是も五百石取御使番勤居申候能男振にて覺申候 右両人宇衛門殿所
                          にて外大勢咄居申所にて互に何かせり合申時孫助申は其方は一残と付被申たるは定て御幼少の
                          殿様御入國も被成候はゞ一命差上可申覺悟に見へ申候 餘り詞過たるぞと申候へば一残返答なく堪忍
                          仕居申候 孫助は以後阿曾へ御腰物被差上候御使者番に自分の刀に取替候て知れ申候故御暇被遣候 拙
                          者初江戸迄は神明邊に取賈仕乞食同前に成候由皆々咄たる衆にかくれ申由承候 如斯の大盗人も口き
                          ゝたるは口論抔様成事には先見事に見へ申候 大勇は申度事も控あの男相手には不足と存候へばいか
                          に々々々誤り申候 御免候へと少も々々心に懸申間敷候 木村長門守事具に見可被申候 九十九の鼻のか
                          けたる猿か一疋の鼻のかけぬ猿を笑申たとへに候 先頃三悦より状給申候内に天の見る事宣く候へば
                          人の善悪のとなへに叶不申共心に天道おそれたる古語書付被差越候 扨々尤如紙面萬事心つけ被申候
                          へば珍重存候 又幸右衛門先年西澤氏時に廿七日は古文右衛門忌日に文左衛門役も被除御暇も廿七日
                          拙者申ごとく祖父の罰を蒙りたるとの事拙者へ被申候 扨も々々拙者は覺不申候に尤と存被申候か心
                          付られ候事唯今少も失念不申又傳右衛門御留守番に参候内紙面にて方々御使者勤申刻拙者御供にて
                          定て此通を通りたるかなとゝ心付たる紙面にて早江戸の勤致安堵候 他人にても一言一筆の事にて心
                          付候へば大形十に八九ツは如察候 八十に餘り數十年の事覺申候 随分々々隙に古人の傳に心付可被申
                          候 尤聖賢の書物見申候ても拙者式文盲故中々わけ如兼申候 近く熊澤・貝原書たる物先見よく候 各心が
                          け被申候へば幸之助・傳次幼少より尚々能成可申候 随分心懸可被申候候忠孝に成可申候 

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■熊本県立図書館蔵資料「雑撰録」--6(巻31~34)

2014-11-12 06:50:41 | 史料

     「雑撰録 巻31」

1 後醍醐天皇御製文
2 児島備後守こしの国より文并に詩
3 文覚上人消息
4 長岡太一郎封事
5 長岡太一郎井上平左衛門への紙面
6 忠利公御仁心ノ事 (和説苑)
7 三尺手拭の事 (藩譜便覧附録)
8 関兼光之刀信長之鑓之事
9 大塚丹左衛門上書
10 備前光政侯家中へ被仰出候覚
11 萩生惣右衛門藪久左衛門への返翰
12 白川侯家中へ被仰出候書付
13 菊池国村系図 菊池延寿太郎屋敷
14 小西朝鮮陣中の悪事左陳衆中より秀頼公へ被申上候覚
15 相良弾正殿討死の覚
16 朝鮮御征伐御陣立之御書付
17 武田信玄制詞并三好義長妻衣帯
18 信長御刀之記
19 日本国割之事
20 大津山弾正刀之事
21 敷台取次作法并三家家格
22 伊集院長左衛門講大学事
23 伊集院長左衛門説仁政事
24 大石主税最期之事并母より教訓
25 加藤家之浪士厄松合之事
26 新納武蔵兄弟之事
27 四坂鑓之助譲功の事
28 小早川隆景謀略の事
29 徂徠諸名物の評
30 水戸侯御直書
31 竹俣美作器量の事
32 板倉重昌治世
33 沢村大学自賛
34 明恵上人仏法大意
35 非理之理の事
36 御役料米
37 真宗惑乱并に不破敬次郎の事
38 土着之害之事
39 監物殿大坂退口并に盃の事
40 無根の罵言たちまち身命を損す
41 讒を討ち身をたつ
42 幼年人を討義死事
43 佐土原城暴逆殺傷
44 雨森彦太郎軍功を譲る事
45 大石蔵之助書翰
46 大石父子取遣之紙面
47 為朝義平の良策
48 武林只七母書置
49 原惣右衛門母書置
50 長曽我部石田両人之子共之成行并家康公之御墓之事
51 水戸光圀公殿中に於いて御壁書
52 息遊軒壁書
53 頼政様うもれ木の歌
54 高刀喜兵衛諌言
55 鈴木久三郎諌言
56 中古刀之寸尺之事
57 木村重成池田勝入刀
58 志賀玄蕃諌言
59 三好広俊諌言
60 後藤又兵衛墓の事
61 稲次壱岐諌言
62 松原下野諌言
63 岡越前守諌言
64 水野善左衛門諌言
65 本多作左衛門諌言
66 森蘭丸諌言 (本朝武林伝)
67 片山右衛門諌言
68 水野淡路守諌言
69 浅野長政侯諌言
70 織田信長公恩賞を賜ふ話 (梅園叢書)
71 黒田如水大言の事 (続武家閑談記)
72 秀吉公五腰の刀の主を察せられし事
73 弁慶筆
74 黒田如水遣言の事
75 滝川一益質素
76 真田幸村妻子之大介への文の内
77 蒲生備中妻子の大膳を戒む
78 佐藤庄司子の両人へ教訓

