Sightsong

自縄自縛日記

内田修ジャズコレクション『宮沢昭』

2016-05-21 13:54:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

内田修ジャズコレクション~人物編の2枚目として出された『宮沢昭』を聴く。医師・内田修氏が企画していた「ヤマハ・ジャズ・クラブ」でのライヴや、自身の病院に設置されたスタジオでの演奏などが収録されている。

1: 宮沢昭 (ts)、中牟礼貞則 (g)、稲葉国光 (b)、佐藤允彦 (p)、小津昌彦 (ds)、1976年
2: 宮沢昭 (ts)、佐藤允彦 (p)、望月英明 (b)、森山威男 (ds)、松本治 (b.tb)、吉田憲治 (tp)、林研一郎 (flh)、鈴木正則 (flh)、皆川知子 (tuba)、南浩之 (frh)、高野哲夫 (frh)、1987年
3: 宮沢昭 (ts)、渡辺香津美 (g)、佐藤允彦 (p)、井野信義 (b)、日野元彦 (ds)、1981年
4-8: 宮沢昭 (ts)、佐藤允彦 (p)、井野信義 (b)、日野元彦 (ds)、1981年
9: 宮沢昭 (ts)、1987年

渋谷毅とのデュオ『野百合』はわたしの愛聴する1枚だが、それ以外のフォービート物はさほど聴きたいとも思わず、手放してしまってもいる。しかし、この録音を聴くと、宮沢昭というテナーマンがやはりトップランナーであったことが実感される。

1曲目は吹き込みの乏しかった70年代、2曲目はその11年後、同じ「Rainbow Trout」であり、どちらも、こんこんと湧き出てくるアイデアが何らの障壁なく指に伝わり、豊かなテナーの音を放っている。特に後者は森山威男のドラムスがフィーチャーされていて嬉しい。

4-8曲目は、『My Piccolo』録音前日のリハーサルである。「さあいくぞ」なんて掛け声があったり、日野元彦が叩き始めたところ「もうちょっと早く」と注文してリスタートしたり、「徹底的にやんないと大フリーになっちゃうから」「いや大フリーでもいい」とか話し合っていたりと、親密で愉しい。なんだか完璧主義者のようにも思える。『My Piccolo』はずいぶん前に借りて聴いて忘れてしまったのだが、あらためて聴き比べてみたいところ。

最後の曲は独奏。吹き終わりのフレーズと響きに特徴があって、寂しさも覚えてしまうのは、『野百合』と同じである。

●参照
宮澤昭『野百合』 


島袋純さん講演会「島ぐるみ会議の挑戦―自治権拡大の国際的潮流の中で」

2016-05-20 21:51:30 | 沖縄

島袋純さん(琉球大学)の講演会「島ぐるみ会議の挑戦ー自治権拡大の国際的潮流の中で」を聴いてきた(2016/5/19、主催・反差別国際運動)。特に、独立性の強いスコットランドの政治がどのように成立し、それが、沖縄にとってどのような意味を持つのか、といったテーマである。

以下のような内容。(※文責は当方にあります)

欧州では、地域分権や地域での経済発展が成立しており、EUと地域政府とが直結する形ができている。特筆すべき成果は、スコットランドやカタルーニャにおいてみられる。

英国では1979年に小さな政府を指向するサッチャー政権が誕生し、民営化の推進により失業率が増加し、新自由主義的な急進的な政策により、地域の社会的連帯が破壊された。そういった負の成果は、フォークランド紛争(1982年-)におけるナショナリズムの高揚によりかき消された。サッチャーの保守党が不人気だったスコットランドでは、1989年に、「権利章典」を制定し、それに基づく基本法が、英国国会において認められた。すなわち、スコットランドという地域の人々が、独立を含め、権力機構を創出する自己決定権を持つということが、英国政府に認められた。これを認めたことは、英国政府にとっては失敗だった(キャメロン政権)。

