Sightsong

自縄自縛日記

沖縄国際大学南島文化研究所編『韓国・済州島と沖縄』

2018-06-25 22:16:14 | 韓国・朝鮮

沖縄国際大学南島文化研究所編『韓国・済州島と沖縄』(編集工房東洋企画、2009年)を読む。

このような企画だからタイトルに入れざるを得なかったのかも知れないのだが、本書の中で沖縄についてはほとんど言及されていない。論文が8本収録されており、無理に沖縄とのつながりを見出そうとしつつ、それがないことを呟いているような有様である。ちょっとこれは問題があるのではないか。

またそれぞれの内容も、時代遅れだったり、単に魚介類のリストを並べているだけだったり(韓国語でのみ)、まあほとんど読み応えはない。

面白い発見はひとつだけ。済州島は火山島であり、島の多くが火山灰土壌で覆われている。一般に、肥沃度は非火山灰性土壌のほうが高い。そして、草刈歌の曲調を分析してみると、火山灰性土壌の場所では物悲しく、非火山灰性土壌の場所では明るいという。火山が人の行動を知らず知らずのうちに支配していたということである。

●済州島
済州島、火山島
済州島四・三事件の慰霊碑と写真展
済州島の平和博物館

済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
文京洙『新・韓国現代史』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
梁石日『魂の流れゆく果て』
(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
三河島コリアンタウンの伽耶とママチキン
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」
「岡谷神社学」の2冊


森山威男『East Plants』

2018-06-25 21:32:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

森山威男『East Plants』(VAP、1983年)を聴く。

Takeo Moriyama 森山威男 (ds)
Hideaki Mochizuki 望月英明 (b)
Shuichi Enomoto 榎本秀一 (ts, ss)
Toshihiko Inoue 井上淑彦 (ts, ss)
Yoji Sadanari 定成庸司 (per)

未聴だったので待望の再発(油井正一のガイドブックにも紹介してあって聴きたかった)。

手の付けられない勢いがあって、あっという間に最後まで行き着く。定成庸司のパーカッションがいつにない色を付けていて面白い(長らく沖縄県立芸術大学で教鞭をとっていた人だったんだな)。そしてやはりツインサックス。井上淑彦の乾いた音色と得意な節回しが聴こえてくると嬉しくなる。

森山威男のドラムスはもちろん独自の嵐。「竹」でのスティックにも「遠く」でのブラシにも興奮。やはりここでも森山威男得意のクライマックスのパターンがあって、待ってました、なのだ。それが何かと言えば、名作中の名作『Live at Lovely』と聴き比べて欲しい。

●森山威男
森山威男3Days@新宿ピットイン(2017年)
森山威男@新宿ピットイン(2016年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
森山・板橋クインテット『STRAIGHTEDGE』(2014年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
『森山威男ミーツ市川修』(2000年)
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』(1980、90年)
松風鉱一『Good Nature』(1981年)
内田修ジャズコレクション『宮沢昭』(1976-87年)
宮沢昭『木曽』(1970年)
見上げてごらん夜の星を
渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』、若松孝二『天使の恍惚』


上野英信『出ニッポン記』

2018-06-25 07:21:18 | 中南米

上野英信『出ニッポン記』(現代教養文庫、原著1977年)を読む。

 『追われゆく坑夫たち』(1960年)の続編的に書かれたルポである。1960年前後には既に石炭産業が傾いており、また三井三池炭鉱の大量解雇と争議があった。それに伴い、資本側は国策にのって炭鉱労働者の海外への移民を企図し、実施した。上野英信は、ブラジル、コロンビア、ドミニカ、アルゼンチンなど、中南米に流れていった炭鉱労働者のもとを訪ね、何が起きたのかについて聞き書きを行った。

もとより中南米移民の歴史はもっと遡る(1908年~)。石炭産業においても、人を人として扱わず資源として使い潰す国策と資本の歴史があった。著者も指摘するように、三井資本は1886年から囚人を使って西表島での採炭を開始した(三木健『西表炭坑概史』に詳しい)。また、1889年には三池炭鉱を下賜され、1930年まで囚人使役を継続した。その石炭産業が斜陽になった時期の棄民政策の実施であったと言える。 

南米での労働は、炭鉱がそうであったように、極めて過酷なものであったようだ。甘言に釣られて海を渡り、騙されたと知るケースが多々あった。多くの者がろくでもない土地を転々として、野菜や穀物や果物の栽培を行い、貧困にあえいだ。既に炭鉱労働で指を無くしていたり肺をやられていたりという者も多く、そのために現地で亡くなったという話も少なくない。そして契約文書には、もし日本に帰らざるを得ない場合には自己負担などといった酷い条件が書かれていた。医師もろくにいなかった。戦争遂行体制と同じである(吉田裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』)。

現地での受容はどうだったか。確かに「順応性」を買われた場合もあったが、日本人特有の醜い行動もあったようだ。出身県で固まり(南米まで行って、他の県の者を排他するのだ)、現地の人を一段下の存在として蔑視し、そのために日本人に対する激しい拒否反応が起きた場所もある。一方で、現地に溶け込み生き延びた人たちも多かった。

中南米の移民の中には沖縄出身者が多い(著者はのちに『眉屋私記』を書いている)。数で言えばブラジル、割合で言えばアルゼンチンである。このきっかけは、1898年の沖縄県民に対する徴兵令であった。それに対して、沖縄県民は希望のために移民を選んだのだが、政府は、それを徴兵忌避として厳しく弾圧した。また帰国すれば反軍思想を持つ者とみなされた。これは沖縄戦においても、移民帰国者がスパイ扱いされ、またチビチリガマとは異なりハワイ等から戻ってきた者がいたシムクガマでは、かれらの真っ当な発言があったことにより、「集団自決」が起きなかったといった現象につながっている。

その挙句、戦後には炭鉱離職者が不要になったという理由で、政府は海外移民を押し進めたのであった。いずれにしても棄民政策であることに違いはない。

●上野英信
上野英信『追われゆく坑夫たち』
上野英信『眉屋私記』
『上野英信展 闇の声をきざむ』

●移民
上野英信『眉屋私記』(中南米)
『上野英信展 闇の声をきざむ』(中南米)
高野秀行『移民の宴』(ブラジル)
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(台湾)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー