小林英夫『ノモンハン事件 機密文書「検閲月報」が明かす虚実』(平凡社新書、2009年)を読む。
ノモンハンは、モンゴルと旧満州国との国境に位置する。ここでは、国境線の引き方を巡り、日本側とソ連側との間で頻繁に紛争が起きていたのだが、1939年、ついに大規模な衝突に至った。外モンゴルは、革命を経て1924年に独立していたが、事実上、ソ連の傀儡国家であった。なお、日本では「事件」と呼ぶが、モンゴルでは「戦争」と呼ぶという。実態はもちろん後者である。
この戦争において、日本軍は大敗を喫した。特に、戦闘の中心を担った第23師団の死傷・生死不明・捕虜を含めた損害率は7割近くにものぼり、全滅に近い結果であった。しかし、無惨な結果とは正反対に、日本や満州においては、まるで勝ったかのような報道が繰り広げられた。
著者は、関東軍による検閲記録をもとに、隠蔽の実態に迫っている。通常はこのような記録は出てこないが、戦後、吉林省での工事中に、地下から発見されたのである。関東軍司令官は、敗走時に記録を残さないため機密文書を焼却処分することを命じたが、この場合は、間に合わずに地中に埋めたケースであった。
検閲ぶりは想像を超えるほど徹底的なものだ。本書に挙げられている件数でいえば、戦争が本格化した1939年8月において、75万件の電報を検閲して1000件を処置、また69万件の郵便物を検閲して900件を処置。その中には、当然、ソ連軍が質量ともに日本軍を圧倒したことが、外部の相手に向けて綴られたものが多数含まれていた。また、撤退したり、捕虜交換によって帰還した将校には、自決勧告がなされ、このことも実態を消し去ることに貢献したという。
仮に、実態が外部に伝わっており、肉弾戦で戦車を多数破壊したとか、空中戦では日本が圧倒的に強かったといった虚像(実際には、戦争初期のみの話)が拡大再生産するようなことがなければ、さらなる日本軍の暴走が、多少なりとも食い止められたのではないかと思えてならない。
●参照
小林英夫『<満洲>の歴史』
島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
小林英夫『日中戦争』
田中克彦『草原の革命家たち』