このことがいかに重要だったか。外交やマクロ経済などを除き、ほとんどの権利が地域に移されることになったからである。先日の独立住民投票がどうあれ、既にスコットランドは実を得ていたわけである。

英国政府はなぜスコットランドの独立を認めたくないのか。それは、英国の核基地がグラスゴーの軍港だけであり(原潜)、それなしでは、英国は、アメリカの戦争に付き合うことで保っている国家的威信を失うからである。もちろんアメリカも困る。

近代において、政治的混乱なしで、民主的手続きを経て、無血で、国家の再編・離脱、新国家の建設が行われた事例はない。スコットランドのあり方は、少数派の主権獲得の新たなモデルたりうる。

以上のように、沖縄のあり方を、スコットランドを参照しながら検討していくことには大きな意味がある。新自由主義的に地域が抑圧されること、アメリカの軍事戦略の手段として使われていること、好戦的なナショナリズムによって地域の主権が無力化されることなどの類似点がある。

国連の国際人権規約(1996年)では、すべての人民(ネイションではなくピープル)が、国内での主権的な権限(内的自決権)と、分離独立し主権国家を形成する権利(外的自決権)を持つことを定めている。この規約を引用する形で、国連人種差別撤廃委員会は、日本政府に対し、沖縄における軍事基地の集中を含めた差別的政策に関する勧告を発した(2010年)。

もとより戦後、沖縄からは、日米の共謀により恒久的な軍事基地とすべく自決権が排除されてきた。サンフランシスコ講和条約(1952年)も、沖縄の代表者がいないところで決められたという点で無効である。

土地の占拠については特別法等でなされてきたが、憲法第95条では、特別法はその地域の住民投票において過半数の賛成を得なければ適用できないことを規定している。また、たとえば、新潟県巻町(旧)の住民投票(1996年)により、原発の建設が不可能となった(被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2))(条例に基づく住民投票)。しかし、沖縄では、名護市の住民投票(1997年)があったにもかかわらず、いまだ辺野古新基地の建設が強行されている。明らかなダブルスタンダードである。

日本では、戦後、憲法・立憲主義の血肉化に失敗してきた。これを再構築することが必要であり、その意味で、島ぐるみ会議の「建白書」が位置付けられる。

ところで、沖縄の基地の「県外移設」によって、地位協定や米軍基地の強引な存続が憲法違反であることが明白となるのかと言えば、現在の日本での問題意識の希薄さからみれば、そうはならず、ただの立憲主義の破壊に終わるだろう。したがって、「県外移設論」には賛成ではない。集団的自衛権と辺野古の新基地とは直結している。この動きの先には、自衛隊が米軍の統制下に入る構造が考えられる。そうなれば、日本の統制が利かないものとなっていくだろう。

●参照
島袋純さん講演会「"アイデンティティ"をめぐる戦い―沖縄知事選とその後の展望―」(2014年)
琉球新報社・新垣毅編著『沖縄の自己決定権』(2015年)


村瀬春樹『誰か沖縄を知らないか』

2016-05-19 00:14:48 | 沖縄

村瀬春樹『誰か沖縄を知らないか ≪第三世界≫私論』(三一新書、1970年)を読む。

先日明治大学で行われた「コザ暴動プロジェクト in 東京」(2016/4/29)でのこと。シンポジウムのあと、客席から、当時のコザにおいて配られていたという黒人兵士による反戦ビラを持っているという方が発言した。そのことは、後日(2016/5/15)、朝日新聞において詳しく報じられた。おそらくは嘉手納基地の黒人米兵によって撒かれたものであり、「基地内の黒人から沖縄の人びとへのアピール」と題されていたという。そこにあった視点は、「沖縄がヤマトに支配されてきたのと同様の、米国での黒人差別の歴史」なのであった。

