Sightsong

自縄自縛日記

田中克彦『草原の革命家たち』

2014-08-10 00:13:46 | 北アジア・中央アジア

モンゴルへの行き帰りに、田中克彦『草原の革命家たち モンゴル独立への道 増補改訂版』(中公新書、1973/90年)を読む。

モンゴル帝国(元王朝)は、草原の遊牧騎馬民族によって構築された世界であり、中国王朝の系譜に収まるものではない。しかし、この世界帝国は崩壊し、近代にいたり、モンゴルは清国と帝政ロシアとの間においてかろうじて成立していた。辛亥革命(1911年)後、清の支配から脱することを企図するが、依然、中華民国と帝政ロシアとの間で頭越しに国のかたちが決められた。それが、外モンゴルだけの自治権であった。

ロシア革命(1917年)によりソ連が成立し、こkでもモンゴル革命が起きる(1921年)。結果として、ソ連が崩壊するまでの間、モンゴルはソ連の傀儡国家であった。しかし、本書によれば、それははじめからのことではなかった。ソ連のコントロールのもと社会主義国家を成立させたのではなく、逆に、モンゴルがソ連を引き寄せ、独立を勝ち取ったのであった。

当時の英雄たちは「最初の七人」と呼ばれた。そのうちチョイバルサンを除く6人は革命後相次いで処刑され、チョイバルサンはスターリンにすり寄っての独裁者と化した。

―――しかし、歴史はそれほど単純ではなかっただろうと、本書には書かれている。チョイバルサンは曲がりなりにも独立国家モンゴルを維持し、日本軍を破ってもいる(ノモンハン事件)。今回モンゴル人とこの話題をしていて(飲みながらだが)、彼は、今では、スフバートルやボドーら英雄の死も、チョイバルサンも動きも、すべてソ連の意図あってのことだったと評価されているのだと言った。また、ノモンハン事件も、「ノモンハン戦争」と教わるのだと言った。

パワーポリティクスによって国のかたちが変えられたのは、何も内モンゴルと外モンゴルとの分断だけではない。本書によれば、ロシア国内のブリヤートは独立の中に入ることができず、トゥヴァはソ連に併合されたままとなってしまった。そして、独立に際しては、内モンゴルやブリヤートの者たちも歴史に名を刻んでいる。

モンゴルを見る目が変わる名著だと思う。現在も、モンゴルは日本、アメリカ、中国、ロシアによって押されたり引かれたりしているだけに、読んでおいて損はない。

●参照
木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』
開高健『モンゴル大紀行』


2014年8月、ウランバートル

2014-08-09 10:28:39 | 北アジア・中央アジア

前回のウランバートルは11月でひたすら寒かった。今回は8月ゆえ油断していたが、肌寒かった。


どこの人か


白クマ


標識


信号は怖い


英雄スフバートル


夜明け


ライブハウス(覗く余裕は無いけれど)


ビルの向こうにはゲル



カップル

※写真はすべて、Nikon V1+10mmF2.8、30-110mmF3.8-5.6

●参照
2013年11月、ウランバートル
2014年8月、ゴビ砂漠


テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』

2014-08-09 09:11:04 | 思想・文学

ウランバートルから仁川に向かう機内で、テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない メディア・記憶・歴史』(岩波現代文庫、原著2004年)を読了。

本書は、今なお蠢き続ける歴史修正主義に抗するテキストである。「修正」という表現では、正しい内容への是正と捉えられてしまうかもしれない。より正確に、著者は、「抹殺の歴史学」と書く。

すなわちそれは、「正史」という大きな物語を確立し、それに対する異物を排除しようとする「抹殺」の絶えざる策動を意味する。具体的には、「従軍慰安婦」が日本軍の組織的な性奴隷であったこと、南京事件において日本軍が大規模な無差別虐殺を行ったこと、沖縄戦において日本が住民を意図的に犠牲として延命を図ったこと、近代以降の日本が帝国主義的な拡大をつづけたこと。それらは「なかった」ことにしようとされる、あるいは、別の物語にすり替えようとされる。もちろん、この現象は日本のみに見られてきたわけではない。

「抹殺の歴史学」の手段はさまざまだ。典型的には、抹殺の対象となる史実の説明に瑕を見つけ、その瑕のみをクローズアップし、もし間違いであることが判明したならば、全体もすべて間違いであるかのように喧伝する。しかも、国家や民族への帰属意識を利用することによって。

その過程で、映画、漫画、テレビ、インターネットといった媒体がどのように使われてきたか。著者の追及は鮮やかだ。たとえば、小林よしのりの漫画における「抹殺」の手法が、ソ連のプロパガンダに採用された手法に酷似していることなど、納得させられる。あまりにも稚拙であからさまな手法ではあるが、それだからこそ、多くの同調者を生んだのである。

