モンゴルへの行き帰りに、田中克彦『草原の革命家たち モンゴル独立への道 増補改訂版』(中公新書、1973/90年)を読む。
モンゴル帝国(元王朝)は、草原の遊牧騎馬民族によって構築された世界であり、中国王朝の系譜に収まるものではない。しかし、この世界帝国は崩壊し、近代にいたり、モンゴルは清国と帝政ロシアとの間においてかろうじて成立していた。辛亥革命(1911年)後、清の支配から脱することを企図するが、依然、中華民国と帝政ロシアとの間で頭越しに国のかたちが決められた。それが、外モンゴルだけの自治権であった。
ロシア革命(1917年)によりソ連が成立し、こkでもモンゴル革命が起きる(1921年)。結果として、ソ連が崩壊するまでの間、モンゴルはソ連の傀儡国家であった。しかし、本書によれば、それははじめからのことではなかった。ソ連のコントロールのもと社会主義国家を成立させたのではなく、逆に、モンゴルがソ連を引き寄せ、独立を勝ち取ったのであった。
当時の英雄たちは「最初の七人」と呼ばれた。そのうちチョイバルサンを除く6人は革命後相次いで処刑され、チョイバルサンはスターリンにすり寄っての独裁者と化した。
―――しかし、歴史はそれほど単純ではなかっただろうと、本書には書かれている。チョイバルサンは曲がりなりにも独立国家モンゴルを維持し、日本軍を破ってもいる(ノモンハン事件)。今回モンゴル人とこの話題をしていて(飲みながらだが)、彼は、今では、スフバートルやボドーら英雄の死も、チョイバルサンも動きも、すべてソ連の意図あってのことだったと評価されているのだと言った。また、ノモンハン事件も、「ノモンハン戦争」と教わるのだと言った。
パワーポリティクスによって国のかたちが変えられたのは、何も内モンゴルと外モンゴルとの分断だけではない。本書によれば、ロシア国内のブリヤートは独立の中に入ることができず、トゥヴァはソ連に併合されたままとなってしまった。そして、独立に際しては、内モンゴルやブリヤートの者たちも歴史に名を刻んでいる。
モンゴルを見る目が変わる名著だと思う。現在も、モンゴルは日本、アメリカ、中国、ロシアによって押されたり引かれたりしているだけに、読んでおいて損はない。