Sightsong

自縄自縛日記

ジョニー・トー(14) 『アクシデント』

2011-10-09 22:50:51 | 香港

新宿武蔵野館で、ソイ・チェン『アクシデント(意外)』(2009年)を観る。ジョニー・トー製作作品である。入場したらクリアファイルをもらった。うふふ。

ルイス・クー率いる殺し屋集団の物語。『ピタゴラスイッチ』もかくやと思わせるトリッキーかつアクロバティックな殺しは、美学さえも感じさせるものだ。手下にはやはりトー映画常連のラム・シュー、敵とみなされる保険会社の男は『ブレイキング・ニュース』が印象的だったリッチー・レン。殺しの途中で誤算と事件が重なり、クーの中で疑念が増幅していく。

確かに殺しの手口は映画においてしか成り立ちえない見事さであり、それを披露する映画的手法もまた見事。疑念が狂気に昇華していく様は、フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション・・・盗聴・・・』を思わせるもので、どこに世界が転んでいくのか、寸止めのため、なかなか息をつくことができない。

勿論、傑作である。もっとも、「どうかしている」くらいに映画的な仕掛けと倒錯を詰め込むのがジョニー・トーの映画だと断言していいわけであり、ここでは、監督という地位を得ていないためか、そこまでの世界は構築されていない。

今回は、新たなそっくりさんを見出すことはできなかった(笑)。またカメラネタも、昔の安いコンパクト・レンジファインダー機がぶらさがっている中古カメラ店が一瞬登場したのみ。

ところで、来春に『Triangle/鐡三角』(2007年)が日本公開されるようで、これでまた生き延びる甲斐ができたというものだ。

●ジョニー・トー作品
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009)
『文雀』(邦題『スリ』)(2008)
『僕は君のために蝶になる』(2008)
『MAD探偵』(2007)
『エグザイル/絆』(2006)
『エレクション 死の報復』(2006)
『エレクション』(2005)
『ブレイキング・ニュース』(2004)
『柔道龍虎房』(2004)
『PTU』(2003)
『ターンレフト・ターンライト』(2003)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(2003)※製作
『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001)
『フルタイム・キラー』(2001)
『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)


『伊方原発 問われる“安全神話”』

2011-10-09 09:43:10 | 中国・四国

NHKの「ドキュメンタリーWAVE」枠で放送されたドキュメンタリー『伊方原発 問われる“安全神話”』(NHK松山制作、2011/10/1)を観る。

愛媛県の佐田岬に立地する伊方原発は、関西から九州まで360kmにも渡って伸びる断層「中央構造線」から、わずか8kmしか離れていない。岡村眞・高知大教授は、伊方原発が想定するマグニチュード7.8など上回る地震の可能性があると警告している。実際に、地震による揺れの想定は、当初の200ガル→阪神淡路大震災(1995年)を受けての473ガル→新潟県中越沖地震(2007年)を受けての570ガル、と2回の見直しがなされている。こことは関係ない場所での短期間での地震評価を反映させること自体が、地震はどこでも起こりうることの裏返しでもある。しかも、福島では600ガル、浜岡では1000ガルが想定されており、それを下回る。

1972年に設置許可申請がなされた伊方原発に対して、そのわずか半年後、国から許可が出された。その際の『安全審査報告書』には、松田時彦・東大助教授(当時)が中央構造線を活断層だと分析したにも関わらず、中央構造線についての言及は皆無であったのだという。これは偽装に他ならない。
※一方、このドキュメンタリーにも登場する荻野晃也・京大助手(当時)の書いた文章によれば、松田氏は「この中央構造線は心配ない」旨のお墨付きを与えた御用学者であったとのことである。(>> リンク

これらの事業強行に対し、漁民を中心とする住民たちにより、1973年、伊方原発訴訟が起こされる。しかし、1号機、2号機についての裁判は2000年までに住民敗訴という決着をみている。現在では、1994年に運転開始された3号機を加えた3基が運用されているが、その3号機は2011年4月27日に定期検査(定検)に入り、7月の再開前に菅首相(当時)によりストレステスト実施が発表されたため運転を見合わせている。そして8月12日には点検もれが発覚、9月4日には1号機が定検に入った。現時点では、日本全体で54基のうち42基が定検中である。

