Sightsong

自縄自縛日記

罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』

2008-01-08 23:55:48 | 政治

森口豁の『子乞い』に続き、『最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇』(講談社文庫)を読んだ。(2冊を貸していただいた一坪反戦のYさん、ありがとうございます。)

ここで語られる田口泰正は、戦争末期、学徒兵として詰め込みの軍人教育を施され、海軍の一員として石垣島に赴く。そこで彼がなさざるを得なかったことは、撃墜した米軍機に乗っていた米兵3人の処刑だった。「なさざるを得なかった」というのは、それが上官たる司令の命令(あるいは命令だと判断することになっている組織的回路)によるものだったからだ。この罪により、田口は死刑に処せられることになる。

このような理不尽な状況にあって、一方では皇民化教育・軍人教育による意識形成が現在の私たちとは大きく異なるであろうことは留意しなければならないことだと思うが、仮に意識がどのようなものであっても、軍の命令は絶対であったということが重要なのだろう。それでは、直接に殺人という罪を犯した者は、(本人が嫌がりつつ行ったか、積極的に行ったかに関わらず)殺人を拒否するという選択肢が実質的になかったという理由で、裁かれなくてもよいのか―――これは一般論では語れまい。しかし少なくとも、他の選択肢を取りうる立場にあった者が、罪の有無を厳しく問われることは間違いないことだろう。

本書では、そのような視点のほかに、憎しみの連鎖と強者(戦争の勝者)の論理による裁きの不公正を具体的に示していく。A級戦犯を裁いた東京裁判とは異なり、BC級戦犯に対しては、米国の軍人のみが、報復として、実際に死刑に相当しないかもしれない人間をも死に追いやっていたのである。そこには、前提としての公平さは最初から放棄されていた。大義の衝突(お互いに正義がある)、そして「目には目を」の精神は、現在の日本でも無縁ではないことを、ここで思い出してみてもよいだろう。凶悪犯のメディアを使った「公開私刑」化、法で裁けない悪人への復讐ドラマ、などと比べてみるとどうか。

国際人道法たるジュネーブ条約(ここで該当するのは捕虜の人道的な扱い)についても、当時の日本ではまったく実質的に啓蒙の対象でなかったことが示されている。(勿論、だからといって裁きの対象にならないとは言えない。)ここでも問題は現在に直結している。イラク戦争をはじめとする米国の戦争において、非人道的な行いをされることは許さないが、することはまかり通る、という「ダブルスタンダード」が指摘されているからだ(小池政行『現代の戦争被害―ソマリアからイラクへ―』、岩波新書、2004年)。

石垣島で米軍捕虜の処刑を命令した司令は、裁判の終盤まで、責任回避を続ける。そして最後の最後になって、命令を下したのは自分であり、当時の社会構造と軍隊組織上、部下に責任はないとの主張に転じる。しかし、そのときには裁判の行く末は見えていたのだった。


渋谷毅のソロピアノ2枚

2008-01-07 23:59:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

『ケンちゃんの晩めし前』(テレビ東京)に再出演した。排出権の話。録画しておいて、帰宅後見たら、やっぱり緊張していた(笑)。昨年収録時に、またテレビカメラをじろじろ見させてもらった。たぶん16ミリカメラで使われるCマウントはソニーマウントというそうだが、レンズはキヤノンのズームレンズ。200ウン十万円するそうだ。業務用は高い。

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渋谷毅のソロピアノ作が同時に2枚出た。『famous composers』と『famous melodies』(Yumi's Alley)だ。ソロピアノアルバムとしては、1982年の『渋やん』(アケタズディスク)、2002年の『Afternoon』(onoff)に次ぐものということになる。