     「雑撰録 巻32」

1 山城殿家格筋ノ儀ニ付同所御番頭已下格式御一件之控
2 長崎黒船二艘参る時之覚 正保4年
3 田治見権太郎覚書
4 毛利元就諌大内義隆
5 大石良雄歌

     「雑撰録 巻33」

1 宮本武蔵殿之事 二天記卜伝 (豊田又四郎)
2 江村専斎覚書 老人雑話ト云
3 板垣卜斎覚書
4 亨徳比関東八家
5 坂和田喜六諌言 (武将感状記)
6 北条氏康の教訓氏政の事
7 短慮失多レ
8 武士十徳

     「雑撰録 巻34」

1 三斎様御像賛 (藩譜便覧)
2 三斎様石燈篭記
3 幽斎君秀次公へ御諌言の事
4 忠興公御仁政 (和説苑)
5 三斎公より立允様へ御者頭御附被成候廿五人 (井門文三郎家文書)
6 嶋田嘉津次殿上書
7 河喜多家伝
8 御備えの次第 (御書要略)
9 秘事 (御書要略)
10 下津権内高名
11 築山先祖由諸
12 三斎公御諭
13 加藤清正公御心入并庄林家来出来助か事 (雨窓閑話)
14 小野和泉事 (閑暇雑書)
15 大仏殿出来入目覚 (柳アン雑記)
16 堀尾吉晴武功之覚
17 秀吉公関白御成御祝の献立 (柳アン雑記)
18 家康公梁田へ感状
19 沢庵和尚壁書
20 山鹿氏之教 (続武家閑談記)
21 楠公壁書
22 清正公刀とはやり小唄 (事跡合考之内抜書)
23 上杉治憲侯壁書 (南亭余韻)
24 味噌肴酒盛之事 (本朝武家評林)
25 愚夫童を誑して被疵
26 軽蔑の少年即殺害せらる
27 浪士上条返答之事 (其蜩翁草)
28 上条打果事件 (寝覚草)
29 聚落城并町号日暮之事 (山州名跡志)
30 山鹿郡湯之由来
31 阿蘇郡小国杖立温泉由来
32 黒田如水大友へ異見之紙面并返紙
33 義経腰越状
34 坪内喜太郎先祖之事 (古今武家盛衰記)
35 日本上古人数
36 四十八箇所篝事
37 秀吉公御葬式御行列附
38 亡瑞鎧事并佐々木重綱之武具 (本朝武家評林)
39 頼朝公俊兼の衣服禁給事 (本朝武家評林)
40 米田家の茶道坊主狂歌 (聞書)
41 楠公之事 (本朝武家評林)
42 藤原仲光忠義之事
43 松井佐渡守遺言 (武林拾玉)
44 朧月夜 (備前老人物語)
45 明君之鷹狩
46 菊池家新参士之事 (旧説記聞)
47 望月彦之進諌言
48 脇坂小膳諌言
49 龍口六郎諌言
50 曽呂利風諌
51 怪我をせぬ呪の札の事
52 渡辺何某君を諌む
53 日本全国戸数人口内務省にて調 (明治27年11月25日 九州日日新聞
54 義満公へ細川頼之侍座之事 (旧説記聞)
55 曽呂利太閣の出頭たりし時 (雨窓間話)

 

 