「コザ暴動」の直前に書かれた本書においても、その動きが生々しくとらえられている。黒人兵たちは自分自身を「ブラック・ピープル」であると称し、リロイ・ジョーンズ(のちのアミリ・バラカ)を、カシアス・クレイを、マルコムXを、ブラック・パンサーを語り、社会の構造矛盾に対する怒りを露わにし、そして「第三社会」への共感を示すのだった。「コザ暴動」を前にして、既に、かれらは同じ米軍のMPのパトカーを標的にしてもいた。こうなると、沖縄人たちの溜め込まれた怒りにより起こるべくして起きた「コザ暴動」について、黒人差別という観点からの併行した共感・共鳴や、その同時代史も複眼的に視るべきだと思える。

本書の後半は、当時の沖縄が、構造的に売春を生み出さざるを得なかった状況についてのルポである。その状況に相対する著者自身は、まるで敗北感にまみれているようだ。「僕」が「売春」を視るときの姿はどのようなものか。「僕」にとっての「沖縄」とは何か。そこには、手段として沖縄ーヤマトという二分法に近づいていくあやうさがあり、だからこその敗北感である。どうやっても当事者になれないもどかしさ、とでもいうのか。この少しあと、沖縄返還の直前に、「沖縄のために、ぼくにできることは何か。」と、ナイーヴに、意識的に書いた東松照明とも重なってくる。

著者が沖縄入りしていた目的は、「NDU」の一員として、映画『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』を撮るためでもあった。「モトシンカカランヌー」とは元手がかからぬ商売、すなわち売春婦などを指すことばだったという。本書が出されたよりもあと、1971年に映画は完成している。まだ機会がなくて観ていないのだが、どのような作品になったのだろう。なお、「コザ暴動」シンポには、やはり「NDU」に属していた今郁義氏も登壇している。

●参照
コザ暴動プロジェクト in 東京
比嘉豊光『赤いゴーヤー』(「コザ暴動」の写真を所収)
三上寛『YAMAMOTO』(「十九の春」において「コザ暴動!コザ暴動!」と叫ぶ)
森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』(主人公たちは「コザ暴動」を経験している)
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー(「コザ暴動」のエピソードが入っている)
比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
仲里効『眼は巡歴する』
仲里効『フォトネシア』


本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』

2016-05-17 20:45:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(Fun House、1992年)。なつかしさのあまりにまた手に取ってしまった。

Kohsuke Mine 峰厚介 (ts, ss)
Takao Uematsu 植松孝夫 (ts)
Shigeharu Mukai 向井滋春 (tb)
Takehiro Honda 本田竹広 (p)
Tsutomu Okada 岡田勉 (b)
Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)

これが出た当時はノリのよい曲ばかりを喜んで聴いていたような記憶があるけれど、こうして改めてじっくりスピーカーに向かってみると、脂の乗り切ったプレイヤーたちの個性が愉しめて、とてもいい。

峰厚介さんだけのフレーズと音程から微妙にずらされた響きがあって、また、植松孝夫さんのマニッシュに140キロの直球を投げ込んでいくようなストレートな渋さもある。そんななかで、最初から最後まで響きわたる本田竹広のブルースにただ痺れる。

●参照
本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』(1995年)
本田竹広『This Is Honda』(1972年)
本田竹広『The Trio』(1970年)


小泉定弘写真展『小さな旅』

2016-05-16 00:01:33 | 写真

町屋文化センターで、小泉定弘写真展『小さな旅』を観る。

ちょうど1年前の写真展『漁師町浦安の生活と風景』のときと同様に、会場の入り口に、ご本人が原稿用紙に万年筆で書いた挨拶文が掲示してあって、これがまたユーモラスで味がある。今回の写真は、1-2泊の小旅行で撮られたスナップばかりだということだ。

写真は、まったくこれ見よがしでないものばかりである。霧がかかった山、水場を遊ぶ子ども、海岸、水面に写る富士山、淡路島の畑であそぶ人たち、どれもなんともしみじみ良い。

小泉さんがおられたので、少しお話をした。ライカM6にズミクロン50mmF2.0、たまに35mmだがだいたいは標準レンズを使うということ、ズミルックスや他の焦点距離のレンズも持ってはいるがやはりズミクロンということ、バライタ紙を使っていて今ではプリンターに焼いてもらっているということ、動きのある被写体が好きだということ、ツァイト・フォト・サロンのこと。