それでは、如何に、「抹殺の歴史学」に抗していくのか。著者は、歴史とは「過去への連累」であり、「真摯さ」をもって対峙し、各々が抱え持つべきものだと説く。そして、それは、わかりやすい物語のみに接することであってはならない。

「歴史プロセスへの”連累”について考察しても、そこからたったひとつの権威ある”歴史的真実”が生まれてくるわけではない。それでもわたしは、そこに”歴史への真摯さ”(ヒストリカル・トゥルースフルネス)が、すなわち、過去の出来事と人びととのあいだに開かれた、発展的な関係が必要だと主張したい。”真実”(トゥルース)ではなく”真摯さ”(トゥルースフルネス)ということばを使うことでわたしはこの論考を、歴史的事実が存在する、しない、をめぐる、ときには不毛とさえ思える論争からひき離し、現在の人びとが過去を理解しようとするプロセスに焦点をあてたいと願っている。」

「・・・自分の意見をもつことなんか放棄したいー結論を”エキスパート”に委ねたいーという衝動は危険である。それは真空地帯をつくりだし、そこにすぐ最新の、あるいはもっとも魅力的に提示されるイデオロギーがするりと入りこんで埋めてしまうからである。歴史理解との関わりにおいては、政治との関わりと同じく、漠然とした無関心と、メディアによって操作された大衆向けパフォーマンスにたいする狂信的熱狂とは、ひとつコインの表裏にすぎない。」

●参照
テッサ・モーリス=スズキ『北朝鮮へのエクソダス』


2014年8月、ゴビ砂漠

2014-08-08 08:04:04 | 北アジア・中央アジア

およそ9か月ぶりのモンゴル。

ウランバートルから、ゴビ砂漠南部のダランザドガドまで、58席のプロペラ機で1時間半。連日、そこから何時間ものオフロード。


馬乳酒


「1600年モノ」だという村の宝


トカゲ


ぬかるみにはまって1時間立往生した


ゲル


ハリネズミのとげ


ゲルのラジオ


砂漠のトイレ


ゴビ


ラクダの糞


山羊の乳で作った菓子


山羊の乳の茶


ゲルの子ども


山羊のミートパイ


競馬のメダル


屠ってくれた山羊の喉の骨


ラクダ


白いラクダ


ゲル


水場


渓谷の花


祈りのおカネ


渓谷


渓谷の花


空港のヘンなラクダ


防衛大臣が来た(その飛行機に乗ってウランバートルに戻った)

※写真はすべて、Nikon v1 + 10mmF2.8

●参照
2013年11月、ウランバートル


「現代思想」のロシア特集

2014-08-03 19:33:26 | 北アジア・中央アジア

現代思想」誌(2014/7)が、「ロシア ー 帝政からソ連崩壊、そしてウクライナ危機の向こう側」と題した特集を組んでいる。この数日間ずっと読んでいて(ななめ読みではあるが)、成田から仁川に向かう飛行機のなかで読了した。

ロシア特集とは言っても、ウクライナ危機とクリミア併合という時期だけに、その問題に焦点を当てたものが多い。なかでも、以下のような点が留意すべきものとして挙げられていることがわかる。

○ロシアが先祖返りしたように力による支配を選んだとする見方は、あまりにも単純化しすぎている。
○旧ソ連国家における2000年代のカラー革命、EUの東方拡大は、ロシアにとっては脅威であった。それは、単なるヨーロッパ化という「文明の衝突」ではない。NATOの軍事的脅威である。
○ウクライナは、昔から国境を前提として支配されてきた地ではない。また、歴史的にも心情的にも一枚岩ではない。現在では、西側はヨーロッパ、東側はロシアへの精神的距離が近いと言われるが、それも単純な話ではない。ロシアからの視線、ヨーロッパからの視線はかなり異なりねじれている。
○場所によってはユダヤ人が多く、そのためにプーチンはユダヤ人対策に気を配ってきた。メディアも駆使した。
○また、キプチャク・ハン国時代からのタタール系も多かった(現在ではかなり減った)。
○沖縄における基地への抵抗は、ロシアでかなり知られている。このことを込みにした日本への視線については、ゴルバチョフの来沖により見えてきたものだった。(若林千代氏)
○もちろん、影響が大きい隣国はウクライナだけではない。イラン、そして中央アジアのスタン系諸国との歴史的な相互作用は、原子力開発や軍事協力を通じて複雑化している。(アレズ・ファクレジャハニ氏)

まずは、ロシアやウクライナやイランを巡る言説に対しては、眉唾でかからなければならないということだ。


大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』

2014-08-02 21:31:42 | 関東

大木晴子さんにお誘いいただいて、大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)の試写会を観た(2014年8月2日、アテネフランセ文化センター)。