ジャズピアニストの誰が好きかと言われたら、バド・パウエルと渋谷毅と答える。渋谷毅はよく新宿ピットインの後ろのほうでお酒を飲んでいる(もちろん本人以外の出演のとき)。ライヴとなると、曲やメンバーを照れくさそうに紹介したり、オーケストラではオルガンをファンキーに弾いたり、それでいつもボタンダウンのシャツにジーンズ。ピアノとなると、魅力を一言でまとめることが難しい。こけおどしとかハッタリとかいったものが全くなくて、テクの見せびらかしもなくて、和音の響きがたまらなく素敵で、メロディのつなぎがただ良くて、という感じだ。歌伴も巧くて、浅川マキとか酒井俊とか高田渡とか、とても素晴らしかった。

今回の2枚を何度か聴いてみて、これまでの作品よりもかしこまっているというのか、丁寧というのか、シンプルというのか、少し違う感覚をおぼえた。あらためて『渋やん』を聴くと、ノリや装飾音をこれまでになく感じるようになる。

『famous composers』ではなんといっても「Lotus Blossom」。渋谷毅オーケストラの『ホームグラウンド・アケタ・ライブ』(Platz)でも、1曲だけソロで演奏している曲だ。コード進行の練習のように循環し、発展していく演奏はなぜかしみじみとする。これも、今回のほうが丁寧にゆっくりと弾いている。

『famous melodies』には、浅川マキが繰り返し歌ってきた「My Man」が収められている。どうしようもない男のことを諦念にも似た感じで変に明るく歌うメロディで、エンディングはマキが歌い終わったときの様子を思い出させてくれる(徹夜明けで早朝の街を歩いている感じか・・・希望ではなく、妙に疲れて眩しくて高揚している雰囲気)。前ソロ作『Afternoon』でも、マキに関連の深い「Beyond The Flames」を演奏していたので、マキファンの自分にとっても嬉しいところだ。

「Polka Dots And Moonbeams」はビル・エヴァンスの『Moonbeams』での演奏と比べてしまう。腐りかけた果物(もちろん、褒めているのである)のようなエヴァンスの演奏よりもやはり端正だが、これも素晴らしい。

「Danny Boy」や「Jeanie with the light brown hair」は、森山威男とのデュオ『SEE-SAW』(onoff)でも演奏しているので聴き比べた。これはソロかデュオかという違いが大きいように思った。ドラムスとのデュオでは、今回のようにピアノソロだけで丁寧に構成するのとは違うということだろうか。ところで、『SEE-SAW』には坂本九の「見上げてごらん夜の星を」が入っているが、実は九ちゃんが歌ったときも渋谷毅が編曲を手がけていたということを、最近知った。

何度聴いても味わいがあって、良いものは良いのだ。


『famous melodies』と『famous composers』


『渋やん』


『Afternoon』


シネカメラ憧憬(3)

2008-01-06 23:56:52 | 小型映画

きのう、久しぶりに8ミリカメラをまわした。赤ん坊の記録のためだ。

もともと、劇映画を撮ろうなんて気持ちはさらさらなく、最初の子どもをフィルムに記録するためにそろえたものだ。「cine vis」というシネカメラ専門店が、当時、青山のレンタルスペースに時々カメラを出店していたので、8ミリのことを色々教えてもらったのだ。もちろん、そのときも、今も、8ミリを使おうなどという人はほとんどいない。

フィルムという媒体への偏愛は置いておいても、いまでも、8ミリのメリットは「長時間撮れない」ことだと思っている。気持ちを込めて撮り、気持ちを込めて観るということだ。1カートリッジでは3分程度しか撮ることができないし、音も録音できない。

日本で主流を占めたシングル8でなく、海外でスタンダードだったスーパー8を選んだのは、カメラとしての出来が相当違うこと(例外はある)、それから、コダクロームを使いたいこと、の2点だった。実際にコダクロームの色や質感は素晴らしく、どんなにシャープになってもヴィデオの追随を許さない、というか別物である。しかし、そのコダクロームも、35ミリ版を前に姿を消してしまった。カラーフィルムとして残るエクタクロームは、あくまで低光量・室内向けであり、映像としては劣るものだった。これも、最近新型に変わったから、期待している。

