Sightsong

自縄自縛日記

トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』

2014-08-21 07:09:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

トニー・マラビーがベース、ドラムスと組んだトリオによる作品『Adobe』(JPR Productions、2003年)、『Somos Agua』(Clean Feed、2013年)を、繰り返し聴いている。

『Adobe』では、ポール・モチアンの伸縮するドラムスに、また、『Somos Agua』では、ナシート・ウェイツのヴァイタルなドラムスとウィリアム・パーカーの文鎮のように下支えするベースとに包まれて、マラビーが妙なテナーソロを展開する。

敢えて「朗々と吹く」という幹を取っ払ったような感覚である。そのイメージを続けて夢想するなら、かれの音は森のさまざまな存在を収集したようなものに聞える。葉叢がざわめいたり、鳥や虫が居場所を変えてみたり、なにものかが踏み入って口笛を吹いてみたり。そんなわけで、着地点を見出せないような不可思議な音楽なのであり、聴く方もどこかをあてもなく彷徨する。10年間を挟んだ演奏だが、その個性はより強まっているように思える。

Tony Malaby (ts, ss)
Drew Gress (b)
Paul Motian (ds)

Tony Malaby (ss, ts)
Willam Parker (b)
Nasheet Waits (ds)

●参照
トニー・マラビー『Paloma Recio』


キース・ジャレット『Standards Live』

2014-08-19 23:34:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

キース・ジャレットの「スタンダーズ・トリオ」は、90年代半ばまでは熱心に聴いていたが、最近はさっぱりだ。初期の絢爛たる迫力が姿を変え、明らかにシンプルな演奏を指向するようになったからだ(『Bye Bye Blackbird』を聴いて、拍子抜けした人も多かったに違いない)。

もちろんシンプルなブルースに聞こえるものであっても、キースの旋律はトリッキーでさえあって、実はとんでもないことが起きているのかもしれない。それでも、最初期の『Standards, vol.1』における「All the Things You Are」の凄まじいイントロを聴いてしまうと、変貌したあとのキースはどうも受け容れられないのだった。こればかりは嗜好なので仕方がない。

絢爛系のスタンダーズの中では、『Standards Live』(ECM、1985年)が一番の愛聴盤である。ずっとLPを聴いていたのだが、最近、中古盤のCDを500円(!)で見つけて、その瞬間につかんでしまった。

Keith Jarrett (p)
Gary Peacock (b)
Jack Dejohnette (ds) 

ECM盤らしく(ライヴだが)、「Stella by Starlight」で静かにはじまり、「Falling in Love with Love」や「The Way You Look Tonight」で演奏がクライマックスに達する。これは何度聴いても信じがたいほど素晴らしい。

ゲイリー・ピーコックもジャック・デジョネットも跳びはねるようで良いのだが、アクロバチックでさえあるキースが凄過ぎて、2人が追随するように聞こえてしまう(ひいき目だろうね)。全方面から、コードに服従しない音を次々に繰り出してきて、リズムがまたビートという重力から自由であるようだ。

わたしがキースのライヴをはじめて観たのは1993年。できれば、その前に観たかった。言っても詮無いけど。

●参照
キース・ジャレットのインパルス盤
70年代のキース・ジャレットの映像
ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』、クリストのドキュ、キース・ジャレットのグルジェフ集 


エラスムス『痴愚神礼賛』

2014-08-19 07:23:59 | ヨーロッパ

気が向いて、エラスムス『痴愚神礼賛』(中公文庫、原著1511年)を斜め読み。

オランダ生まれのデジデリウス・エラスムスはルネッサンス期の大知識人であり、それにも関わらず(それだからこそ)、このような奇書をものした。

最初から最後まで、痴愚女神が、権威主義的なカトリック界や賢人なる者を徹底的に莫迦にし、笑い飛ばす。なるほど、ここまで言われてはセンセーションにもなるわけだ。本書はひとり歩きして、マルティン・ルターの宗教改革にも貢献することとなった。

確かに、本書の現代日本版があらまほしきことなり。


フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』

2014-08-17 22:50:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』(Blue Note、1969年)

Freddie Hubbard (tp)
Roland Hanna (p)
Ron Carter (b)
Louis Hayes (ds) 

たまにハバードのラッパを聴くのはいいものだ。やっぱり、偉大な個性だったのだなということが明らかにわかる。

「溌剌」という言葉を調べると、「魚が跳びはねるさま」という意味もある。まさに旬のハバードが、休む間もなく水上で跳びはねている。これならば、「キレがある」という常套句を使っても文句は出ないだろう。

