森口豁の『子乞い』に続き、『最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇』(講談社文庫)を読んだ。(2冊を貸していただいた一坪反戦のYさん、ありがとうございます。)
ここで語られる田口泰正は、戦争末期、学徒兵として詰め込みの軍人教育を施され、海軍の一員として石垣島に赴く。そこで彼がなさざるを得なかったことは、撃墜した米軍機に乗っていた米兵3人の処刑だった。「なさざるを得なかった」というのは、それが上官たる司令の命令(あるいは命令だと判断することになっている組織的回路)によるものだったからだ。この罪により、田口は死刑に処せられることになる。
このような理不尽な状況にあって、一方では皇民化教育・軍人教育による意識形成が現在の私たちとは大きく異なるであろうことは留意しなければならないことだと思うが、仮に意識がどのようなものであっても、軍の命令は絶対であったということが重要なのだろう。それでは、直接に殺人という罪を犯した者は、(本人が嫌がりつつ行ったか、積極的に行ったかに関わらず)殺人を拒否するという選択肢が実質的になかったという理由で、裁かれなくてもよいのか―――これは一般論では語れまい。しかし少なくとも、他の選択肢を取りうる立場にあった者が、罪の有無を厳しく問われることは間違いないことだろう。
本書では、そのような視点のほかに、憎しみの連鎖と強者(戦争の勝者)の論理による裁きの不公正を具体的に示していく。A級戦犯を裁いた東京裁判とは異なり、BC級戦犯に対しては、米国の軍人のみが、報復として、実際に死刑に相当しないかもしれない人間をも死に追いやっていたのである。そこには、前提としての公平さは最初から放棄されていた。大義の衝突(お互いに正義がある)、そして「目には目を」の精神は、現在の日本でも無縁ではないことを、ここで思い出してみてもよいだろう。凶悪犯のメディアを使った「公開私刑」化、法で裁けない悪人への復讐ドラマ、などと比べてみるとどうか。
国際人道法たるジュネーブ条約(ここで該当するのは捕虜の人道的な扱い)についても、当時の日本ではまったく実質的に啓蒙の対象でなかったことが示されている。(勿論、だからといって裁きの対象にならないとは言えない。)ここでも問題は現在に直結している。イラク戦争をはじめとする米国の戦争において、非人道的な行いをされることは許さないが、することはまかり通る、という「ダブルスタンダード」が指摘されているからだ(小池政行『現代の戦争被害―ソマリアからイラクへ―』、岩波新書、2004年)。
石垣島で米軍捕虜の処刑を命令した司令は、裁判の終盤まで、責任回避を続ける。そして最後の最後になって、命令を下したのは自分であり、当時の社会構造と軍隊組織上、部下に責任はないとの主張に転じる。しかし、そのときには裁判の行く末は見えていたのだった。