武田泰淳『流人島にて』を読んでより気になっていた映画化作品『処刑の島』(1966年、篠田正浩)を観る。現在は無人島の八丈小島を舞台にしており、岩山が海から飛び出ているありさまの映像は、武田泰淳の描写と遜色ない出来に思えた。
「段々状のかんも(甘藷)畠は、荒々しくはびこる野草と、灰黒色の岩に挟まれ、雨後の土の色をやっとせり上げている。登りつめて、畑地が切れて、左折すると、島の中腹の輪郭に沿って、危険な細路をたどる。丈高い草は崩れた路の左側に、ときどき海の断片を覗かせる。崖ふちに出はずれるたび、海面の遠さ、海面の低さ、海面の広さがいきなり足もとから噴きあがる。地球の表面にへばりついた海水の、太古からのうめきときしみが、聴こえそうな気がする。かなり高いはずの波濤は、小さな小さな岩根に小さな小さな花を、音もなく開くにすぎない。あとは銀灰色の小皺のかがやきを刻んで、青い皮革のように動かない海の皮膚である。」武田泰淳『流人島にて』より(『ひかりごけ』、新潮文庫、所収)
篠田正浩の妻となる岩下志麻、佐藤慶、小松方正、殿山泰司など濃すぎる俳優もいい。そして主役は、大島渚『儀式』や『少年』と同様に、妖怪的な近代日本を顕在化させる戸田重昌のビビッドな美術セットである。(スチールは森山大道だそうだ。観たい!)
「感化院」から島流しにあい、奴隷のように働かされたあげくに、主人に海に投げ込まれて「神隠し」にあったとされた少年が、20年後、復讐に戻ってくるという話だ。復讐の対象となる主人(三国連太郎)、実は少年のアナーキストであった父と母を惨殺した者でもあったとしている。
このような物語を、映画にまとまりきらないほど独自な脚本に仕立て上げたのが、石原慎太郎であったことを知り、複雑な気分になる。歪んだ近代日本への批判ではなかったのか、ということだ。
日の丸やリンカーンの肖像画などを配置した戸田重昌の美術セットが凄い
ベローズを使って仏像の指紋を接写するシーンに、1964年に発売されたばかりのアサヒペンタックスSPが登場する