もっとも、わたしの目当てはドラムスのルイ・ヘイズ。この人は風神なのである。風とアラシを巻き起こしているからといって、ジャズ界のトマソン=人間扇風機ことラルフ・ピーターソンとはわけがちがう。ヘイズがリーダーとなって、ハバードやジョー・ヘンダーソンらをメンバーにした「Jazz Communicators」が活動したのは、60年代後半だという。記録が残されていないことが残念。

●参照
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』
マルグリュー・ミラー逝去、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』を聴く
スピーカーのケーブルを新調した(ルイ・ヘイズ『The Real Thing』)  


鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』

2014-08-17 15:58:09 | 北米

鎌田遵『ネイティブ・アメリカン ― 先住民社会の現在』(岩波新書、2009年)を読む。

言うまでもないことだが、アメリカは白人による侵略によって拓かれた地である。「発見」以前から住んでいた先住民は一様ではなく、有名なチェロキー、ナバホ、ホピ、アパッチなど多くの部族がいた(いる)。先住民の部族数は500以上、先住民の血を引く人の数は412万人(2000年)とされるが、これは正確な数字ではない。申告や承認に基づくものであり、漏れも未承認もあるからだ。

アメリカ連邦政府は、19世紀後半から部族員の規定を活発化させ、その結果、先住民の土地や権利は著しく奪われる結果となった。現在では、内務省のインディアン局が先住民の担当部局であり、各部族の居住地(国内に約320)を認め、また、概ね民事の司法権は部族政府に帰属する。しかし、当然ながら、過去の不正により奪われたものは戻っていない。

どうしても、収奪政策と同化政策の様子を、琉球/沖縄など日本の先住民問題と関連づけながら読んでしまう。

●アパッチ族出身のジェロニモは、対白人抵抗闘争が制圧されたあと、最後の居場所を万国博覧会の展示会場に見つけ、自らを見世物とした(1898年、1901年)。この博覧会にはアイヌ民族も「招待」され、好奇の視線に晒された。
→ 大阪での「人類館事件」は1903年であり、ここでも、琉球人やアイヌ人が「展示」された。
●1920-30年代、先住民に対する同化政策が苛烈なものとなった。本名を捨てるよう命じられ、母語を話すと、口のなかに洗剤を入れられ、「悪魔の言語を吐く口」を洗われた。
→ 自発的な改名、方言札
●先住民居留地は貧困で雇用機会がなく、そのことが、米軍への入隊者の多さとなってあらわれた。その流れは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争へと継承され、先住民の帰還兵数は17万人にも及んだ。また、18歳以上の先住民人口の22%もが帰還兵である(2006年)。
→ 貧困層の入隊
●アメリカのウラン鉱山の9割が先住民居留地やその周辺にある。核実験の場所も同様。
→ 辺境の再生産
●先住民でもないのに、あたかも先住民であるかのように振る舞う人=「ワナビー」が出現した。
→ 願望としての沖縄

もちろんすべてが写し絵になるわけではなく、単純な比較はできない。しかし、少なくとも、先住民を認め、国家のなかで共生していこうとする動きに関して、日本はあまりにも鈍感であり、遅れているということはできる。

●参照
国立アメリカ・インディアン博物館


ジェフ・パルマー『Island Universe』

2014-08-17 09:22:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

オルガンのジェフ・パルマーには馴染みがないのだが、『Island Universe』(Soul Note、1994年)の顔触れにはなかなかインパクトがある。

Jeff Palmer (Hammond B3 Organ- Bass Pedals)
Arther Blythe (as)
John Abercrombie (g)
Rashied Ali (ds) 

蛇のようにからみつきながら展開するラシッド・アリのドラムスも、ペラペラに軽くブルージーなアーサー・ブライスのアルトも悪くない。ただ、この演奏のなかには重たい要素がないのだね。したがって、聴くと看板ほどのインパクトはない。

ブライスは、いま、パーキンソン病に苦しんでいると報じられている。

●参照
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』 (ブライス)
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(アリ)
アリス・コルトレーン『Huntington Ashram Monastery』、『World Galaxy』(アリ)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(アリ)
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ


大宮浩一『石川文洋を旅する』

2014-08-16 19:32:07 | 沖縄

ポレポレ東中野に足を運び、ようやく、大宮浩一『石川文洋を旅する』(2014年)を観る。

石川文洋さんは、那覇・首里生まれ。幼少時に、沖縄戦が始まる前に「本土」へと引っ越し、戦後を迎える。やがてカメラマンとなり、米軍に従軍してベトナム戦争を取材した人である。