カメラは、キヤノンが1967年に発売したオートズーム814を使っている。金属とガラスの塊だから重いが、やはり最初の頃に気合を入れて作った製品なので出来が良い。その後のプラスチック製のキヤノン514XL-Sを使ったこともあるが、作りも、レンズの描写もまるで違う。(キヤノンの製品は、今になっても、高級機と普及機の力の入れ具合が確信犯的に異なっているといわれる。)

さて、旧型のエクタクローム(50フィート)を2本撮ったので、錦糸町の「レトロ通販」に送って現像してもらう必要がある。以前は江古田の「育英社」でのみ現像していたが、設備をすべてレトロ通販に譲ったとのことだ。コダクロームや白黒フィルムの場合、米国やスイスに送ってもらわなければならないので、まだマシだ。

待つ間に、2年以上放っておいた映写機をメンテしなければ・・・。


キヤノン814と新旧エクタクローム(手前が新型)


キヤノン814はつくりがいい


記念に取ってあるコダクロームの箱、ロシア製白黒フィルム(ひどかった)、これから使う白黒のトライX(旧型)

シネカメラ憧憬
シネカメラ憧憬(2)


スリランカの映像(3) テレビ番組いくつか

2008-01-05 23:10:43 | 南アジア

スリランカには1996年と97年の2回、それぞれ2週間くらい一人旅をした。それで愛着もあり、テレビで何か特集番組があれば観るようにしている。新年早々、BSジャパンで放送した『スリランカ・歴史を語る古代都市と知られざる大自然』(2007/1/2)は、スリランカの世界遺産を中心に2時間近く紹介していて、観光番組として楽しかった。

特に、上田紀行『悪魔祓い』(講談社、2000年)でも詳しく紹介している悪魔祓いの映像を観るのははじめてだった。私自身は2度目の訪問時に、長く居候させてくれたスリランカ人が、片田舎での夜、お婆さんとお供の男性2人が「お告げ」を行っているところに連れて行ってくれたことがある。しかしそれは、たぶん、悪魔祓いではなかった。  

古都アヌラーダプラジェータワナ・ラーマヤ大仏塔の映像には、目を疑った。10年以上前に見たそれは修復中で、手が付いていない部分は木や草が生えていた。また、修復のための足場ではハヌマンラングールがうろちょろしていた。これが、最上部を除いて修復が終っている。自分が見たより前の写真では(Nalini de Lanerolle 『A Reign of Ten Kings』、1985年)、ほとんど全体が草山のようだ。

ジェータワナ・ラーマヤ大仏塔(現在) 『スリランカ・歴史を語る古代都市と知られざる大自然』(BSジャパン、2007/1/2)より

 

ジェータワナ・ラーマヤ大仏塔(1996年) Pentax ME-Super、FA28mmF2.8、Provia 100、デジタルプリント

 

ジェータワナ・ラーマヤ大仏塔(1985年以前) Nalini de Lanerolle 『A Reign of Ten Kings』(1985年)より

番組では、近くにある同規模のアバヤギリ大仏塔の修復の様子を見せてくれた。ユネスコの予算で行っているのだが、なんと、現地採用の女性(若者から老人まで)が、レンガを手でリレーしているのである。現地の雇用促進という意味もあるのだろうか。おそらくジェータワナ・ラーマヤ大仏塔の修復も似たような形で行われたのだろう。

 

