新川の七針に足を運び、「りら」を観る(2017/2/25)。
笠松環 (朗読、声)
佐々木久枝 (書道、華道)
鈴木ちほ (バンドネオン)
Special Guest:齋藤徹 (コントラバス)
「りら」とは、齋藤徹さんのワークショップをきっかけに出来たトリオだという。この日、闘病中のテツさんも参加した。もちろん駆けつけないわけにはいかない。
パフォーマンスの開始は始業のベルから、と思いきや、鈴木ちほさんの打ち鳴らすトライアングル。
直立した笠松環さんがいきなり滔々と朗読しはじめたのは「就業規則」だった。それはカリカチュア化した恐るべき規則のようにも、それが現実化した紛れもない本物の規則のようにも聴こえた。もっともアートから離れたところにありそうな、「カッコ、4」、「漏らすこと」、「酒気帯び運転」、「許可」といったタームが換骨奪胎されて迫ってくる。「酒気」にかぶせてテツさんや鈴木さんによるシュキシュキという発声が、それらのタームを異化してゆく。滔々としゃべっていたはずの笠松さんという朗読機械も、ときに、「ただし」・・・「やむを得ない」・・・「事由が」・・・「ある場合には」・・・と、機能不全を起こしてしまう。
テツさんの流れるようなソロ、しかし、破裂音によるノイズ。まさにテツさんの音であり、嬉しくなる。鈴木さんのバンドネオンの音色も素晴らしく良くて、次の展開への予兆となるような曲調へとシフトする。囁き、突っつき合うようなふたり。
佐々木久枝さんが紙を破り、墨で痕跡を残し、こすれる音とともに笠松さんの身体を覆ってゆく。その間にも、世界は、身体への直接的な脅威へと変化していた。裁判所への出頭、妊産婦、育児、生理、無休無給。またしてもムキュー、ムキューの発声、自暴自棄、これは世界を取り戻そうとする下からの声か。そして世界は身体からオカネへと変貌してゆく。「賞与は支給しない」・・・!。
紙と墨とコントラバスとバンドネオンと声による騒乱、ここに来て言葉と世界とのどちらがどちらなのか混淆とする。笠松さんは座り込んで頬杖をついて動かなくなってしまう。その諦念と、遠くで聴こえる笛や太鼓のような音が重なる。世界への屈服か、あるがままの世界の受容か。しかし、そこから世界がふたたび開けるかのように、人間は動きはじめる。人間に抗する世界が提示するものは、懲戒、罰則、賠償。
そして笠松さん=人間は横たわり、紙=言葉と、花=人間の無力、に埋もれてゆく。「無」、「無」、「無」。昇華。春。
Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4
●齋藤徹
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン
●鈴木ちほ
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)