沖縄は、日本に侵略・支配され、併合(琉球処分)後も現在に至るまで構造的な差別の対象であり続けている。沖縄戦においても「本土」の「捨て石」とされたにも関わらず、ベトナム戦争時には、明らかに大義のない米軍の出撃基地となり、沖縄からベトナムへ飛んだ兵士は、ベトナムにおいて民間人を虐殺した。

この、二重にも三重にも構築された、犯罪的かつ馬鹿げた組織の活動。沖縄-日本、沖縄-アメリカ、アメリカ-ベトナムの間に走る亀裂という「現場」に身を置いた石川さんだからこその発言には、何度も自らを省みながら、耳を傾けなければならないだろう。

石川さんは、アメリカの複数の大統領やマクナマラといったエリートがなぜこのような間違いを犯したのか、それは「現場」を知らないからだと断言する。いままさに迫る危機がこれではないか。

●参照
石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
石川文洋の徒歩日本縦断記2冊
石川文一の運玉義留(ウンタマギルウ)


ウォーン・マーシュの『Warne Marsh』と『Music for Prancing』のカップリング盤

2014-08-16 08:34:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウォーン・マーシュ『Warne Marsh』(Atlantic、1957年)と『Music for Prancing』(Mode、1957年)のカップリング盤を入手。

『Warne Marsh』
Warne Marsh (ts)
Ronnie Ball (p) (1,3)
Paul Chanbers (b)
Philly Joe Jones (ds) (1,3)
Paul Motian (ds) (2,4-6)

『Music for Prancing』
Warne Marsh (ts)
Ronnie Ball (p)
Red Mitchell (b) 
Stan Levey (ds)

このテナーサックス奏者、昔はまったくピンとこなかった。音は立っていないし、何だかもそもそしてハッキリしていないし、出てくるべきと思えるところで陰に隠れているし。特にインプロヴィゼーションの天才リー・コニッツと組んでいたりすると、何のためにそこにいるのかわからないとさえ思っていた。

そんなわけで、気が向いて実に久しぶりに聴いたのだが、これがまた素晴らしく聞こえて仕方がない。人間の耳と脳なんて不思議なものである。(わたしが駄目だっただけか?)

はっきりせず布や板をかきむしるような音色は、他の人に出せない個性に他ならない。でかい音で聴くとこれがまた快感。ヘンなところで出てきたり引っ込んだりする節回しは、レスター・ヤングやスタン・ゲッツらのテナーの系譜にあるものかもしれない。

決めつけと思いこみはよくない。


黒沢大陸『「地震予知」の幻想』

2014-08-15 22:31:45 | 環境・自然

黒沢大陸『「地震予知」の幻想 地震学者たちが語る反省と限界』(新潮社、2014年)を読む。

「朝日新聞」における編集委員の連載をもとにしたものだけに、一方的な物言いは回避されていてバランスが取れているが、その分、総花的で主張が見えにくい印象。興味深いエピソードは多いし、わたしも「一丁目一番地」たる地震研究所に修士時代に在籍したので、ここで紹介されている雰囲気の半分は理解できる。

阪神淡路大震災や東日本大震災などの大地震を経て、今では、「地震予知」が不可能であることが周知の事実となった。しかし、いまだに、「○○に大地震が起きる可能性がうんぬん」といった煽り記事が絶えないのは、かつての「予知」への期待の根深さを示すものだろう。

日本の地震対策は、1976年に、石橋克彦氏(当時、東大理学部助手)が「東海地震説」を発表したことにより、歪なものと化していく。あまりにも反響が大きかったのである。そのときから現在までの40年弱の間に、東海地震なるものは起きていない。もちろん、結果論であり、今では、駿河トラフからさらに四国・九州沖まで連なる南海トラフでの大地震の可能性があるものと想定されている。

問題は、ここだけにターゲットが絞られ、多くの予算が「予知」の幻想とともに投入されたことであった。そして、大地震は、駿河トラフでも南海トラフでもない、また活断層として危険視されてきた場所でもないところばかりで起きた。すなわち、「大地震はいつどこで起きるかわからない」ということが、現在の正しい言い方であろうと思われる。(これも結果論である。)

●参照
ロバート・ゲラー『日本人は知らない「地震予知」の正体』
島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』
石橋克彦『南海トラフ巨大地震』
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
『The Next Megaquake 巨大地震』
『Megaquake III 巨大地震』
『Megaquake III 巨大地震』続編
大木聖子+纐纈一起『超巨大地震に迫る』、井田喜明『地震予知と噴火予知』


