京都に所用で行ったついでに、東寺を見物してきた。たぶん5、6年ぶりだ。桓武天皇が平安京を開いたときに西寺(現在では跡が残るのみ)と並んで置いた官寺だが、重要なのはこれが創建後まもなく空海に下賜され、独自の進化を遂げたことだ。
講堂から五重塔(ケータイで撮影)
前回も五重塔の内部を公開していたが、今回も運良く公開期間中だった。面白いのは、密教の中心である大日如来が真ん中の柱そのものとされていること。それから、柱の周りが収縮した結果、柱だけが50センチほど余計に突き出てしまったため、最下部を鋸で切って、達磨落としの要領で短くしたことである。久しぶりに、柱の絵が下にずれているのを覗き込んで、そんなことよく出来たね、と感心してしまう。
拝観時にもらったパンフより
仏教美術としての圧巻は、講堂のなかに展開されている仏像群である。大日如来(こっちは勿論、柱ではなく坐像)を中心とする五如来、不動明王を中心とする五明王、さらに五菩薩。守護神は四天。インド系では梵天(ブラフマー)と帝釈天(インドラ)。五如来などを除けば空海期の国宝であり、その「何でもあり」に眼を奪われる。インドラは穏やかに変な象に乗っている。ブラフマーは4つの顔に4本の手、つくりは日本風に肉感的であり、水鳥ハンサに乗っている。大威徳明王はもっと凄く、6つの顔、6本の手、6本の足で水牛に乗っている。大威徳もインド系だが、サブ的な役割に過ぎなかった明王を中心的存在に据えたのは、空海のオリジナルだったようだ。
※脱線するが、キヤノンの1号機「ハンザキヤノン」(1936年)は、ハンザ(当時、近江屋写真用品)に販売権を与えたため付けられたものだ。キヤノンが「観音」であることは知っていたが、いまも写真用品を製造しているHANSAの名前はブラフマーの乗る水鳥から取ったのではないか・・・と思ったが、キヤノンのサイト(→リンク)を確認すると、ドイツのハンザ同盟から取ったと書いてある。考えすぎだった。
このような「何でもあり」のカオス的密教を独自に発展させた空海については、多分に出世欲の強い政治的な存在であり、そのためもあって中国から持ち帰ったノウハウを拡大再生産していったと評価されるのだろう。梅原猛は、世俗的才能を持ったあまりにも巨大な存在だった空海について、次のように書いている。
「最澄は「最も澄む」と書くが、彼は澄みきった深い淵のような孤独と誇りに生きてきた僧であるかにみえる。それに対して空海というのは空と海である。それは果てしなく巨大な空であり海である。その巨大なもののなかには、いささかいかがわしいもの、汚いものもないわけではないが、それらのいかがわしいもの、汚いものも、空のような海のような、はてしない巨大な世界のなかではいつの間にか浄化されてしまうのである。」(梅原猛『空海は空であり、海である』、「芸術新潮」1995年7月)
神仏習合の最たる世界が繰り広げられている東寺だが、明治期の廃仏毀釈の爪痕も残している。先の五重塔の内部にある柱には、もともと仏画が描かれていたとのことだが、それがすべて剥ぎ取られているのだ。「共存」を破壊しようとした偏狭なナショナリズムという歴史があったことの証である。
【参考】
●仏になりたがる理由(義江彰夫『神仏習合』について)
5年位前の券(上)と今回の券(下) 微妙に写真が違うことに気が付いた(笑)