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■「旦夕覺書」--風・23

2014-11-11 07:24:15 | 史料

                        一、江戸芝御屋敷より上屋敷に御逗留被成候事御座候て御供衆代々勤申候 御供小屋一所にて大勢代々
                          居候 野々村藤太夫鑓持に惣小屋に居申候 前田彦太夫と申は日向有馬右衛門殿牢人にて不破五郎右
                          衛門姪婿にて候 唯今子供は不破十之允跡二百石取可申候 彦太夫事大口者にて男らしき咄斗申候 右の
                          鑓見候て拙者に向誰か鑓かと申候 藤太夫鑓と申候へは何も皆々鑓をもたせぬに知行自慢か何時も
                          おれか出る時はおれか鑓よと申候故拙者申はいや々々そふいやるなつく々々と見申藤太夫か親は歩
                          の使番にて島原働故にあの並は貮百石百五拾石被下候へ共清高院様に御附被成候故に三百石初ゟ被
                          下候 いか様親の咄を聞たる者各鑓もたせぬに一夜にも逗留するに奇特成事と神以心に思ふ別の事は
                          いかにもおくれ見くるしく然共鑓もやせたる事は必々別人にても譽たか能きと咄々伏居候處に梶原
                          勘助嫡子源太右衛門とて今の弓削新助伯父前々勘助が兄にて親身三百石取如取形能き男にて大酒呑に
                          て候 何と々々皆小屋におしやるかとてはしこのうへ一段目迄上り申故拙者申候あかられと申内に彦
                          太夫ははしこのきわに伏しながらねむりたる風情にてへをひり申候故に梶原は拙者に重て々々と申
                          歸候 跡にて彦太夫もあの様に見ぐるしき男にはへひりかけたが能きぞと申候故いや々々梶原は心には
                          扨々と思ふと見へて上りもせず戻たるとて咄居申候 上田新兵衛殿は親勘助心安く夫故子の源太右衛
                          門も参たると存候 上田殿より呼に参り候て色々の咄の内にいや御相小屋衆にはむさとしたる事のみ
                          と承申候 拙者詰居たる時分成とも少左様の事なき様に心付候様にと被申候故拙者申候は成程私も心
                          付申候へ共皆々若き内にはむさと仕候事のみにて或は御平小姓は御知行取高ぶり申候へばしかり又
                          知行取は親の跡被下自分の働にて取たる顔にて位牌知行にても御中小姓をば何共不存慮外者の何の
                          かと異名を付申候被仰聞候通にて御座候 随分私より若き衆には随分心付申候 扨是は多分梶原源太
                          右が咄御聞被成候て察申と申候へばいかにも/\先日被参候て惣小屋には居候事難成箇様々々と咄
                          被申し候神以其刻はつと存候へども何事なく立被申候 定て心底に立腹にて可有御座候 併箇様の儀は
                          心安き内は互に數の多きを自慢にて私なども若き時分は相小屋多く度々崎座候事に御座候 能く思召
                          被成御覧候へ箇様の咄皆々承候はゞ源太右はへをひり懸られ堪忍仕候と多分沙汰可仕候 其刻は必々
                          脇にて咄不被申様に仕度と存候と申候へば上田殿いかにも々々々々と被申候 其後沙汰不承候 尤拙者
                          彦太夫許其の時居申候 外に梶原ちらと参たる迄にて何の沙汰なく候 此沙汰大に成候時は梶原心な
                          らず彦太夫と打果不申は成間敷候 大鹽・藤崎両人の事熊本へ聞申候にて察可被申候 其後無沙汰候つる
                          事
                           

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■K家文書から・2 「長岡内膳正」のこと

2014-11-11 07:03:45 | 歴史

 K家からの願書が上げられた最初のあて先は「長岡内膳正」である。
内膳という名乗りでかつ長岡姓となると、細川内膳家(忠興長男・忠隆家)を考えがちだが、この家が内膳を名乗るのは四代・忠季からである。

元和元年に内膳正を名乗っているのは、家老・有吉家の四代目・興道である。この人は天正十一年の生まれ、元和四年九月に36歳で亡くなっている。

 「内膳(興道)儀武勇ハ親武蔵守(立吉)ニも不劣なれ共、御意ニ不叶儀有之、内膳跡御立不被成、武蔵跡を平吉(英貴)江被下、諸格式武蔵守通り被仰付候」と綿孝輯録は語る。そして「御意ニ不叶儀」とは「慶長七年之比忠興君より武蔵ニ御内意有之候ハ、お万様を嫡子興道江嫁とらるへきとの事ニ候江共」「興道所存有て御断申上度由」が原因らしい。嫁に取らせると忠興に言わしめた「万」こそ、愛娘のちに烏丸光賢に嫁ぎ、光尚室となる彌々を生む「万」である。
「参考:(忠興元和元年)十月、おまん様・于時十八歳・を御同道ニ而、御上洛被成、十一月十九日烏丸光賢卿江御輿入れあり(以下略)」

 元和二年依台命一国一城ニ定られ候間、小倉・中津の両城を残して諸城を御毀被成候、其時(有吉)内膳興道へ御意ニ、武蔵守以来高田の城へ被差置候処、今度公儀より被仰出之通ニ候条、小倉・中津之外城々御はき被成候間、小倉御城下ニ屋敷住居いたし、諸事先格之通城下ニ准し可申旨被仰付候

               http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/1a5fd242c2c3e56e1f2548e47cfe8802