リティ・パニュ『消えた画 クメール・ルージュの真実』

2014-08-15 19:17:49 | 東南アジア

リティ・パニュ『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013年)を観る(ユーロスペース)。

1975年、カンボジア(民主カンプチア)の政権を、ポル・ポト率いる共産主義勢力のクメール・ルージュが掌握した。この政権は毛沢東思想をベースとしており、親中・反越であった。1979年にはベトナム軍がカンボジアを攻撃し、それがクメール・ルージュ独裁の崩壊の原因となり、また、中国による「懲罰」的な中越戦争(1979年)につながることになる。

おそらくは、実情が外部の目に晒されなかったこともあって、米国に勝利したベトナムがなぜ同じ共産主義のカンボジアを攻撃するのかといった波紋もあったはずだ。しかし、いまではよく知られているように、クメール・ルージュの独裁ぶりは酷いものであった。カンボジア住民の犠牲者は、人口700万人に対して、150万人にものぼったという。それは、中国の大躍進政策や文化大革命と同様に、実態を視ないヴィジョンの押しつけと、それを可能にする権力体系によるものだったのだろう。

この映画を撮ったリティ・パニュは、犠牲の当事者であった(1979年に脱出)。彼は、俳優による再現映画でも、残されたフィルムによるドキュメンタリーでもなく、カンボジアの土をこねて作った人形を用いた。その人形たちが、個人としてではなく「数」として扱われ、農村での苦役を強制され、農作物を自分の口に入れることなく餓死していくさまを「演じて」いる。また、9歳の子どもが、食べ物を拾ったといって自分の母親をクメール・ルージュに告げ口し、その咎で母親が処刑される様子を、「演じて」いる。

これはドキュメンタリーの力として強烈だ。これ見よがしな歴史の語りでも、「自分」ではないフィルムによる語りでもない。投影されるのは「自分」なのである。

●参照
石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』
2012年6月、ラオカイ(中越戦争の場)
中国プロパガンダ映画(6) 謝晋『高山下的花環』(中越戦争)


ウィレム・ブロイカーの映像『Willem Breuker 1944-2010』

2014-08-14 23:14:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Willem Breuker 1944-2010』(BVHAAST)というDVDには、稀代の音楽家ウィレム・ブロイカーの若き日から晩年までの映像が収められている。よくもまあ、こんなに貴重な映像があったものだ。

21歳時のトリオでの演奏や、ピアノ2台との共演など変わったものもあるが、ほとんどは、ブロイカーが長く率いたグループ「コレクティーフ」による演奏。これがまた、いちいち愉快だ。ふざけるのは真剣勝負であり、おもねることなく大真面目にやらねばならぬ。何と、ヨー・ヨー・マとの共演もあって、彼もコレクティーフの演奏ぶりに煽られつつ、愉しそうに笑っている。

しかも、緻密に考え抜いたであろうアンサンブルと演奏テクニックが、インプロビゼーションと共存している。そのことは、ブロイカーのインタビューやリハーサルの様子を観るとわかる。

コレクティーフのアンサンブルは変動幅が大きく、ときに狂騒的といえるほどのハイスピードで走りぬける。そして、ブロイカーの執拗なサックス・ソロが続くなか、ストップ・アンド・ゴーを行う。こちらは聴き惚れつつ、動悸が激しくなるのを覚え、また、脇腹の痙攣にも気が付く。名曲「Hapsap」や、ガーシュインの「An American in Paris」なんて最高である。

コレクティーフのライヴを観たのは1回きりだ。もっと体感しておくべきだった。

●参照
ウィレム・ブロイカーの『Misery』と未発表音源集
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
ウィレム・ブロイカーとレオ・キュイパースとのデュオ『・・・スーパースターズ』
ハン・ベニンク『Hazentijd』
レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』


大木晴子+鈴木一誌『1969 新宿西口地下広場』

2014-08-13 23:16:40 | 関東

大木晴子さんが、『1969 新宿西口地下広場』(2014年、新宿書房)という本とDVDのセットをくださった。

表紙を開くと、そこには、大木さんご愛用のヴィスコンティ・レンブラントという万年筆(たしか・・・)で、メッセージが書かれていた。こちらが勝手に敬愛している、いつもステキな大木さんからなのだ。大感激。

