Sightsong

自縄自縛日記

西川伸一講演会「政局を日本政治の特質から視る」

2011-10-24 01:18:13 | 政治

西川伸一・明治大学教授による講演会「政局を日本政治の特質から視る」に足を運んだ(2011/10/23、文京区民センター)。レジュメのサブタイトルに、「「次」「副」「補」に注目して」とある。首相や閣僚だけではわからない政治的意図の見方についてのプレゼンだった。

以下、講演の概要。

○内閣には、「次」「副」「補」がつくポストとして、①内閣官房副長官(議員2名+官僚1名)、②内閣官房副長官補(官僚3名)、③内閣総理大臣補佐官(議員5名)、④内閣総理大臣秘書官(首相が官邸に連れてくることのできる気心が知れた面々、官僚7名)、⑤各省の事務次官(歴史的な成立順=「建制順」で書かれる)、がある。
○「官邸」とは、狭義には、内閣総理大臣、内閣官房長官、内閣官房副長官(上の①、3名)の5名を指す。第1次小泉内閣(およびその第1次改造内閣)においては、福田官房長官、安部・上野・古川官房副長官という顔ぶれだった。
内閣官房長官は、「調整」(対等者間の折衝)がつかない場合の「総合調整」を行うミッションを持つ。閣議の進行役であり、日に2回の記者会見を行う。メディアで「政府首脳」と表現された場合、大抵それは官房長官のことである。
内閣官房副長官(上の①)は、自民党政権では若手の登龍門的なポストであり、小渕も、北朝鮮拉致問題で名を売った安部も、これを経験した。民主党政権になって、ポストの位置付けが不明確になっている。
内閣官房副長官(上の①)のうち「事務副長官」は官僚から選ばれる最高ポストであり、閣議事務次官会議(民主党政権になってから中止)の両方に出るのはこのポストだけ。「政官関係」の結節点がこのポストである。
内閣官房副長官(事務)には、通常、民間や政治との関係が深すぎないよう、旧内務省系(警察、総務省、厚生労働省など)から選ばれる。国土交通省は旧内務省系であっても偏っていると言われるおそれがあり、回避される。財務省は予算をおさえているため、さらに人事までおさえさせることへの抵抗が強く、やはり回避される。野田内閣の竹歳官房副長官は国交省出身であり、異例人事だった。
○安部政権での的場官房副長官(事務)は大蔵省(当時)出身であったが、この場合、本人が大蔵省を辞めて16年程度経っており、安部首相との仲が良かったという事情があった。安部はこれをもって「官邸主導」と称したが、16年も離れていた者に「総合調整」ができるわけもなく、これが安部首相辞任の一因であったとも評価されている。その前後、小泉政権と福田政権のときの二場官房副長官と安部とは女系天皇の問題で仲が悪く、福田政権時に再登用したのは秩序回復と、ひょっとしたら「当てつけ」のためであった。
事務次官会議では、閣議(火、金)にかける案件を最終チェックする(前日の月、木)。いずれかの省の事務次官が反対した案件は、閣議にはかけられない。菅直人はこのことを批判していた。
事務次官会議は内閣制度発足以降、法制度に基づかないにも関わらず、慣習として119年も続いた。議事録が作成されない、驚くべき会議である。
○鳩山政権になり、政治主導のため、事務次官会議が廃止された。しかし、やはりうまくいかないとの批判もあった。東日本大震災後に「各府省連絡会議」が設置されたが、これが事務次官会議復活的なもの。9月以降、テーマを震災に限らない「連絡会議」を行うと決められた。現在は金曜日だが、そのうち月、木になる可能性だってあるのではないか。
○野田内閣では、勝財務次官とのつながりが強く、片山虎之助が「財務省主導」「「直角内閣」ではなく「直勝内閣」だ」と揶揄している。勝次官は人望があり、「10年に1回の大物」であるとも言われている。
○増税路線については、勝次官を通じた財務省の刷り込みが効いているのではないか。野田首相はそれらの情報インプットにより「知識汚染」状態にあるのではないか。
○官僚が過去の失政の責任を負わない原因には、2-3年置きに異動することと稟議書文化が挙げられるのではないか(責任の所在があいまいなものになる)。