ポール・オースター『幻影の書』(新潮文庫、原著2002年)を読む。ハードカバーを読みそびれていて、文庫化されたらすぐに読もうと思っていたのだ。
家族を事故で失った男は、ふと、サイレント時代のヘクターという喜劇俳優/監督に魅かれ、憑かれたように彼の研究書を出す。自らの解体を必死に回避する行動だった。ところが、既に死んでいるはずのヘクターが生きており、別の人生を生きながら自分たちのためだけの映画を撮り続けていたと知らされる。彼の人生、ヘクターの人生、ヘクターの創り出した映画、それらが絡み合い、物語は新たなカタストロフへと突き進んでいく。
この本自体がもう死んでいるかもしれない男の手記であり、ヘクターの人生はいくつものテキストと映画とで語られる。オースター得意のメタフィクションである。また、男の書いた小説を『写字室のなかの旅』(Travels in the Scriptorium)とすることで、お約束の自己言及を組み込んでいる(自分の作品に必ず登場するヒッチコックのようだ。特にここでは、新聞の痩せ薬広告に登場させた『救命艇』を思わせる・・・・・・要は必然的でない強引さ)。
名翻訳者の柴田元幸が「あとがき」に書いているように、確かに途中で読むのをやめられなくなる面白さだ。しかし、何だか物足りない。もっと後味の悪い物語世界でなければ、オースター作品のインパクトは小さいものになってしまう。ここには決定的な烙印がないのだ。おそらく数ヶ月もしたら、話の内容を半分忘れてしまうだろう。
消えた天才映画人を題材にした小説であれば、セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』の方が数段面白く、忘れ難いものだった。
●参照
○ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
○ポール・オースター『Invisible』(2009年)
○ポール・オースター『Travels in the Scriptorium』(2007年)
○ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
○ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
○ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
○ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)