本書には、題名の通り、1969年において新宿西口に花開いた「広場」という空間と、そこで活動した「フォークゲリラ」や集まった多くの人びとの様子が、まとめられている。大木さんご自身も、この中で歌っている。

多くの人が反戦と革命を希求した時代。70年安保反対があり、ベトナム戦争反対があった。ベトナム戦争に組織として立ち向かうのではなく、ファジーな個人の集合体として分散発生的に反対した「ベ平連」の活動が盛り上がり、フォークゲリラもその流れのなかで生まれた。すなわち、組織をかっちりと決めるわけでなく、個々の意思が集まるにまかせて、「広場」において歌で大きな力をつくりあげようとしたものだった(「フォークゲリラ」という名前さえ、内部から付けて発足したものではなかった)。

当時まだこの世にいなかったわたしから見た「歴史」は、そのようなところだ。もちろん、当事者のかたがたから見れば、簡単に括って話すことができるようなものではないだろう。したがって、本書は歴史の「総括」ではない。

運動となった新宿西口の「広場」とフォークゲリラだが、その年のうちに、「広場」は「通路」にされ、人びとは強制的に機動隊によって排除される。しょせんは「広場」であり、「歌」である。それがなぜ、そこまで権力に恐れられたのか。

思うに、「広場」や「歌」が、有象無象の雑多な力だからではないか。この運動は、権力が依って立つシステムのなかで、「代案」を提示して行うものではなかった。「代案主義」は、システムに取り込まれ、「語られたこと」=コードを言語とすることになる。それでは、この力が削がれてしまううえに、既存のルールによる力勝負ではあまりにも分が悪い。

実際に、文字通り雑多な運動だったのだろう。真面目な者も、漠然と集まった者も、日和見の者もいる。インテリも、理屈後回しもいる。音楽は音楽としての自律性を欠かざるを得ない。おそらく、そのために、高田渡やなぎら健壱は、フォークゲリラに否定的な目を向けたのだろうと思える(かれらの意見も本書には収録されている)。しかし、社会はもとより雑多なものである。理論的な社会システムや、純粋な音楽など、脆弱なものでしかありえない。だから、「広場」であり、「歌」なのだということなのだろう。

DVDには、大内田圭弥『'69春~秋 地下広場』(1970年)という、貴重なドキュメンタリーフィルムが収められている。これを観ると、人と人との間の密度の濃さや、対話の真剣さに驚いてしまう。いまでは、酒を呑んだあとの議論でしか再現できまい。それほどに社会が他律的になり、シニカルになっている。それでも、「広場」はまだある。情報流通空間・ネット空間が現在の「広場」なのかもしれないし、大木さんは、現在も毎週土曜日に新宿西口に立ち続けている。つまり、本書とDVDに詰め込まれたものは、昔話ではない。

●参照
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』
大木茂『汽罐車』の写真展
大木茂『汽罐車』


デイヴ・ホランド『Conference of the Birds』

2014-08-13 07:30:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

ずっと気になって聴いていなかった、デイヴ・ホランド『Conference of the Birds』(ECM、1973年)。(昔は『鳩首協議』などという邦題が付けられていた。)

ようやく中古盤を見つけた。

Dave Holland (b)
Sam Rivers (reeds, fl)
Anthony Braxton (reeds, fl)
Barry Altschul (perc, marimba)

目玉は、何といっても、サム・リヴァース、アンソニー・ブラクストンという冗談のように強力なフロントふたり。聴いてみると、かれらの個性満開で、こちらの期待を裏切らない。リヴァースのソロは、通過後にもずっと発酵臭を残すような癖があり、また、ブラクストンのソロは、ボードゲームのようにあっちからこっちへと機敏にジャンプする。

かれらが飛翔するなかを、ホランドのベースが踊り、アルトシュルのパーカッションが遊ぶ感覚。ダンスの音の隙間と、飛翔の痕跡の隙間に、自由な時空間が絶えず発生している。

●参照
デイヴ・ホランド『Prism』
デイヴ・ホランド+ペペ・ハビチュエラ『Hands』
デイヴ・ホランドの映像『Jazzbaltica 2003』
カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』


2014年8月、ゴビ砂漠(2)

2014-08-12 00:01:08 | 北アジア・中央アジア

ミノルタTC-1は不思議なカメラで、正直言って使いやすいとは言えないのだが、あがりを見ると、そのドラマチックな色に驚く。

モンゴル南部のゴビ砂漠にて。

※撮影はすべて、Minolta TC-1、Fuji Pro 400 / Super Premium 400

●参照
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ウランバートル
2013年11月、ウランバートル