せっかくなので、持参した写真集『都電荒川線 The Arakawa Line』と、『隅田川 The Sumida』にサインをいただいた(その万年筆で!)。前者は荒川線沿線のスナップ、後者は橋の途中から隅田川をひたすら撮った過激な作品である。表紙を開いたところで、しばらく、うーん写真のフレームと一緒でどこに書くかで性格が出るんだよなと5分くらい悩んで、片方には日付を英数字で、片方には漢数字で、書いてくださった。このペースがまさに小泉写真。嬉しくなってしまった。

ところで、この2冊は同じ判型とつくりであり、もう1冊『明治通り』という写真集とで3部作なのだという。

「ああ、それはもう1冊持っておいた方がいいよ」
「はい、どうしてでしょうか」
「荒川線がだいたい10キロ、隅田川がだいたい20キロ、で、明治通りがだいたい30キロ。10キロずつ伸ばしていった」
「!!」

●参照
小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』
小泉定弘『都電荒川線 The Arakawa Line』


亀戸事件と伊勢元酒場

2016-05-15 08:29:01 | 関東

10年ぶりくらいに、亀戸に足を運んだ。記者のDさんと呑むためである。北口の裏通りは相変わらず賑わっていた。亀戸餃子が夕方早い時間に店じまいしてしまうのも前と同じ。いくつかホルモンの店があり、ことごとく若い人たちの行列ができていた。どういうことだろう。

せっかくなので、亀戸事件の現場となった亀戸署の場所付近を歩いてみた。1923年9月、関東大震災後の混乱時に、意図的なデマに煽られて、一般人が、多くの朝鮮人と中国人をとらえ根拠なき虐殺を行った。攻撃の対象は「日本語」の話し方によって識別されたため、沖縄人も脅威にさらされた。また、官憲は混乱に乗じて、労働運動や社会運動を行っている者たちを捕らえ、亀戸署において殺した(亀戸事件)。加藤直樹『九月、東京の路上で』によれば、ネットカフェの入ったビルのあたりがその場所だということだった。

阪神淡路大震災のときには、在日コリアンの人びとの脳裏には虐殺事件が蘇ったのだという(野村進『コリアン世界の旅』)。また、先日の熊本の震災で同様の悪質なデマが意図的に流され、地方議員のなかにはそれを是認する者さえいたことを考えれば、たかが100年前の事件は確実にいまと地続きであることがわかる。

さらに、藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』を参考にして、浄心寺の中に設置されている「亀戸事件犠牲者之碑」を見た。碑の裏側には以下のように彫られている。

「1923年(大正12年)9月1日関東一帯を襲った大震災の混乱に乗じて天皇制警察國家権力は 特高警察の手によって 被災者救護に献身していた南葛飾の革命的労働者9名を逮捕 亀戸警察署に監禁し戒厳司令部直轄部隊に命じて虐殺した 惨殺の日時場所ならびに遺骸の所在は今なお不明である 労働者の勝利を確信しつゝ権力の蛮行に斃れた表記革命戦士が心血をそゝいで解放の旗をひるがえしたこの地に建碑して犠牲者の南葛魂を永遠に記念する 1970年9月4日」

碑の下には犠牲者9名、さらに裏側の下には後日判明した1名の名前が彫られている。上の本によれば、その10名は、南葛労働会の川合義虎をはじめとする8名と、純労働者組合の平澤計七と中筋宇八だった。また、怪人物・南喜一が近くの大島で営んでいたグリセリン工場の職工・佐藤欣治と、南の弟・吉村光治も犠牲となっており、この碑にも名前が刻まれている。南喜一『ガマの闘争』によれば、そのことを確かめに行った亀戸署において南自身もあやうく殺されかけ、背後から撃たれた弾がふくらはぎを貫通した。

