張芸謀の最新作『帰来』(2014年)を、インターネット配信で観る。
文化大革命末期。余(コン・リー)の夫の陸は、長いこと政治犯として獄中にある。娘の丹丹は、そのために、ダンスの主演を務めることができないでいた。ある日、陸が逃走し、余の待つ家へとやってくる。余には、物音も、静かに回るドアノブも、夫によるものだということがわかる。ドアには鍵がかかっていた。そして丹丹が帰宅する。文革思想に染まっていた丹丹は、父と母とがともに逃げようとすることを当局に密告する。
3年後。文革が終わり、陸も還ってくる。しかし、精神的なダメージを受けている余には、陸のことがわからない。父娘が何を試みても無駄。陸は、かつて自分が書き、届けられることがなかった大量の余への手紙を、他人として余に読み聞かせてやる。その中に、娘と仲直りせよと新しいメッセージを紛れ込ませたりしながら。
何年経っても、余は、夫の手紙に「5日に還る」とあったことを頼りに、毎月、夫が帰還してこぬかと駅に通い続ける。夫の陸とともに。
『サンザシの樹の下で』(2010年)に続く、張芸謀の文革物である。如何に中国人にとって、文革が精神的な傷となっているのかを思い知らされてしまうのだが、それも、かつて、語ること自体がなかなか許されなかったからでもあるだろう。謝晋『芙蓉鎮』(1987年)や陳凱歌『さらば、わが愛 覇王別姫』(1993年)といった例外はあっても、田壮壮『青い凧』(1993年)や張芸謀本人による『活きる』(1994年)は、共産党政策への批判だとみなされ、中国国内での上映が不可能であった。
本作では、人生の20年を台無しにされた陸や、それによって精神に変調をきたす余や、幼少時から差別を受ける丹丹は、その不満を政府に訴えることもなく、また、報いられることもない。張監督による当局への配慮というよりも、ありのままの文革を見せたかったのではないかと思えてならない。
逃走してきた夫のもとに行こうとする前の晩、余はゆっくりと粉をこね、饅頭を蒸す。翌日、駅では、当局に阻まれ、夫の手を握ることさえできず、せっかくの饅頭が陸橋の上に散乱する。また、その後、余はドアの横に「鍵は掛けないこと」と書いて、ずっと貼っている。
もう心が千切れそうである。映画巧者だということはわかっていても、心を動かされてしまう。
●張芸謀
『紅いコーリャン』(1987年)
『菊豆』(1990年)
『紅夢』(1991年)
『活きる』(1994年)
『上海ルージュ』(1995年)
『初恋のきた道』(1999年)
『至福のとき』(2000年)
『HERO』(2002年)
『LOVERS』(2004年)
『単騎、千里を走る。』(2006年)
『サンザシの樹の下で』(2010年)