Sightsong

自縄自縛日記

りら@七針

2017-02-26 08:38:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

新川の七針に足を運び、「りら」を観る(2017/2/25)。

笠松環 (朗読、声)
佐々木久枝 (書道、華道)
鈴木ちほ (バンドネオン)
Special Guest:齋藤徹 (コントラバス)  

「りら」とは、齋藤徹さんのワークショップをきっかけに出来たトリオだという。この日、闘病中のテツさんも参加した。もちろん駆けつけないわけにはいかない。

パフォーマンスの開始は始業のベルから、と思いきや、鈴木ちほさんの打ち鳴らすトライアングル。

直立した笠松環さんがいきなり滔々と朗読しはじめたのは「就業規則」だった。それはカリカチュア化した恐るべき規則のようにも、それが現実化した紛れもない本物の規則のようにも聴こえた。もっともアートから離れたところにありそうな、「カッコ、4」、「漏らすこと」、「酒気帯び運転」、「許可」といったタームが換骨奪胎されて迫ってくる。「酒気」にかぶせてテツさんや鈴木さんによるシュキシュキという発声が、それらのタームを異化してゆく。滔々としゃべっていたはずの笠松さんという朗読機械も、ときに、「ただし」・・・「やむを得ない」・・・「事由が」・・・「ある場合には」・・・と、機能不全を起こしてしまう。

テツさんの流れるようなソロ、しかし、破裂音によるノイズ。まさにテツさんの音であり、嬉しくなる。鈴木さんのバンドネオンの音色も素晴らしく良くて、次の展開への予兆となるような曲調へとシフトする。囁き、突っつき合うようなふたり。

佐々木久枝さんが紙を破り、墨で痕跡を残し、こすれる音とともに笠松さんの身体を覆ってゆく。その間にも、世界は、身体への直接的な脅威へと変化していた。裁判所への出頭、妊産婦、育児、生理、無休無給。またしてもムキュー、ムキューの発声、自暴自棄、これは世界を取り戻そうとする下からの声か。そして世界は身体からオカネへと変貌してゆく。「賞与は支給しない」・・・!。

紙と墨とコントラバスとバンドネオンと声による騒乱、ここに来て言葉と世界とのどちらがどちらなのか混淆とする。笠松さんは座り込んで頬杖をついて動かなくなってしまう。その諦念と、遠くで聴こえる笛や太鼓のような音が重なる。世界への屈服か、あるがままの世界の受容か。しかし、そこから世界がふたたび開けるかのように、人間は動きはじめる。人間に抗する世界が提示するものは、懲戒、罰則、賠償。

そして笠松さん=人間は横たわり、紙=言葉と、花=人間の無力、に埋もれてゆく。「無」、「無」、「無」。昇華。春。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●齋藤徹
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン

●鈴木ちほ
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年) 


原田依幸+後藤篤@なってるハウス

2017-02-26 07:48:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウスにて、原田依幸・後藤篤デュオ(2017/2/25)。

Yoriyuki Harada 原田依幸 (p)
Atsushi Goto 後藤篤 (tb) 

後藤さんのトロンボーンを聴くと、なぜだかウルトラセブンやサンダーバードに出てくるようなエンジン付の金属機械を幻視する。閾値を超えて管がぶりぶりと共鳴するためか、それが金管そのものであるためか、藤川球児の直球のようにバットの上を超えていくのだという気概を感じるためか。

原田さんのピアノは、絶えず上から下へ、下から上へと激烈に往還する。両者ともチアノーゼになりそうなところ、その活を音楽の形にして創出する。こんな雰囲気かと予想はできても、もちろん演奏はそれを目の前で次々に凌駕して塗り替えていく。これを快感と言わずして何と言おう。

セカンドセットは、40分が過ぎるころ、唐突に「その時」が来たのか、原田さんが演奏をぴたりと終えた。 

●原田依幸
生活向上委員会2016+ドン・モイエ@座・高円寺2(2016年)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)
くにおんジャズ(2008年)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)
生活向上委員会大管弦楽団『This Is Music Is This?』(1979年)
『生活向上委員会ニューヨーク支部』(1975年) 

●後藤篤
後藤篤『Free Size』(2016年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『blacksheep 2』(2011年) 


中平穂積、セロニアス・モンク、渋谷

2017-02-26 00:21:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

先日、新宿ゴールデン街のBar十月に中平穂積写真展『Jazz Giants』を観に行ったところ、何でも急に中平さんがその気になったとかで、展示されている写真が売られていた。値段は言わないが、これで中平穂積オリジナルプリントが買えるとは信じられないくらいである。

慌ててわたしも1枚買ってしまった。スーツを着て大汗をかいているモンクの写真には既に買い手が付いていたので、その次に好きだと思ったモンクの写真に、購入印を貼った。1963年、モンクが来日した時に、渋谷の街を歩いている写真である。これも凄く良い。

写真展が終わって、十月のかずこママからもメールが来たので、飲みがてら受け取りに足を運んだ。扉を開けたら、そこには写真家の海原修平さんが座っていて仰天した。上海から帰国されていたとは知らなかった。以前にここで写真展を開き、お店を紹介してくださった方である。そんなわけですっかりご馳走になり、酔って写真を忘れないようにと気を付けながら帰宅した。

ところで、この写真が撮られた場所がわからない。「かりよん」、「とんかつ あら井」、「モコ」をググってみても、もうお店がないのか、ヒットしない。いつか同じ場所で同じポーズを取ってみたいものだ。

●参照
中平穂積写真展『Jazz Giants』@Bar十月
中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』