Sightsong

自縄自縛日記

ジェラルド・グローマーさん+萱森直子さん@岩波Book Cafe

2014-11-19 23:32:43 | 東北・中部

岩波書店の「岩波Book Cafe」という場で、『瞽女うた』を書いたジェラルド・グローマーさんと、越後瞽女うたの伝承者である萱森直子さんのトークがあるというので、足を運んだ。(実は、7月に開催予定だったのだが、大雨で延期になっていたのだ。)

グローマーさんによると、今回の著作で強調したかったことは3つ。今では新潟だけに歌が残されているものの、瞽女(ごぜ)と呼ばれる人は新潟だけではなく、甲府、静岡、長野、岐阜、名古屋、千葉、九州、北海道などあちこちにいたこと(ただ、関西には資料がなく、また、東北ではむしろイタコなどの宗教者になってしまうという)。歴史を検証したかったこと。社会学的・文学的な研究対象としてではなく、音楽そのものの魅力を見出していること。

瞽女は、「御前」から由来しているように、差別用語ではない。しかし、社会の底辺にあって、年中旅をする障害者として、しばしば差別の対象になってきた。それに抗するための手段が組織化であり、スケジューリング、相互扶助、歌の伝承といった機能があった。彼女たちは、毎年同じ時期に同じ町にあらわれ、芸を披露した。

歌にも不思議な面があって、主に旋律は同じだが歌詞が次々に変わるといった特徴もあった。たとえば、お祝いの席においてや稲の苗に向かって歌った口説(くどき)のひとつ「正月祝口説」は、悲惨なる「心中口説」と同じメロディーであったという。

こういった特徴や、節回しの長さが不定形であることを含めて、萱森さんは、「形のないもので完成形がないが、間違いはある」と表現した。実際に、何曲か萱森さんが歌ってくれたが(「瞽女松坂」、「雨降り歌」、「正月祝口説」、「祭文松坂」の「石堂丸」)、確かに旋律がなんとも表現しがたいものだ。聴いていると、吸い込まれてしまいそうである。

●参照
ジェラルド・グローマー『瞽女うた』
篠田正浩『はなれ瞽女おりん』
橋本照嵩『瞽女』


田原洋『関東大震災と中国人』

2014-11-19 07:12:16 | 関東

田原洋『関東大震災と中国人 王希天事件を追跡する』(岩波現代文庫、原著1982年)を読む。

関東大震災(1923年)の直後、さまざまなデマに煽られて、一般市民や軍人や官憲が、一般市民を多数虐殺した。対象は朝鮮人と中国人であり、東京の言葉を流暢に話せない者も否応なく巻き込まれた(沖縄人もその中に含まれていた)。デマは官憲主導でもあった。また、それに乗じて、官憲や軍が常々目を付けていた活動家や運動家たちも殺害された(大杉栄殺害事件亀戸事件)。

本書は、当時の中国人コミュニティを取りまとめていた王希天という人物(吉林省出身)が、陸軍によって殺害された事件を検証している。

本書によれば、震災による死者・行方不明者14万余人のうち約8千人は、戒厳令と群衆心理によって引き起こされた「不当殺人」の犠牲者であり、大部分(6千数百人)は朝鮮人、400人以上が中国人、そして数百人単位の日本人が含まれていた。一方、より新しい研究書である加藤直樹『九月、東京の路上で』によれば、朝鮮人だけで1,000人以上、加えて中国人も200数十人~750人が殺されたと推定されるという。計算の前提や方法が異なるのだろうが、いずれにしても、これだけの人数が幅付きの概数でしか数えられないことがおそろしいことだ。

陸軍は、ひとりの軍人の思い付きによってではなく、組織的な命令のもと、王希天を背後から斬り殺した。そこにあったのは、おそるべき差別意識と、そうしても仲間内で許されると考える狭いタコツボ意識であった。事が国際的に発覚しそうになると、陸軍、警察、政府で入念な口裏合わせを行って、徹底的な隠蔽工作を図った。

こうなると、どうしても現在の状況との類似性を考えずにはいられないのだが、もうひとつ、メディア統制という類似性がある。王希天殺害事件について、小村という読売新聞の記者が大々的に記事にしようとしたところ、ごく少数が刷られたあとに、原版の活字がそっくり削られてしまったという(なお、後日、印刷されたものが発見されている)。警視庁の正力松太郎が読売新聞の経営権を買収し社長に就任するのは、翌年の1924年であった。(その後の正力の活動については、有馬哲夫『原発・正力・CIA』に詳しい。)

●参照
加藤直樹『九月、東京の路上で』
伊藤ルイ『海の歌う日』(大杉栄殺害事件)
藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』(亀戸事件)
山之口貘のドキュメンタリー(沖縄人の被害)
平井玄『彗星的思考』(南貴一)
道岸勝一『ある日』(朝鮮人虐殺の慰霊の写真)
『弁護士 布施辰治』(関東大震災朝鮮人虐殺に弁護士として抵抗)
野村進『コリアン世界の旅』(阪神大震災のときに関東大震災朝鮮人虐殺の恐怖が蘇った)