鎌田慧『日本の原発危険地帯』(青志社)によると、伊方原発の建設に際してオカネで住民と漁協を強引にねじ伏せた過程があった(おそらくは、どこの原発地域とも同じように)。当初は1、2号機だけの予定であり、県知事、町長、電力の三者のあいだで締結された「安全協定」には、以下のようにあるという。

「丙(電力)は、発電所若しくはこれに関連する主要な施設を設置し、若しくは変更し、又はこれらの用に供する土地を取得しようとするときは、当該計画について、あらかじめ、甲(県)および乙(町)に協議し、その了解を得るものとする。この場合において、原子炉総数は、2基(1基の電気出力が56万kW級のもの)を限度とする」

しかしこれは、「協議、了解」を拠りどころとして反故にされる形となった。既に伊方町の予算は、新規事業の交付金をアテにしなければ成り立たない構造になっていた。まさに「毒まんじゅう」である。

著者(鎌田氏)は、福田直吉・伊方町長(当時)に会って将来について訊ねている。

「「いまはメリットを強調されていますが、たとえば20年後、廃炉になったとき、この地域はどうなるのでしょうか」
わたしはそうたずねた。
「3年、5年むこうのことでさえむずかしい。20年、30年あとのことは、あとの町長が考えます」
と彼は答えた。」

●参照(原子力)
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


今井正『ひめゆりの塔』

2011-10-09 04:15:08 | 沖縄

今井正『ひめゆりの塔』(1982年)を観る。今井正による自身の過去作品(1953年)のリメイク作である。脚本も水木洋子(市川市に多くの資料が寄贈されている)による同一のものであり、このようなパターンは稀なことに違いない(市川崑『犬神家の一族』もあった)。

舛田利雄『あゝひめゆりの塔』(1968年)に比べれば、雲泥の差と言っていいほど異なる作りだ。ひめゆり学徒の引率教師による体験記、仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』をもとにしているようで、やはり民謡以外が日本語であることの不自然さは仕方がないとしても、沖縄戦の実相をある程度反映したものとなっている。日本軍はガマから民間人を追い出し、怒りのあまり刀で斬りつけたりもする。そしてガマから出ていこうとする女学生を後ろから銃で撃ち殺す(それまで女学生に同情的だった井川比佐志にその役を与えているのが演出の妙か)。


『ひめゆりの塔を・・・』の表紙には映画のスチルが使われている

仲程昌徳『「ひめゆり」の読まれ方 : 映画「ひめゆりの塔」四本をめぐって』(琉球大学学術リポジトリ、2003年)においては、病院壕に置き去りにされる女学生の描かれ方に注目している。今井作品では、次のように、置いていく女学生に対し、教師が次のように食糧と自死のための青酸カリを与えるのである。

「きっと、迎えに来るから.・・・それまで待ってくれ・・・・食糧はかんめんぽうと缶詰が一個ずつ、ここにあるからね、若し、万一、敵がここへ来たら.・・・君も沖縄の女学生らしく・・・・覚悟をして。・・・この薬を・・・・」

この今井作品を含め、仲程論文では、壕置き去りは「「ひめゆり」の悲劇が雪崩を打っていく前兆としての一シーンとでもいえるものでしかなかった」とする。むしろ後の神山征二郎『ひめゆりの塔』(1995年)において描かれたように、実は米軍に救助されて病院に収容されていた女学生の言葉を入れたほうが、より苦い真実を伝え得たのだという解釈である。

「仲宗根は、病院から帰る道々こう思ったと書く。「敵として恨んだ米兵が、かえって教えを説いた先生よりも親切であった。渡嘉敷からしてみれば、壕にほうり捨てて去った先生や学友よりは、救ってくれた米兵のほうがありがたかったにちがいない。現実の結果としては、これが厳然たる事実である」と。」(仲程論文)

仲宗根「渡久地・・・・・・」
渡久地「せんせい・・・・・・」
仲宗根「・・・すまなかった」
渡久地「アメリカーに拾われました」
(神山作品)※名前は変えられている

>> 仲程昌徳『「ひめゆり」の読まれ方 : 映画「ひめゆりの塔」四本をめぐって』

参照
舛田利雄『あゝひめゆりの塔』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
『ひめゆり』 「人」という単位
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」(上江田千代さん)
沖縄「集団自決」問題(9) 教科書検定意見撤回を求める総決起集会(上江田千代さん)