大津さんは、言うまでもなく、『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)にはじまる小川プロによる三里塚のドキュメンタリーを撮った名カメラマンである。その大津さんが、三里塚闘争以来数十年ぶりに現地を訪れた。上映後に大津さんが語ったところによれば、まさに、『三里塚の夏』のDVDブック出版にあたり、解説を付けるために何度も自らの撮った映像を観ているうちに、闘争に参加した現地の女性たちに再会したいとの思いを強くして、また足を向けたのだという。大津さんは、かの女性たちについて、闘争に参加するうちに美しくなっていき、誇りを持った顔になり、エロスさえも感じたのだと語った。

三里塚闘争の盛り上がりからかなりの時間が経ち、『三里塚に生きる』に登場する人たちは、「生き残り」と言ってもよいのだろう。彼女ら・彼らは、当時の様子を思い出しつつ(大津さんが撮った映像がそれに重ねられる)、闘争の意味を確認し、現在の自分自身について語る。

いまも現地で農業を続ける人がいる。その人は、問題となるのは「時間ではない」と断言する。戦後、国家が、開拓さえ奨励した場所を、突然、国際空港の用地だと決めた。60年代に、浦安沖案、羽田沖案、霞ケ浦案、冨里案などがあった中で、理由も示さず、一方的に、冨里の隣の成田としたのだった。決定のプロセスが問題であっただけではない。国家権力は、死者が出ても構わないようなやり方で、住民同士を分裂させ、強圧的に追い出した。そして、機動隊員にも、闘争側にも、実際に死者が出た。

こうして、闘争は、それに関わった人たちにとって、文字通り、人生を賭け、あるいは人生を狂わされたものとなった。もちろん闘争は一枚岩ではありえない。早々に土地を売って去った者、権力との和解という現実路線を選んだ者。彼女ら・彼らの現在の姿がさまざまなリンクとなって、歴史が現在につながる。

カオスを孕んだ、おそろしいドキュメンタリーだ。上映後、大津さんは、数十年ぶりゆえ、「錆びた羅針盤を持って、西も東もわからない」状態で再訪して撮った映画であり、作品としてどうなのか判断できないと語った。「宝の山か、芥の山か」と。しかし、答えは明らかだ。

やはり数十年ぶりに、ライカM5を持って三里塚を訪れた北井一夫さんも映画に登場する。そのゆっくりとした話しぶりと笑顔とに、まるで狂言廻しのような存在感を覚えた。

●参照
『小川プロダクション『三里塚の夏』を観る』
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
ええじゃないかドブロク
大津幸四郎『大野一雄 ひとりごとのように』


『Marzette Watts』

2014-08-02 18:31:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

昔、VenusからESPの再発盤が続々と出されたときにはじめて知ってから、なんだかよくわからないので遠巻きにみていた『Marzette Watts』(ESP、1966年)。中古盤を見つけて、ようやく聴く気になった。

Byard Lancaster (as, fl, bcl)
Clifford Thornton (tb, cor)
Juney Booth (b only 1)
Henry Grimes (b)
Sonny Sharrock (g)
Karl Berger (vib)
J.C.Moses (ds)
Marzette Watts (bcl, ts, ss) 

何しろ、マーゼット・ワッツという人が残した唯一の録音である。とはいっても、ずっと音楽をやっていた人ではなく、政治運動や絵画も手掛けていて、おそらくはニューヨークに越してきて、ヒップな仲間とともに盛り上がったドキュメントということになるのだろうね。

アミリ・バラカの妻でもあったヘッティ・ジョーンズの自伝『How I Became Hettie Jones』を覗き見すると(amazonで)、ずいぶんと奇抜な風貌で、道行くひとたちはワッツを呆然と見ていたという。

この演奏におけるワッツはというと、バスクラにしてもテナーサックスにしても、何だか頼りなく弱弱しい。明らかに聴きどころはカール・ベルガーやソニー・シャーロックらなのだ。しかし、混然一体としたエネルギーの発露ぶりはとても嬉しい印象を残す。これを時代だといってしまうと非常につまらないのだけど。 


ニコラス・ペイトン『Numbers』

2014-08-01 07:36:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

ニコラス・ペイトン『Numbers』(Payton Records、2014年)を聴く。

Nicholas Payton (tp, fender rhodes)
Corey Fonville (ds)
Devonne Harris (Juno, p, org, b)
Keith Askey (g)
Andrew Randazzo (b)

最近の『#BAM Live at Bohemian Caverns』が、伝統音楽としてのジャズを堂々と前面に押し出していて、また、だからといって小賢しくもない力強さでとても交換を持ったのだが、これはまた随分と雰囲気が異なる。

つまりそれはマイルス・デイヴィスの手法でもあったのだが、 全体がひとつのイメージで貫かれていて、スタイリッシュでもある。ニコラスはトランペットよりもむしろフェンダー・ローズのほうを主役に据えている。格好よくはあるものの、飛び出たところがなくてあまり面白くはない。「カッコいいが面白くない」コンセプトアルバムとは何だろう、ニコラスにはフィジカルにも凄まじい突破力があるのだから、もっと暴れてほしい。

●参照
ニコラス・ペイトン『#BAM Live at Bohemian Caverns』