Sightsong

自縄自縛日記

寺下誠『Great Harvest』

2017-02-17 23:12:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

寺下誠『Great Harvest』(テイチク、1978年)を聴く。

Makoto Terashita 寺下誠 (p)
Bob Berg (ts)
Errol Walters (b)
Jo Jones Jr. (ds)
Yoshiaki Masuo 増尾好秋 (g) 

時代なのか、影響なのか、寺下さんのピアノはマッコイ・タイナーを思わせる。新宿ピットインにおいてエルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンの一員として寺下さんが弾いたのを観たときも、そう思った。独特の和音を次々に重ねながら、熱く前に進むピアノである。

しかし、本盤を聴くと、それに加え、<日本>的なテイストを感じざるを得ない。余裕や懐の深さもあって、ついニッコリ。

わたしが過去に通っていた学校では、よく待合室で愉快な話をされていた(公園でサックスを練習している若者がいて、つい良いねえと声をかけちゃったよ、とか)。また、年に1回の発表会セッションでは、わたしが吹く後ろでピアノを弾いてくださった(自分が吹くのに精一杯でよく覚えていないが)。

ああ、ライヴに行きたくなった。


『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』

2017-02-17 21:43:16 | 東北・中部

『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』(筑摩書房)を読む。

どこかで筒井康隆が書いていたと記憶しているのだが、「注文の多い料理店」における、「二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。」という表現の際立った肉感性。ルイス・ブニュエルを思い出すまでもなく、食べることはエロチックであり、食べられるとなればなおさらである。しかも、大の男ふたりが、である。「一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。」というラストシーンも、滑稽であり、かつ怖ろしくもあり、宮沢賢治の凄さを感じざるを得ない。

ところで、面白いことに、他の短編でも賢治は同じような表現を使っていることに気が付いた。大傑作「寓話 猫の事務所」でも、みんなに厭われている「かま猫」(寒くてかまの中で寝るからである)も、足を腫らしてしまい「泣いて泣いて泣きました」。「朝に就ての寓話的構図」では、蟻の子供たちが「笑って笑って笑います」。否応なく喜怒哀楽の心を持ち上げてくれる、たいへんな力である。それでも泣く5連発の「注文の多い料理店」の破壊力がいちばんである。

人びとと森とが当然のように呼応する「狼森と笊森、盗森」。夜中の透明感ある夢のような「鹿踊りのはじまり」。電信柱などに人格を持たせおおせた「シグナルとシグナレス」。静かにウットリと語るだけになおさら怖ろしい「オツベルと象」。音が聴こえるようで、齋藤徹さんがバッハを弾いていたときにその風景とシンクロした「ざしき童子のはなし」。つげ義春が描く辺境のような「泉ある家」。

少年時代に読んだもの、最近思い出したように読んだもの、はじめて触れるものなどがある。そのどれもが味わい深く、ときにギョッとさせられ、またときにほうとため息を吐かされる。

●宮沢賢治
『宮沢賢治コレクション1 銀河鉄道の夜』
横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
吉本隆明のざっくり感


ラファル・マズール+キア・ニューリンガー『Diachronic Paths』

2017-02-17 21:02:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラファル・マズール+キア・ニューリンガー『Diachronic Paths』(Relative Pitch Records、2013年)を聴く。

Keir Neuringer (as)
Rafal Mazur (bass g)

ニューリンガーのサックスとマズールのベースギターとのデュオ。単なるストイックな即興のぶつかり合いではなく、また、どや顔での技術のショーケースでもない。各々がソロ・パフォーマンスを展開しながら、相手のことも常に気にかけているような、不思議な感覚である。

とくにニューリンガーについて、曲によってみせる貌の違いが面白い。「Second Path」では割れた音によるマルチフォニック・サウンド。「Third Path」では循環呼吸。「Fifth Path」ではエチュードにも聴こえる執拗な繰り返し。「Sixth Path」ではささくれた底辺での蠢き、ときに顔を出す傾奇者。

そして、マズールのベースギターがこれ見よがしでない闊達さであり、常に追求というものを思わせる。

半年以上前に「JazzTokyo」誌のコラムを翻訳しておきながら、そのレビューに耳と脳とが引っ張られるのではないかと思い、いままで聴かずにいた。あらためて、ジョン・モリソン(フィラデルフィアのDJ・プロデューサー)による文章を読みかえしてみると、確かに納得できる。

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2016/7/1)