Sightsong

自縄自縛日記

金達寿『朴達の裁判』

2014-11-24 22:28:21 | 韓国・朝鮮

金達寿『朴達の裁判』(東風社、原著1948-58年)を読む。

金達寿(キム・ダルス)は在日コリアンの作家であり、長編『玄界灘』(1953年)などが代表作。後年には小説よりも歴史研究に没頭している。本書は短編集であり、戦後、1948年から1958年にかけて書かれている。

すべての作品に共通していることだが、ひたすらに鬱屈している。もちろんそれは当然と言えるようなものであって、日本の官憲から隠れるようにして暮らす生活を描く「司諫町五十七番地」はもとより、解放後を舞台とした他の作品でも、そこに描出されているのは、本質的に国を奪われたままの姿でもあったからだ。

在日コリアンたちが朝鮮に渡る際にも、南か北か、そして北であっても「北鮮」と呼ぶのか「朝鮮」と呼ぶのか、アイデンティティという足許を揺さぶられるような事態。さらには、韓国では、共産主義というだけで死を意味する時代がやってくる。そして、在日コリアンは、日本での生活を続けざるを得ない。絶えず、お前はナニモノダという踏み絵を前にしたような状況のなかで生みだされた小説群なのである。

そんな中での表題作「朴達の裁判」は、奇妙にコミカルだ。主人公の朴達(パク・タリ)は、教育を受けておらず、組織のヒエラルキーとはまったく無縁なところで社会運動を続ける。逮捕されるたびに、飄々と「転向」するという型破りさは、筋金入りの「運動家」からは信じられない存在であった。民衆のバイタリティーに向けられた、小説家の視線を感じるのだがどうか。

●参照
金達寿『玄界灘』
金達寿『わがアリランの歌』


エリック・ドルフィーの映像『Last Date』

2014-11-24 10:15:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

エリック・ドルフィーは、1964年6月、オランダにおいて傑作『Last Date』を録音する。そして同月、パリ、ベルリンへと移動し、糖尿病が悪化して亡くなる。このDVD(監督:Hans Hylkema、1991年)は、そのころのドルフィーを追ったドキュメンタリーである。

さまざまな関係者たちの証言がある。『Last Date』の録音は、オランダの若い3人(ミシャ・メンゲルベルグは29歳、ハン・ベニンクは22歳!)には大変なハードルであり、教育の場でもあったようだ。

ハンは、コルトレーンとドルフィーとが共演したライヴを観たときの印象をこう語る。「トレーンはソロに入るときにlazyだったけれど、ドルフィーは鷹が襲うようにマイクに近づきバスクラを急に吹き始めた。そんなジャズマンははじめてだった」と。また、「ジョニー・グリフィンとも共演したけど、ドルフィーは格が違った」とも。

やはり多くの者に強い印象を残したのはバスクラだったようで、アルトサックス奏者のTinus Bruinが「まったく理解できず児戯にしか聞こえなかった」と告白する一方で、ドルフィー研究家のThierry Bruneauは、採録した楽譜を示しながら、何オクターブもジャンプする独特の技術を示す。ファイヴ・スポットで共演したリチャード・デイヴィスは、「かれのバスクラには、たくさんのエネルギーとフィーリングがあった」と思い出してもいる。そして、ジャキ・バイアードは、「魔術」と。

少年時代のドルフィーは練習魔だった。おばさんや先生の、「一日中練習してたんだよ」という証言もある。ドルフィーはそのまま、音楽ばかりを考える大人になった。それにも関わらず、黒人のジャズ・ミュージシャンというだけで、死の間際も、どうせドラッグだろうとたかをくくられていたという。

ヨーロッパでのチャールズ・ミンガスとのツアーを経て(1964年4月12日・ストックホルム、4月13日・オスロでの映像がある)、ドルフィーは、そのままヨーロッパに残ると告げる。バイアードの証言によると、「そりゃあミンガスは怒ったよ(mad)」と。ミンガス「どのくらいヨーロッパにいるつもりなんだ?」、ドルフィー「長くないよ」、ミンガス「長くないって?」、ドルフィー「1年もないよ」といったやり取りの映像も収録されているのは面白い。

そのころには、「いとこ」だというJoyce Mordeaiという女性と結婚する予定になっていた。彼女はダンスをやっていて、その活動のため、パリに行くことにしていて、だからこそドルフィーも同行した。諍いもあって幸せとばかりは言えなかったようだが。そのときドルフィーは体調を崩していて、彼女によると、「眼がどんよりしていた」と。

ベルリンでの日々。ライヴハウスの世話人がホテルに呼びにいったところ、本当にひどい様子で、アイスクリームを大量に食べていた。最後のステージでは、少し音を出したもののそのまま楽器を取り落とす。そして入院し、亡くなる。ここにも収録されているリハーサル映像も、ミンガスとのライヴも、実に余裕があってエネルギッシュであり、とても、すぐに亡くなるようには見えない。糖尿病とはそのようなものだったのだろうか。

なお、DVDには、映画完成当時(1991年)の「ドルフィー抜き『Last Date』」のライヴが収録されている(ドルフィー役はPiet Noordijkというサックス奏者)。20年以上経った今からみれば、当然だが、ハンもミシャも若くて嬉しくなってしまう。


ICPオーケストラ ミシャ・メンゲルベルグ、トリスタン・ホンジンガーら(2006年) Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、Tri-X(+2)

●参照
エリック・ドルフィー『At the Five Spot』の第2集
ハン・ベニンク@ディスクユニオン Jazz Tokyo
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ミシャ・メンゲルベルグ)
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8
レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』(ハン・ベニンク)
ウェス・モンゴメリーの1965年の映像(ハン・ベニンク)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(ハン・ベニンク)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(ハン・ベニンク)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(ハン・ベニンク)
横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』