田原洋『関東大震災と中国人』によれば、この事件は「第二次亀戸事件」と呼ぶべきものであって、この8時間前に、自警団員4人が警察に殺されて、それが引き金となって起きたものだという。

なお、埼玉県の丸木美術館には、韓国・朝鮮人の犠牲者を追悼するための「痛恨の碑」がある。この虐殺は、東京だけでなく関東全体で行われたのだった。

もう少し明治通りを北に歩いて、古い「伊勢元酒場」で呑んだ。年季が入った木のカウンターがあって、先客がずれて席を作ってくれた。日本酒も、イカが入った大きな焼売も、イワシフライも旨かった。どうやら、かつて「伊勢元」という酒の小売業者があって、その名残の名前だということだった。確かに、バスの車窓から別の「伊勢元」という店が見えたし、亀戸の商店街には「伊勢禄酒店」という酒屋があった。

ついでに駅前の「くら」という立ち呑み屋にも立ち寄って四方山話。

●参照
加藤直樹『九月、東京の路上で』
藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』
南喜一『ガマの闘争』
田原洋『関東大震災と中国人』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
伊藤ルイ『海の歌う日』(大杉栄殺害事件)
山之口貘のドキュメンタリー(沖縄人の被害)
平井玄『彗星的思考』(南貴一)
道岸勝一『ある日』(朝鮮人虐殺の慰霊の写真)
『弁護士 布施辰治』(関東大震災朝鮮人虐殺に弁護士として抵抗)
野村進『コリアン世界の旅』(阪神大震災のときに関東大震災朝鮮人虐殺の恐怖が蘇った)


ウラジーミル・タラソフ+エウジェニュース・カネヴィチュース+リューダス・モツクーナス『Intuitus』

2016-05-14 16:14:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウラジーミル・タラーソフ+エウジェニュース・カネヴィチュース+リューダス・モツクーナス『Intuitus』(NoBusiness、2014年)を聴く。LP 2枚組である。

Vladimir Tarasov (ds, perc, cimbalom and hunting horn)
Eugenijus Kanevičius (b, electronics)
Liudas Mockūnas (ss, ts, cl, bcl)

もっとも印象深い音は、リューダス・モツクーナスの多彩なリードと、へヴィー級のエウジェニュース・カネヴィチュースの重いベースなのであり、実際のところウラジーミル・タラソフは「背後でヘンな音を出しているな」くらいだったのだが。

2回ほど通して聴いたあとに、「JazzTokyo」に岡島豊樹さんが執筆されたレビュー(>> リンク)を読んだところ(聴く直前に読むと印象が引きずられるので避けていた)、吃驚してしまった。曰く、

「タラーソフは多彩な音を繰り出しているが、その中で「シュッ、シュッ、シュッ」というブラシで出した音は「輸送車」が出発する直前にたてる音として象徴的なものであると教えられて絶句してしまった。(略)これを聴いてしまった人は誰しも、以後タラーソフのパフォーマンスを流し聴きすることなど不可能になるだろう。」

そして、ジャケットの写真は、風がどこからともなく吹いてきて聖書の頁がめくれるという、タラソフ自身によるインスタレーションであるという。また、沼野充義編著『イリヤ・カバコフの芸術』によれば、ウラジーミル・タラソフがカバコフに何度も協力していた。

つまり、タラソフの音楽は観なければ、それができないとすれば想像力をフルに発揮しなければならないということである。こんな耳ではいけない。

●ウラジーミル・タラソフ
イリヤ・カバコフ『世界図鑑』(2008年)
モスクワ・コンポーザーズ・オーケストラ feat. サインホ『Portrait of an Idealist』(2007年)
ロシア・ジャズ再考―セルゲイ・クリョーヒン特集(2007年)
ガネリン・トリオの映像『Priority』(2005年)

●リューダス・モツクーナス
「JazzTokyo」のNY特集(2015/12/27)