アバヤギリ大仏塔の修復の様子 『スリランカ・歴史を語る古代都市と知られざる大自然』(BSジャパン、2007/1/2)より

スリランカの世界遺産のなかで、第一印象としてインパクトの強いものはシーギリヤだろう。この番組でもさらっていたし、やはり正月、『ビートたけしの“新・世界七不思議”』(テレビ東京、2007/1/1)で、新たな世界七不思議を決めるといった趣向で紹介していた。たけし番組は意外に面白く、シーギリヤの宮殿を建てた、親殺しのカッサパ王のドラマを挿入しているのが楽しかった。ここではじめて知ったのは、巨大なシーギリヤ・ロックの横穴にいくつか残されている天女の壁画(シーギリヤ・レディ)が、通路の外側(ぴかぴかの「ミラー・ウォール」)にも描かれていることが発見された、ということだ。研究者が何気なく水をかけたら浮かび上がってきたということで、さらに見つかる可能性もあるのだろうか。高所恐怖症の自分には登るのがつらかった記憶があるが、いつかまた訪れてみたいと思う。

シーギリヤ・ロック(1996年) Pentax ME-Super、FA28mmF2.8、Provia 100、デジタルプリント

 

シーギリヤ・レディ(1996年) Pentax ME-Super、FA28mmF2.8、Provia 100、デジタルプリント

シーギリヤ・ロックの上には宮殿跡があり、現在は獅子の足だけが残されている。伊東照司『スリランカ仏教美術入門』(雄山閣、1993年)にはかつての予想図が描かれており、これがいちばんわかりやすい。ブッダミトラ『シギリ物語』(15世紀)によると、獅子像をレンガと漆喰で造り、両足の間の階段が胴の中に通じていて、山頂に登れるようになっていた。そして山頂の宮殿には、カッサパ王とその王妃しか入れず、何か用があれば、獅子の口先に鈴がついていて、それを鳴らして合図したそうだ。

シーギリヤの獅子(1996年) Pentax ME-Super、FA28mmF2.8、Provia 100、デジタルプリント

獅子のかつての姿 伊東照司『スリランカ仏教美術入門』(雄山閣、1993年)より

親殺しというクーデターにより王位につきつつ、贖罪のためにシーギリヤ宮殿を建て、天女の絵を描かせたカッサパ王。大分前のドキュ『アジア人間街道 よみがえれ!光り輝く島~スリランカ』(2002年、NHK)でも、美術学校の生徒たちをシーギリヤに引率した現代美術作家ジャガト・ウィーラシンハが、芸術と社会とのリンクについて語っている。芸術は社会や政治と無縁ばかりではありえず、積極的に関与すべきという考えだった。 ウィーラシンハの作品としては、『自爆』(2000年)などが紹介されている。この20年間を見れば、自爆テロの過半数はスリランカで起きているのだ。

ジャガト・ウィーラシンハ『自爆』 『アジア人間街道 よみがえれ!光り輝く島~スリランカ』(2002年、NHK)より

●参考

スリランカの自爆テロ


中南米の地殻変動をまとめた『反米大陸』

2008-01-04 23:53:35 | 中南米

伊藤千尋『反米大陸―中南米がアメリカにつきつけるNO!』(集英社新書、2007年)を読んだ。ここにきて、ベネズエラのチャベスやボリビアのモラレスのようにあからさまに反米を打ち出している国を含め、対米追従からの脱却を図っている左派政権が非常に多く誕生している。明らかな親米政権はコロンビアくらいという状況だ。この本では、ちょうど安部政権崩壊時に書かれたということもあり、最近までの中南米の地殻変動がよく整理されている。その後の事件といえば、アルゼンチンにおいてキルチネル前大統領の妻が新大統領に就任したこと、ベネズエラにおいて大統領の無期限再任を可能とする憲法改正が否決されたこと、が挙げられるくらいだろう。

何しろ多くの国で「裏庭」としてずっと好き放題行ってきた米国だから、新書のボリュームでは、地域も時間も飛びまくってしまうのはやむをえないところだろう。だから、この本で強調していることを、表にして整理してみた。あらためてわかる、唯我独尊、やりたい放題のオンパレードだ。

