上原善広『日本の路地を旅する』(新潮文庫、原著2009年)を読む。
路地とはつまり言い方を変えれば被差別である。著者の出自も大阪のそういった地域であり、肉屋が多く独特な雰囲気を持っていたという。ただし、路地の特徴は場所によってまったく異なっている。屠肉業であっても、牛や馬。犬を扱っていた地もある。皮を使う場合も、太鼓、剥製、靴などさまざまである。という呼び方さえ同じではない(わたしの田舎でも集落のことをと呼んでいた)。そしてまた、エタ、ヒニンなどの歴史だって同様ではない。
著者は、日本津々浦々の路地を訪れては、その地でかつて何があり、いま誰が生きているのかを見出そうとし続けている。路地があまり無いと言われていた北海道や東北にも、「本土」から流れてゆき「京太郎」として伝統芸能の流れを作った沖縄にも、また離島にも足を運んでいる。この原動力は何だろう、まるでなにかに憑りつかれたようだ。
そこから見えてきたものは、地域がいくら離れていても、路地と路地とがつながっていたことだった。たとえば、明治初期に滋賀県の路地から浅草を経て墨田区の路地に移ってきて製革を業とした者が多かったように。またそれゆえに、あぶらかす(牛の腸を牛脂で揚げたもの)や、さいぼし(牛や馬の燻製)といった路地の食べ物も、その地、その地のものでありつつも、離れていても共通していたりもする。
路地は誰の中にもある。