セシル・マクビー『Mutima』

2016-05-14 10:19:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

セシル・マクビー『Mutima』(Strata-East、1974年)、オリジナル盤。

Cecil McBee (b)
Tex Allen (tp, flh)
Art Webb (fl)
Allen Braufman (as)
George Adams (ts, ss)
Onaje Allen Gumbs (p, elp)
Jimmy Hopps (ds)
Jaboli Billy Hart (cymbal, perc)
Lawrence Killian (congas)
Michael Carvin (gong, perc)
Dee Dee Bridgewater (vo)
Cecil McBee, Jr. (elb)
Allen Nelson (ds)

セシル・マクビーの引き締まったベースがぶんぶん鳴り、ときにはしゃぐほど弾いて、サウンドを牽引している。もはや快感そのものなのだが、この人は曲作りもすごく巧いのだなと思う。

A面は、本人だけのアルコ弾きを多重録音した「From Within」からはじまり、ディー・ディー・ブリッジウォーターが歌う短い曲「Voices of the 7th Angel」、ジョージ・アダムスのテナーが嬉しい「Life Waves」。

B面の表題曲「Mutima」とは「視えない力」という意味だそうであり、ブラック・アフリカに捧げたものになっている。歓びを爆発させたような曲で、その変わりゆく展開を、パーカッションやコンガなどの打楽器を打ち鳴らして祀りにまで昇華しているように聴こえる。短い「A Feeling」においてアート・ウェッブのフルートとアルコとの絡みを聴かせ、そして最後はファンクのような「Tulsa Black」。ここでもアダムスのひしゃげた音のテナー、さらに、テックス・アレンの勢いあるトランペット、マクビーの息子によるエレベがいい。なんだこの盛り上がりようは。100人が聴いたら99人はカッコいいとため息をもらすだろう。

いまマクビーは80歳。山下洋輔ニューヨーク・トリオのライヴを2度ばかり観たがその響きが素晴らしかった。また演奏を目の当たりにする機会が欲しい。

●セシル・マクビー
エルヴィン・ジョーンズ+田中武久『When I was at Aso-Mountain』(1990年)
アミナ・クローディン・マイヤーズのベッシー・スミス集(1980年)
チコ・フリーマンの16年(1979, 95年)
チコ・フリーマン『Kings of Mali』(1977年)
ハンプトン・ホーズ『Live at the Jazz Showcase in Chicago Vol. 1』(1973年)


本田竹広『This Is Honda』

2016-05-14 08:24:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

本田竹広『This Is Honda』(TRIO、1972年)。むかしダビングして聴いただけでもあり、LPを見つけて入手した。

Takehiro Honda 本田竹広 (p)
Yoshio Suzuki 鈴木良雄 (b)
Fumio Watanabe 渡辺文男 (ds)

ブルージーな本田竹広を聴こうと思ってターンテーブルに載せて、スピーカーからは欲しかった音以上の音が出てくる。

「You Don't Know What Love Is」「Bye Bye Blackbird」「Round About Midnight」「Softly As In A Morning Sunrise」「When Sunny Gets Blue」「Secret Love」という有名スタンダードばかりなのだが、すべてホンダ・テイストになっている。微妙に左と右をずらして合わせる和音が絶妙であり、また、装飾音の数々やおもむろに盛り上げてゆくときに滲み出てくる喜びがある。

そんなわけで、A面もB面もなんども繰り返し聴いたのだが、ぜんぜん飽きない。

●参照
本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』(1995年)
本田竹広『The Trio』(1970年)


杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』

2016-05-13 22:16:06 | 北アジア・中央アジア

杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』(講談社学術文庫、原著2008年)を読む。

モンゴル帝国は「帝国」とは言え、近現代から想像するようなものではなかった。血縁を重視し、簡単に裏切ることのない統制の取れたかたまりである「ウルス」がゆるやかに連携しながら並び立ち、ユーラシアを席捲した。その歴史的なインパクトはあまりにも大きく、ヨーロッパからみた歴史でもなく、また「元朝」と称するような中国からみた歴史でも、視線としては偏っている。この「杉山史観」はとても魅力的で、従来の歴史に対する視線を「本当に本当か」と詰める。

