Sightsong

自縄自縛日記

プリーモ・レーヴィ『休戦』

2011-10-19 08:01:29 | ヨーロッパ

プリーモ・レーヴィ『休戦』(岩波文庫、原著1963年)を読む。アウシュビッツに送られたユダヤ系イタリア人プリーモ・レーヴィは、ロシア軍によりポーランドからソ連(当時)に送られ、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロヴァキア(当時)、オーストリア、そして他ならぬドイツを経て、イタリアへと帰郷する。本来はポーランドから南西に進めば最短であるところ、東進、北進、南進と迂回して西進、先の見えない何カ月もの長い旅であった。

ドイツは残虐行為の挙句に戦争に敗れ、ロシア軍がポーランドに侵攻してくる。常に理不尽な死を目の当たりにしていたレーヴィの胸に去来したものは、単なる解放の歓びではなく、<恥辱感>であった。正しい者が他人の罪を前にして感じる<恥辱感>、自分の善意も正義も圧倒的な罪の前では無力になってしまう<恥辱感>。それは帰郷の旅の最期になってウィーンに入っても、消え去ることはなかった。

「破壊されたウィーン、屈服させられたドイツ人を見ても、いかなる喜びも感じられなかった。むしろ苦痛を感じた。それは同情ではなく、ずっと広範な苦痛の念で、私たちのみじめさと混じり合っていたが、さらに、取り返しがつかない決定的な悪が存在するという、のしかかるような重苦しい感覚とも混じり合っていた。」

何が「休戦」なのか、レーヴィの考えはこの記録の最後になって記される。もはやアウシュビッツ後には、すべてに<アウシュビッツの毒>が流れている。圧倒的な罪は圧倒的な死の存在でもあり、常に背後にいていつなんどき囚われるか誰にもわからない罪=死を直視してしまった者にとっては、安寧も、休息も、人間らしい悦びも、すべては死=罪の幕間の「休戦」に過ぎないのだった。レーヴィにとっては、アウシュビッツからイタリアへの寒く苦しく飢えていた旅も、まるで<贈りもの>に感じられるものだった。

レーヴィは頻繁に不安定な夢を視る。夢の中では穏やかな日常生活を送る、しかし、かすかな不安を抱き、迫りくる脅威を感じ取っている。そして周囲は混沌と化し、消え去る。

「私はこれが何を意味するか分かる。いつも知っていたことが分かる。私はまたラーゲルにいて、ラーゲル以外は何ものも真実ではないのだ。それ以外のものは短い休暇、錯覚、夢でしかない。家庭も、花咲く自然も、花も。」

帰還の長い旅の途中にレーヴィが遭う人びとは、度を越して鷹揚であったり、偏屈であったり、異常な言動を取ったりする。変人こそが魅力的な人間なのだ。ときに残忍になることはあっても、権力奴隷とは違っていた。この体験がレーヴィを作家にした。しかし、ジョナス・メカスが映画を創り続けているのとは対照的に、レーヴィは1987年に自死を選んだ。

●参照
徐京植『ディアスポラ紀行』(レーヴィに言及)
徐京植のフクシマ(レーヴィに言及)
『縞模様のパジャマの少年』
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」
アラン・レネ『去年マリエンバートで』、『夜と霧』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)