表 中南米各国における米国の介入(本書より作成) ※クリックで拡大

共通している点はいくつもある。

●米国資本(その多くは政治家に結びついている)の利権確保・拡大
●米国の理想とする正義(その多くはひとりよがり)に背く国の力による屈服
●軍事的な基盤としての利用
●目的遂行のための裏でのクーデター支援
●経済制裁の乱発
●愛国心を煽る被害者意識の利用(リメンバーのあとに「アラモ」「メイン号」「真珠湾」がくっつく)

といったところだ。これが19世紀のことならともかく、めんめんと現在にまでつながっていることに驚かされる。イラク攻撃と、石油利権・軍事産業との関係、「9.11」の悲劇を自分たちだけのものにした行動、イラクの大量破壊兵器があるように見せかけていた戦略、もともとビン・ラディンやノリエガを自ら作り上げておいて敵に回す行動、など、いくらでも思いつくことが可能だろう。

中南米諸国は、新自由主義を否定し、大きな政府を再度目指し、自らの資源(エネルギー、農作物、金属など)を米国のためではなく自分たちに使うようにし、経済圏も米国とは独立しようとしている。このような自立型の国を模索する動きを注視すれば、「テロとの戦い」という美名のもとに「国際貢献」をするのだと主張し、その実は米国の戦争に加担して多くの市民を犠牲にしている日本の動きが、どうしようもないものであることを、改めて痛感する。

もっとも、この本の展開は、米国をある型にのみ押し込めているような感があることは否めない。しかし、逆のベクトルを持つ本ばかりが氾濫しているいま、このような本は貴重な存在のひとつだろうとおもう。それに、そもそも、米国=善、米国=悪、といった単純な価値観ではなく、多様な視点をもつべきは「誰か」や「社会」ではなく、各個人だと考えるべきである。

「こうしたなかで日本の政治は、アメリカ従属が当たり前とされるようになった。日米安保条約が結ばれ、沖縄だけでなく日本全土に米軍基地がめぐらされた。しかも、その負担のかなりを「思いやり予算」の名で、日本国民が負担している。さらに自衛隊は法によって、アメリカの戦争を補完し、従属する役割を負わされた。」 「こうした政治が長く続いた結果、アメリカに追従しなければ日本はやっていけないのだと、国民の多くが信じ込むようになった。」 「中南米で行ってきたことを世界に広げたアメリカは、イラク戦争で失敗した。それは超大国としての威信を失墜させ、パックス・アメリカーナの世界観を崩壊させた。アメリカの行動に無批判なままついて行くだけのやり方は、今後は通用しない。世界各国は、自立型の道を歩むだろう。」

●参考
太田昌国『暴力批判論』を読む
モラレスによる『先住民たちの革命』
チェ・ゲバラの命日
『インパクション』、『週刊金曜日』、チャベス


トニー・ウィリアムスのメモ

2008-01-02 23:38:52 | アヴァンギャルド・ジャズ
天才ジャズドラマー、トニー・ウィリアムスは、1997年に51歳で亡くなった。別の手術のときに心臓発作が起きたという理由だったと思う。昼ごはんを食べながらスポーツ新聞を開いたら突然の訃報、あまりにも驚いたことを覚えている。あれからもう10年以上が経つわけだ。

亡くなる前年の1996年、青山のブルーノート東京に、トニー・ウィリアムスを聴きに行った。マルグリュー・ミラー(ピアノ)、アイラ・コールマン(ベース)とのトリオだった。新生ブルーノートレーベルから何枚も公表していたグループから、ウォレス・ルーニーやビリー・ピアースのフロントが抜けてシンプルになった形だった。初めて実際に観るトニーのドラミングは、文字通り目が覚めるようだったが、なんだか精気がないように見えた。

