Sightsong

自縄自縛日記

オノセイゲン+パール・アレクサンダー『Memories of Primitive Man』

2018-06-16 09:35:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

オノセイゲン+パール・アレクサンダー『Memories of Primitive Man』(Sony Music Labels、2015年)を聴く。

Seigen Ono オノセイゲン (sound)
Pearl Alexander (b)

てっきり、パール・アレクサンダーのコントラバスをサウンドでくるんだようなものかと思っていた。はじめは何の気なしに小さめの音量で流していたのだが、何かおかしい。あらためで音量を上げてみると、サウンドの宝物がそこかしこに転がされ並べられていた。

もちろんアレクサンダーのベースの表現力にもじっと聴き取るべきものが多い。深い弦の音もさることながら、チェロやヴァイオリンに聴こえる音もすべてコントラバスによるものだという。これらのハーモニクスや響きに耳をゆだねていると、コントラバスとは人間の楽器なのだなと思えてくる。

オノセイゲンの創り出すサウンドは洗練され、きめ細やかであり、まるで森林の中でさまざまな匂いや水蒸気を身体中に浴びているようだ。マナウスの熱帯雨林におけるフィールド録音や、女性の声や、ダンスのステップや、ナナ・ヴァスコンセロスのハイハットまでがミックスされている。本人のギターも良い。

いやこれは動悸動悸する。浄化されている気にさえなってくる。もっと良いオーディオ・システムで体感したい。

●パール・アレキサンダー
Marimba & Contrabass Duo @喫茶茶会記(2017年)
ジョン・ブッチャー@横浜エアジン(2013年)(欠席
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)


クリスチャン・マクブライド@Cotton Club

2018-06-16 07:50:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

丸の内のコットンクラブで、クリスチャン・マクブライドの新グループ「New Jawn」(2018/6/15)。

Christian McBride (b)
Josh Evans (tp)
Marcus Strickland (ts, ss, bcl)
Nasheet Waits (ds)

クリスチャン・マクブライドのベースは実に愉し気によく鳴り、実に気持ちよくバンドを駆動する。騒がれたデビュー当時以降はさほど追いかけてもこなかったのだが、やはりマスターである。新グループはピアノ抜き、しかもメンバーはわりと強面。

ジョシュ・エヴァンスは熱いどジャズの人であり、Smallsで何度か観てとても気に入ったこともあり、その後、インタビューをした(>> JazzTokyo誌の記事)。このステージでは、自身のバンドでの熱さとは少し距離を置いている感があったけれど、模索しながらフレーズを繰り出してゆく様には嬉しくなってしまった。常によどみないわけではなく、ときにごつごつと躓く瞬間もあったのだがそれも個性。フレーズにセロニアス・モンク的な断片があって、伝統を重んじるかれらしいなと思っていると、モンクに捧げたオリジナル「Ballard for Ernie Washington」も演奏した(アーニー・ワシントンはモンクの仮名)。

ナシート・ウェイツは強く硬い感じで攻める。また、マーカス・ストリックランドはテナー中心で、ドライな音色とフレージング。もう少し色気とか艶とかあってもよさそうなものだ。しかしかれらであるからこそ、トニー・ウィリアムスのオリジナル「Arboretum」(『Foregin Introgue』に入っている曲)が、新生BNでのトニーの鮮烈なサウンドとはまるで違った雰囲気になった。

このグループのCDは数か月後に出るとのこと。楽しみである。

●クリスチャン・マクブライド
アレックス・ギブニー『ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』(2014年)
オリン・エヴァンス『The Evolution of Oneself』(2014年)
デューク・エリントンとテリ・リン・キャリントンの『Money Jungle』(1962、2013年)
パット・メセニーの映像『at Marciac Festival』(2003年)
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン(1991年)

●ジョシュ・エヴァンス
ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(-2017年)
ジョシュ・エヴァンスへのインタヴュー(2015年)
マイク・ディルーボ@Smalls(2015年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls (2015年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
フランク・レイシー@Smalls(2014年)
フランク・レイシー『Live at Smalls』(2012年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)

●マーカス・ストリックランド
マーカス・ストリックランド『Nihil Novi』(2016年)

●ナシート・ウェイツ
アーチー・シェップ『Tribute to John Coltrane』(2017年)
カート・ローゼンウィンケル@Village Vanguard(2015年)
デイヴィッド・マレイ feat. ソール・ウィリアムズ『Blues for Memo』(2015年)
トニー・マラビー『Incantations』(2015年)
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
タールベイビー『Ballad of Sam Langford』(2013年)
ローガン・リチャードソン『Shift』(2013年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』、『Rendezvous Suite』(2009、2012年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
ローガン・リチャードソン『Cerebral Flow』(2006年)


小田実、玄順恵『われ=われの旅 NY.ベルリン・神戸・済州島』

2018-06-16 06:46:29 | 思想・文学

小田実、玄順恵『われ=われの旅 NY.ベルリン・神戸・済州島』(岩波書店、1996年)を読む。

故・小田実と、パートナーの玄順恵との対話。それは第三者をまじえた私的なものであり、対話が実りあるために必要な緊張感はあまり感じられない。それでも、発言を追っていくとはっとさせられるところは少なくない。

たとえば。

●軍隊とは疑う余地なく悪いものなのか。結論がそうだとして、日本社会はそのことを思考するプロセスを経ないできたのではないか。ドイツのように、目をそむけることができないほど現実に戦争の痕がある社会とは異なったからではないか。また思考の逃げ場所として被害というものがあったのではないか。

●日本以外には、「政治」と「文学」との二元論・二元的対立の考え方はない。小田実が引用する誰かの言葉。「詩人はしょっちゅう詩を書いているわけじゃない。詩を書かないとき、詩人はただヒルネをしているのかね。デモ行進に行かないのかね。」

●被災の思想、共生、棄民。すべてが関連するものとして。軍事大国が侵略の歴史を経て生み出したものは、あまたの「難死」であり「棄民」であった。災害には何も手を差し伸べない国となった。一方で、得体の知れぬ人たちを含めた密度の濃い有機的な「共生」は、こちら側にある。

阪神淡路大震災の直後になされた対話である。当時、被災者たる在日コリアンの人々の脳裏には、関東大震災後のデマと虐殺がよぎったという(本書にもその指摘がある)。そして棄民化政策。たとえば東日本大震災でも同じことが繰り返され、日本社会は成熟どころか劣化を続けてきたのではないかとの思いにとらわれてしまう。

●小田実
佐藤真、小田実、新宿御苑と最後のコダクローム
小田実『中流の復興』