史観がどうあれ、13世紀を中心に、東アジアの大元ウルス、中東のフレグ・ウルス、ロシア~東欧のジョチ・ウルス、中央アジアのチャガタイ・ウルスがそれぞれ支配域を確立し、凄まじい広さをモンゴルの息がかかった地域とした。そして、一時代のあだ花ではなく、たとえば、インドのムガール帝国も、ティムールを介したモンゴル後継国家とみなすなど(モンゴル→ムガール)、その影響を非常に大きなものとしている。

面白いのはそれにとどまらない。資本主義の源流を銀による大元ウルスの経済システムに見出すこと、大元ウルスにとってかわった明朝が内向きの支配体制を取ったために、海からの世界支配がアジアでなくヨーロッパによるものになったことなど、とても興味深い。このような俯瞰する視線であれば、アメリカの世紀も未来永劫に続くわけでないと捉えるべきであるように思えてくる。

●参照
杉山正明『クビライの挑戦』
白石典之『チンギス・カン』
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』
田中克彦『草原の革命家たち』
木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』
今西錦司『遊牧論そのほか』


チコ・フリーマン『Kings of Mali』

2016-05-13 07:18:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

チコ・フリーマン『Kings of Mali』(India Navigation、1977年)。久しぶりに棚から出したら、LPの内袋がジャケットの中でへばりついていた。

Chico Freeman (ts, ss, fl, alto fl, African Bailophone)
Jay Hoggard (vib, African Bailophone)
Cecil McBee (b)
Anthony Davis (p)
Famoudou Don Moye (ds, Sun perc, African Bailophone, gongs, whistles)

13世紀から17世紀にアフリカに存在したマリ帝国をテーマとしたコンセプト・アルバムのようなものか。スンジャータ・ケイタやマンマ・ムーサという偉大な王をタイトルにした曲も含まれている。イスラームを受け容れて広まった歴史があり、有名な砂のモスクはこの時代にも作られている。いつだったか、坂田明氏がマリ共和国を旅する番組があって、それ以来ずっとマリに憧れていて、いまだ行けていない。

何しろサイドメンが抜群。他のアルバムにもあったが、ジェイ・ホガードのヴァイブがサウンドをきらめくものにしていて、そこに暴れるドン・モイエと、渋く重いセシル・マクビー。

あらためて聴いてみると、チコ・フリーマンのサックスは、若かっただけに勢いもソロの持続力もあるように思えるのだが、その一方、端正なフレーズを積み上げていくキャラは驚くほどいまと同じである。ソニー・ロリンズと同じで、周りを自分と同等のメンバーにして刺激でテンションを上げないと、「昔の名前でやってます」的なサウンドになってしまうということか。いや、いまのチコも偏愛の対象なのだが。

●参照
チコ・フリーマン『Spoken Into Existence』(2015年)
ジョージ・フリーマン+チコ・フリーマン『All in the Family』(2014-15年)
チコ・フリーマン+ハイリ・ケンツィヒ『The Arrival』(2014年)
チコ・フリーマン『Elvin』(2011年)
チコ・フリーマン『The Essence of Silence』(2010年)
最近のチコ・フリーマン(1996, 98, 2001, 2006年)
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』(1992年)
チコ・フリーマンの16年(1979, 95年)
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと(1976年)


大工哲弘『八重山民謡集』

2016-05-12 22:30:25 | 沖縄

大工哲弘『八重山民謡集』(沖縄レコード商事、1970年代?)を聴く。

何年前だったか、那覇の国際通り沿いにあった高良レコードで買ったLP。目につくところには置いていなかったのだが、ご主人に民謡のレコードはないのかと尋ねてみると、嬉しそうに、棚を開けてくれた。そこにはデッドストックがかなりあった。いまその店舗は移転工事中らしい。はたしてあのレコードの山はまだあるのだろうか。