張りきって早めに入った自分の席は、マルグリュー・ミラーの大きな尻の真後ろ。演奏が終ったとき、ピアノから曲目を書いたメモが足元に落ちたのを拾った。あっと思って拾い、何となくそのまま大事に取っておいた。さっき当時の日記帳を開いてみたら、まだあったので嬉しくて笑ってしまった。しかし、トニーが書いたものか、マルグリューが書いたものか、他の人によるものか、わからないままだ。

曲は、①グリーン・ドルフィン、②フール・オン・ザ・ヒル(ビートルズの曲)、③エインシェント・アイズ、④ジス・ヒア(ボビー・ティモンズの曲)、⑤ピアノソロ、⑥クリアウェイズ、となっている。これを書くだけでも、透明感があって鮮烈な演奏が甦るようだ。裏にはたぶん別のステージでの曲目が書かれていて、例えばディア・オールド・ストックホルム、イエスタデイズ、リラクシン・アット・カマリロなんかの曲も演っている。いまさら無理だが、それらも聴いてみたい。

 
トニーのライヴメモ(表と裏、1996年拾う)

トニーの最後の頃は、「トニーがトニーの真似をしている」といった批判をする人もいた。あの演奏を生み出したのは、パイオニアとして他ならぬ彼なので、あまりにもオリジナルな演奏をマンネリとされるのは聴き手の勝手な理屈だろうと思った。その一方で、たしかに、突き破るようなインパクトが薄れていたことも事実だろう。

その意味で、1995年にデレク・ベイリー(ギター)、ビル・ラズウェル(ベース)と組んだグループ「アルカーナ」による録音『The Last Wave』(DIW)は、メンバーの組み合わせ、演奏の衝撃ともに驚きだった。聴くたびに脳を揺さぶられるような快感を覚える。そのデレク・ベイリーも既に鬼籍に入っている。トニーの参加したアルバムは数多くあり、そのごく一部しか聴いていないが、私はこれがもっとも好きだ。


アルカーナ『The Last Wave』(DIW、1995年)

納豆ダイエット、キャベツダイエット、ダイオキシン

2008-01-01 20:17:22 | 食べ物飲み物

これでも学生時代には結構スリムで、割ともてていた(と評価してくれる人も居なくはない)。

その前、高校生の頃は、受験勉強しかしていなかったこともあって、相当に太っていた。大学に入ってから、東京の地形の成り立ちについて調べようと思い立ち、貝塚爽平『東京の自然史』(紀伊国屋書店)とそれをもとにした白地図を手に東京中を歩き回ったりしたこともあって、痩せたのである(1日10時間くらいは歩き続けた)。そうでなくても、所詮大学生などヒマであり、都会が珍しい田舎者は毎日毎日あちこち歩いていた。待ち合わせにも平気で1時間かけて歩いていった。若いので代謝が良く、有酸素運動を続けたので、効果があったのだろう。

仕事を持って給料をもらうようになってから、身体のエネルギーバランスは激変した。要は動かなくなり、代謝も年々悪くなり、その割に頭を使う(と自分では思う)仕事とストレスで腹が減った、ということだ。学生時代の栄光はどこへ。決して無策だったわけではないが、根本的に散歩以上の運動は嫌いなので仕方ないのである。

そしてついに今年になって、高校生のころの体重にカムバックしてしまったので、相当に危機感を抱いた。まずは、テレビで話題になった「納豆ダイエット」を試してみた。ミソは、食べても納豆の効力で痩せてしまうのだ、ということだった。しかし、これは食べたら食べただけ体重が増えるという結果に終った。このテレビ番組はまもなくヤラセであることがわかり、また、発酵食品で有名な小泉武夫氏(東京農業大学教授)も、新聞で、納豆は旨いからその分ご飯を余計に食べてしまうじゃないか、と、至極真っ当な意見を述べていた。