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■書評「肥後藩三百石米良家」・高野茂氏

2014-11-10 09:37:25 | 徒然

 2014年9月、NPO法人くまもと文化振興会が発行した総合文化誌「KUMAMOTO」第8号に掲載された、近藤健・佐藤誠氏共著「肥後藩三百石米良家」の書評(読後ノート)である。筆者は元熊本県立商業高校の校長で歴史家の高野茂氏である。

 

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■「旦夕覺書」--風・22

2014-11-10 06:38:56 | 史料

                        一、右の牧嫡孫今の牧左角にて候 牧市左衛門祖父尉太夫は次男にて五左衛門と申歩の御使番勤百石被下
                          江戸御寶蔵御預けしはらく定詰にて拙者心安被申江戸にて煩氣はらしに目黒邊へ節々出被申候に小
                          屋近く毎度同道可仕と被申候に神以其時分迷惑仕候老人にてきうくつに存其上茶屋にて茶給申事も
                          難成御長屋より皆々咄居申拙者者返り候へは扨も迷惑いたすへくと何も笑申候 然處 三齋公一色殿御
                          切被成候咄其外古き咄なと毎度聞せ被申候 或時歩の御使番十五日か朔日か御禮にて拙者も禮に
                          小屋廻り可仕と罷出候刻急に御出被成候 右の仕合にて拙者一番に罷出候へは 太守様は早御出被遊
                          御玄關の戸を御とらへ御供揃申を御待被成候 小笠原古庄左衛門殿は小姓頭にて其時分御書奉行勤
                          被申候庄左衛門殿御側に居被申候か拙者一人罷出候を見被申高々と傳右衛門御供揃不申揃候へと
                          ふれ候へと被申候 太守様右の仕合にて御待被成候故御番衆中に罷出御供仕候へと被申候へは 太
                          守様いや々々餘りおそくなく思召候 供役の者揃御出可被成候由にて御控被成候處に段々罷出有馬
                          玄蕃頭様以の外御急病にてお見舞に被成御座候 有馬殿は其時分水戸様御歸に御逢被成候最早埒明候
                          由
                          太守様へ御挨拶申候 罷歸り候て以後右の尉太夫其時分は牧五左衛門と申候拙者へ扨々先日御供に
                          一番に出候由兼々申様に奉公人は心かけ候へは天道に叶必々志顕れ申事昔より承及候と事の外悦廻り
                          申候 拙者申候はいや今少し早く可罷出所に禮廻りの衣類にて小屋に羽織の替を取に遣候と申候へは
                          五左衛門其儘扨々其様成る事は云はぬ物急に御供ふれ成れは衣類の善悪によるへき事なく候 重て人
                          にも申間敷事さん々々しかり被申候 唯今幸右衛門為には大伯父にて候 不思議成る様に縁に成申候 右の五
                          左衛門御寶蔵預り申内 太守様在國の刻若狭守様御庭御見物被成候刻御寶蔵御覧可被成思召五左
                          衛門御蔵あけ候へと御意被成候へはいや是は 太守様御覧被遊候時にも御供の者共御残し被成候 右
                          の通に御座候へは御預被遊候 私にても唯今御意にても私心まゝには難仕と被申たる由若狭守様御若
                          き時分にて以て外御立腹の様子に見へ申候由承申候 然共箇条成事前々より承 三齋様時分は別てケ
                          様成人多く承傳候事とも候へ共事長く書置不申候 五左衛門儀は島原働故百石被下同類百五拾石右貮百
                          石迄成候も小堀八郎右衛門と申候一人にて御座候 五左衛門は百石宛両度御加増にて三百石御側鉄炮
                          同姓文右衛門相役に被仰付無程外様廿挺にて果申候 多分若狭守様右の御咄被遊候哉唯今の牧市郎右
                          衛門祖父にて候 是皆祖父の武功の咄古人の咄承たる印にて候 五左衛門は左馬允甥親丞太夫は左馬允
                          弟にて候 関ケ原の時分御家の者の内に兄弟共に無之候 左馬允は親五と申候か丞太夫は長三郎と申候か 

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■テレビ・ガイド 鶴瓶・佐渡裕氏が南阿蘇村に・・・・

2014-11-10 06:38:28 | 熊本

 NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」が指揮者・佐渡裕氏とともに南阿蘇村を訪れる。11月10日、11月17日の二回に亘り放映される。

かっての長陽村・白水村・久木野村が合併して現在の南阿蘇村となったが、熊本空港から車で20分~30分ばかりで行けることも有り、風光明媚な阿蘇南郷谷は別荘地としても有名になり脚光を浴びる場所である。
お二人がどの様な旅を楽しまれるのか、期待して放映を待ちたい。佐渡氏が南阿蘇村を撰ばれたことに感謝したい。

               http://www4.nhk.or.jp/kanpai/ 

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