イエメンのサレハ大統領が辞める辞める詐欺を繰り返しているうちに、リビアではカダフィ大佐が殺されてしまい(1989年にルーマニアのチャウシェスク大統領が殺され、全世界に映像が流されたことを思い出した)、イエメンやシリアへの影響はますます不可避と見られている。
そんなわけで、思い出して、イエメンを舞台とした映画、ウィリアム・フリードキン『英雄の条件』(1990年)を観た。原題は『Rules of Engagement』、すなわち「交戦規定」である。
チルダース大佐(サミュエル・L・ジャクソン)と退役軍人ホッジス(トミー・リー・ジョーンズ)とは、ベトナム戦争を共に戦った米海兵隊仲間である。ある日、イエメンの首都サヌアにある米国大使館で、市民によるデモが起き、チルダースはインド洋からアデン沖に移動した空母からヘリで派遣される。大使を逃がし、海兵隊員を撃たれたチルダースは、デモ隊の中に発砲者が大勢いることを確認し、群衆への発砲を命令する。これは80名以上の死者が出た無差別虐殺事件として国際的に報道されることとなり、米国政府は、国益維持のため、チルダースを犯罪者に仕立て上げようとする。あまりにも不利な情勢にあって、弁護を買って出たのがホッジスだった。
ざっくり言えば、米国の血塗られた歴史や軍部の汚点を誠実に晒す格好を取りながら、これまで汚れ役として国家を護ってきた者として海兵隊を讃える、そんな映画である。海兵隊の主役ふたり(ジャクソン、ジョーンズ)が、如何にも無骨で不器用ながら自らの役割をこなそうとしてきたのかを示そうとする、これはまさに軍隊の論理そのものではないのか。もちろんイエメン人はカリカチュア化されて登場する。北ベトナム軍の元将校が軍法会議の証人として登場するが、彼も、かつてベトナムのジャングルで見せしめのために戦友をチルダースに殺されたにも関わらず、仲間を守るためのチルダースの行動には深く共感している。片腹痛いとはこのことだ。
この映画では、イエメンの米国大使館がサヌア旧市街(世界遺産)にあるとの設定になっており、どうもちゃちなように見えたのだが、やはり、実際にはモロッコで撮影されたものであるらしい。新たな証拠集めのためにサヌアを訪れたホッジスが使うカメラは、おそらく35mm単焦点レンズを持つニコン35Tiであるが、なぜかズームレンズのように描かれている。勇ましい撮影をしている割には細部が甘い。
昔、サヌアで買ってきた旧市街のおもちゃ
実際に、アルカイダがサヌアの米国大使館に爆弾を仕掛けた事件がある(2008年)。サレハ大統領は米国の「テロとの戦い」という文脈でのつながりが強いと評価されており、それというのも、いまだ部族社会の力が強いことの要因となっている複雑な山岳地域での戦争が、他地域での展開を可能としていたからでもあったという(>> 参考①、参考②)。すなわち、米国をターゲットと見たてたこの2000年の映画と、サレハ追放の現在の動きとは無関係でない、と言うことができるのだろうか。2001年の「9・11」前にこのような盗人猛々しい牽強付会の映画が撮られたことの罪だって、考えられなくはないわけである。
ところで、最近、アンドリュー・デイヴィス『コラテラル・ダメージ』(2002年)という映画を観た。「9・11」のために公開が延期されたという曰くつきの作品であり、やはり、『英雄の条件』と同じような雰囲気がある。コロンビアのテロリストが米国で爆弾テロを起こし、妻子を殺された主人公(アーノルド・シュワルツェネッガー)がパナマ経由でコロンビアに潜入、テロリストと戦うという話である。これにしても、米国の罪はアリバイのように言及されてはいるものの、「だからといって米国の市民の安全を暴力的に脅かす」存在は滅ぼされるべきだ、とする構造はまったく同じなのである。
この手の映画に、米国の保守層の意思と予算がどの程度投入されているのか、ちょっと興味があるね。
●参照
○イエメンの映像(1) ピエル・パオロ・パゾリーニ『アラビアンナイト』『サヌアの城壁』
○イエメンの映像(2) 牛山純一の『すばらしい世界旅行』
○イエメンとコーヒー
○カート、イエメン、オリエンタリズム
○イエメンにも子どもはいる
○サレハ大統領の肖像と名前の読み方