Sightsong

自縄自縛日記

デイビッド・ウォルトナー=テーブス『排泄物と文明』

2014-11-29 19:52:11 | 環境・自然

デイビッド・ウォルトナー=テーブス『排泄物と文明』(築地書館、原著2013年)を読む。

 

要するに、ウンコの本である。原題は『The Origin of Feces』(『糞便の起源』)、つまりチャールズ・ダーウィン『The Origin of Species』をパロッている。 

人はウンコが嫌いで好きである。認めてはいるが視ていない。有用であり有害である。ヘンにタブーだからヘンなことになる。

所詮は、消化しきれなかった食べ物と、水と、バクテリアの塊である。それが、生態系の主役のひとつでもある。すなわち、ウンコを真っ当に評価して扱わないことには、食糧問題も公衆衛生も解決できない。著者がユーモラスにたくさんのネタとともに迫るのは、まさにそのことである。

読みながら思い出したこと。

わたしは腹が弱い。真っ青になって必死に走ったのは、日本ばかりではない。バンコクのスーパーマーケット(綺麗なトイレだった)。ハノイの空港(タクシーで冷房に当たりすぎた)。インドネシアの離島の空港(あまりにも汚く、水も出なかった)。ネパール・ポカラの街(買い物をしている途中だったので、支払う前に預けてまた戻った)。紹興(間に合って出ていくと、仲間に万歳三唱をされた)。・・・思い出せばまだありそうだ。

これがあまりにも酷い("OPP")と、トイレに通い詰めることになる。イエメン・サヌアの宿では、本来使ってはならない紙をたくさん使ってしまったために、トイレが詰まったようで、掃除をしていた男に、お前だろう、わかっているぞと言わんばかりの形相で睨まれてしまった。用を足したあとに紙でなくバケツの水を使う文化は多いのである。そんなわけで、本書にもイエメンについての言及があってドキリとした。イエメンが「近代化」されると水洗トイレが増え、サヌアでは水不足と地下水位の低下が起きているのだという。まるで「近代化」の先兵としてトラブルを起こしたような気がしてくる。申し訳ない。

そのあとも下痢は止まらず、紅海へと向かう車のなかで「ハンマーム!」と言って止めてもらっては、サボテンの陰に隠れた。そのサボテンは他よりも大きくなっただろうか。まるで生態系に悪影響を与えたような・・・それはないか。(ちなみに、「ハンマーム」という言葉は、英語の「バスルーム」と同様に、風呂のことも指す。)

もうひとつ思い出したこと。

インド・ムンバイは海辺の街。早朝に散歩して海に着いたところ、たくさんの男たちが佇んでいる。みんな、しゃがんでいる。仰天した。ここまで多ければ生態系の一部として評価すべきものだろう(どちらの影響かわからないが)。本書でムンバイの話として示しているのは、映画『スラムドッグ$ミリオネア』の中で、突然あらわれた映画スターのサインが欲しいがために、肥溜めに飛び込んだくだり。そのことだって、ウンコの管理や処理という問題を垣間見せてくれるものなのである。

もうひとつ・・・。キリがない。このように恥ずかしい話のネタとして扱われることが、ウンコの置かれた状況を示すものでもあるだろう。ウンコを直視すべし。


キース・ジャレット+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Hamburg '72』

2014-11-29 14:20:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

キース・ジャレット+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Hamburg '72』(ECM、1972年)を聴く。

Keith Jarrett (p, ss, perc, fl)
Charlie Haden (b)
Paul Motian (ds, perc)

同名のライヴ映像と同じ音源の一部が使われた再発である(2014年)。映像は昔のテレビ放送だけあって画質も音質も良くないため、このようなリマスタリングは大歓迎なのだ。しかも、考えられないほどクリアで瑞々しい。これは嬉しい。

キースの若い頃の演奏に接すると、最良のもの、天才のコアは既にそのはじまりからあらわれているのだと思えてならない。特に映像を観ると、「音楽」が服を着て魅力を爆発的に発散していることを実感する(そのときの写真が、CDのライナーにも収められている)。キースはピアノを弾くときも、ソプラノサックスを吹くときも、妙な打楽器を叩くときも、ひたすらに嬉しそうだ。アメリカンフォークの匂いもある。

勿論、ヘイデンのベースの残響も、モチアンのドラムスの自在に伸縮するさまも聴くことができる。パーフェクト。

●参照
キース・ジャレット『Facing You』(1971年)
キース・ジャレット『Arbour Zena』(1975年)
キース・ジャレットのインパルス盤(1975-76年)
70年代のキース・ジャレットの映像(1972、76年)
キース・ジャレット『Staircase』、『Concerts』(1976、81年)
ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』、クリストのドキュ、キース・ジャレットのグルジェフ集 (1980年)
キース・ジャレット『Standards Live』(1985年)


『苦悩の人々』再演

2014-11-29 09:47:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

アレックス・クライン『For People in Sorrow』(Cryptogramophone、2011年)を観る。なお、同内容のDVDとCDのセットである。

Oliver Lake (as, fl)
Vinny Golia (woodwinds)
Dan Clucas (cor, fl)
Dwight Trible (voice)
Jeff Gauthier (e-vln)
Maggie Parkins (cello)
Mark Dresser (b)
Myra Melford (p, harmonium)
Zeena Parkins (harp)
G.E. Stinson (el-g, electronics)
Alex Cline (perc)
Sister Dang Nghiem (chant, bell [pre-recorded])
Larry Ward (opening poem)
Will Salmon (conductor)

タイトル通り、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)による『People in Sorrow』(『苦悩の人々』)に捧げられた再演であり、メンバー数はAECの4人から大幅に増えている。そのため、指揮者は、時折、異なった色のボードを演奏者に示す。これがどのようなルールなのかはわからない。

AECは、ひたすらソロの傍らで管楽器による単音を続けて、聴く者の耳と脳とにストレスを与え、おそらくは「sorrow」を表現した。ここでは、マイラ・メルフォードのハルモニウムがその役割を担い、大きな効果をあげている。ヴィニー・ゴリアの柔軟な管の音は悪くないが、それよりも、オリヴァー・レイクのノイズだらけのサックスが、内奥へ内奥へとえぐっていくようで耳を奪われる。

オリジナルのみが持ちうる凄味はないが、素晴らしい集団即興のパフォーマンスだ。

●参照
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「苦悩の人々」演奏)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「苦悩の人々」演奏)