Sightsong

自縄自縛日記

チック・コリア、ジョン・パティトゥッチ、ヴィニー・カリウタ

2011-10-10 09:21:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

チック・コリアが苦手で、それというのも、『リメンバリング・バド』だとか『星影のステラ』だとか、何やら商売狙いの作品を連発されてウンザリしたことによる。数少ない例外は、アコースティック・バンドによるピアノトリオの『Live From The Blue Note Tokyo』(STRETCH、1992年)で、こればかりは愉しくて昔から聴いている。最近何かの雑誌のジャズ特集で、上原ひろみのフェイヴァリットでもあるそうで、わが意を得たりと嬉しくなってしまった(ミーハーか!)。

この録音の目玉は、ドラムスにヴィニー・カリウタが入っていることだ。フランク・ザッパやスティングなどのバンドで叩いていたジャズ畑外のドラマーであり、自分もこのときはじめて存在を知った。彼の野人ぶりと、チック、ジョン・パティトゥッチのテクニシャンぶりとが衝突して、スポーツのようだと言えばスポーツにも音楽にも失礼かもしれないが、まさに聴くたびに心が浮き立つ時空間が出来上がっているのである。

1992年11月、ブルーノート東京開店4周年記念ライヴだそうで、当然移転前、まだわずかに親しみを持てるハコだったころだ。外で待って出演者たちと話すこともできた。パット・マルティーノ、エリック・アレキサンダー(彼に頼んでマルティーノのいる楽屋に入れてもらったのである)、ジャッキー・マクリーン、ケニー・カークランド・・・、もう鬼籍に入った人もいる。残念ながら、学生だった自分には高嶺の花、このときのチック・コリアの演奏は観にきていない。

そんなわけで、昨日新宿でライヴDVDを発見し、一も二もなく確保した。プライヴェート盤であり、よく見ると当時BSで放送された映像である。CDにもDVDにも1992年11月とあるのみ、おそらく何回かの日・ステージから抜粋したものだろう。

CDと同じ演奏は「Humpty Dumpty」、「Tumba」、「New Waltse」の3曲で、その他に「'Round Midnight」、「Miniature No.3」、「Spain」が収録されている。逆にCDの方には「With A Song In My Heart」、「Chasin' The Train」、「Summer Night」、「Autumn Leaves」が入っている。CDに選曲されなかったからといって 何かが劣っているわけではない。

動く姿を観ると、なおさら3人それぞれの凄さを体感できて、文字通り眼も耳も離せない状態になる。全盛期のヴァンダレイ・シウバのように、闘うのが愉しくて仕方ない様子のヴィニー・カリウタは喜悦の表情を浮かべて叩きまくっている。チックとパティトゥッチは、それに対し、まるでヤンチャな子どもを手なずける大人のように余裕の技術と技を繰り出し続ける。何しろ、チックはこのとき、来日後にエレピを突然弾きたくなって急遽取り寄せたのだというから、モチベーションも高いところにあったわけである。フェンダー・ローズとピアノとを玩具のように使い分ける、チックはこんなのがいいね。


ヴィム・ヴェンダース『パレルモ・シューティング』

2011-10-10 01:04:04 | ヨーロッパ

新宿K's Cinemaにて、ヴィム・ヴェンダース『パレルモ・シューティング』(2008年)を観る。傑作『アメリカ、家族のいる風景(Don't Come Knocking)』以来、待望の新作である。

これは世界との関係を見失ってしまった男の放浪の物語である。デュッセルドルフからパレルモへの放浪に加え、夢や白昼夢の放浪、やはりヴェンダースはロード・ムーヴィーの映画人だ。カメラでのスナップショットが好きな者は共感できると思うが、ちょっとした世界との距離がその感覚をずれさせる。主人公も山羊や何やかを撮ろうとして失敗を繰り返す。

主人公はカメラマンであり、映画には多くのカメラが登場する。普段使いはマキナ67(デニス・ホッパーの射る矢で壊されたり、海に沈んだりと散々な目にあう)。コマーシャル撮影ではフジ(またはハッセル)のGX645AFニコンD2X。ニッコールを付けた謎のパノラマカメラ。老婆の持っているライカM6TTL(「40年前」という台詞があるが、背の微妙な高さと電池蓋の存在から、M4などではないことがわかる)。それからノキアのケータイ。そうか、マキナはあんなふうに振ってレンズを出すのか。

デニス・ホッパーとくれば思い出す『アメリカの友人』(1977年)も、世界から振り離されそうな男たち(ブルーノ・ガンツとデニス・ホッパー)が苦悶する物語だった。そして、主人公がカメラを手に座り込んで世界との距離感を保とうとする姿は、『都会のアリス』(1973年)において、リュディガー・フォーグラーがやはりポラロイドSX-70を手に海辺に座り込み、内的な世界を是とする姿と重なる。ヴェンダースは昔も今も同じなのだ。

そして主人公は世界を取り戻す。このナイーヴな描写といったら!!

●参照
ヴィム・ヴェンダース『ランド・オブ・プレンティ』、『アメリカ、家族のいる風景』