次に、テレビで目を奪われた「ビリーズ・ブートキャンプ」をやってみようかと思った。しかし、何だか恥ずかしく、ふて腐れて選択肢から消した。

今度は、やはり話題になっていた「キャベツダイエット」を試してみた。これは、食前に10分程度、生キャベツをもぐもぐ噛んで食べることによって、食べる量のかさをかせぎ、満腹感を得るというものだ。すぐに食べられないよう、キャベツは千切りよりもすこし大きめのほうがよいらしい。 これがドラスティックに効いた。グラフで見ると一目瞭然だが、1ヶ月に2キロ以上の減量である。もちろん、本人の意識が伴わなければ効果が出ないのは何でも同じだから、外で何かを食べるときは、大盛は頼まない、シンプルなメニューにする、揚げ物は頼まない、といったことをなるべく心がけた。


図1 体重減少の推移(今年の最大値をゼロとする)

ただ、限界はある。まず、3ヶ月も続けると(平日は朝食のみにも関わらず)、かなり飽きてくる。グラフでも、減少曲線が鈍化するのがわかる。私の体重的経験則(笑)によると、体重の変動には慣性があるから、一旦勢いがついて動き始めるとなかなか止まらない(つまり、勢いをつけるのも大変)。ここまでくれば、以前の量を食べることができないようになっているので、敢えて暴飲暴食の生活に戻そうとしなければ大丈夫に違いないわけだ。したがって、このキャベツダイエットは相当におすすめである

よく、ダイエットは食べる量を減らすだけでは駄目で、筋肉が減るだけだと言われる。私の記録から分析したところ、減った体重のおよそ70%が脂肪減少によるものだった。それに、筋肉と骨の量はバランス上問題ないようだ。精神上のストレスも感じなかった。

体重激減中に気になる現象があらわれた。両手の甲に、吹き出物が(なぜか妙にシンメトリックに)幾つもできてしまったのだ。なかなか治らなかったので、私はこの原因を、脂肪中に蓄積されていたダイオキシン類が放出されていたずらをしたものだ、と勝手に推測した。なぜなら、ダイオキシン類は脂肪に蓄積するからだ。 ウクライナのユシチェンコ大統領は、選挙前に、政敵にダイオキシンを盛られたと言われている(何でも異変を感じる前に食べたのはザリガニと寿司だったとか)。そのために、彼の顔は別人のようになってしまった。


図2 ユシチェンコ大統領のダイオキシン摂取前後(出典:The Times、2004/12/8)

安井至氏(東京大学教授)の『市民のための環境学ガイド』によると、ユシチェンコが体内に取り入れてしまったダイオキシンの量は400マイクログラム程度で、そのために0.8~2ミリグラム程度のダイオキシンを食物として摂取したはずだとしている。 ここに示されているデータを使って自分の場合にあてはめて計算してみると、今年の減量によって、200ナノグラム程度が脂肪にためておけなくなって、どこかに放出されたことになる。これはユシチェンコ大統領が一晩で取り入れた量の2000分の1である。安心した。(もちろんこれは机上の計算であって、手の吹き出物との関連については何の根拠もない。)

ところで、納豆ダイエットを笑い飛ばした小泉武夫氏の著作に、『納豆の快楽』(講談社文庫)がある。あまりにも奇怪な話が多くて圧倒される本だ。小泉氏は、どこへ旅行するにも大量の納豆パックを持ち歩いている。ラオスで間違って生の鰻を食べてしまったときや、ヴェトナムで明らかに危ないスッポンスープを飲んでしまったときに、納豆を即座に2パック食べてなんともなかったそうだ。

この年末に沖縄に行ってきたのだが、その際、嘔吐と下痢に悩まされた。当然、胃が弱って、食べるべきものをあまり食べられなかった。帰宅してから、あっ納豆で胃の調子を回復させればよかったのだと思い出した。それはそれとして、さぞ今年の締めくくりとして体重も減っただろうと体重計にのったら、旅行前と変わっていなかった。なかなか難しいものだ。


図3 小泉武夫『納豆の快楽』(講談社文庫)