大工哲弘(うた、三絃)
知名定男、北島角子、八木政男、久場洋子、大城美佐子、安里勇(返し、手拍子、太鼓、サンバ、鳴物、はやし)

はじめて大工哲弘を観たのは90年代後半だったから、当時大工さんは50歳前後だったことになる。板橋文夫のグループで、新宿ピットインで唄っていた。そのとき、鼻にかかって引っ張る唄い方が新鮮で驚きもしたのだったが、20代のころに吹き込まれたと思しきこのレコードを聴いても、若々しいという感じはあまりしない。なんだか永遠に変わらない人なのではないか。

本盤では、「安里屋ユンタ」「与那国のマヤー小」「デンサー節」「トバルマ」という有名な曲も、知らない曲も唄っている。いずれにしても、歌詞を読みながら聴いても意味がよくわからなかったりするのだが、とてもいい。中途半端なところで区切って息継ぎをしたり、微妙に張り上げた声がよれたり。

大城美佐子や知名定男の参加も嬉しいのだが、最後の「トバラマ」では安里勇が返しで参加している。このフォギーな声。

●参照
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』(1997年)
小浜司『島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代』
『週刊金曜日』の高田渡特集


マッツ・グスタフソン+サーストン・ムーア『Vi Är Alla Guds Slavar』

2016-05-12 07:38:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

マッツ・グスタフソン+サーストン・ムーア『Vi Är Alla Guds Slavar』(OTOROKU、2013年)を聴く。180グラム、1000枚限定のLPである。

Mats Gustafsson (ss, electronics)
Thurston Moore (g)

まるで『サンダvs. ガイラ』のような、似た者同士の怪獣の邂逅である。

サーストン・ムーアがマッツ・グスタフソンの存在を意識したのは、たまたま、グスタフソンとバリー・ガイとのデュオ盤を聴いて驚いたからだという(1997年の『Frogging』のことか?わたしは歌舞伎町のナルシスで紹介してもらったのだった)。そして、ムーアがストックホルムのレコード店に足を運んだときに、いやグスタフソンというサックス奏者の音源を探しているんだけど、と相談したのだが、その相談を受けた店員がグスタフソンだったという。時系列的には出逢いのあとにこのCDがあったのではないかと思うが、まあ何にしても愉快な話である。

ここでグスタフソンはソプラノサックスとエレクトロニクスを同列に扱う。また、音を使った即興と、音そのものとを同列に扱う。その音の濁流がムーアの濁流と合流して、泥と泡とをまき散らして、さらに絢爛豪華な泥流を創りだしている。濁流に呑まれ押し流されて聴いていると、たいへんなカタルシスが得られてしまう。

「The Thing」もいいが(昨年のライヴには行けなかった!残念)、このデュオも是非生で立ち会いたいものだ。

●参照
ザ・シング@稲毛Candy(2013年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)(マッツ・グスタフソン登場)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)(マッツ・グスタフソン登場)
大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』(2009年)
マッツ・グスタフソンのエリントン集(2008年)
ウィリアム・フッカー『Shamballa』(1993年)(サーストン・ムーア参加)


エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』

2016-05-11 22:20:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』(OTOROKU、2014年)を聴く。500枚限定LP、しかも最初の100枚ということで、アートワークを担当したデニス・タイファスによるリトグラフが付いていた。

Evan Parker (ts)
John Edwards (b)
Chris Corsano (ds)

エヴァン・パーカーはテナーのみを吹いている。ソプラノとの差別化を図らなかったためなのか、断片的で息継ぎの多いソロではなく、より連続的なソロを取っているように聴こえる。かつてのブースト力は無いのだが、その分、内に籠るような音を持続する展開があって、どう聴いても魅せられる。

ここでは、クリス・コルサーノのドラムスが、見事にエヴァンの創り出す世界と拮抗する力を提示してみせている。キレキレの高速パッセージはエヴァンのトリルと対峙しているし、一音一音の貫通力には圧倒される。ベルが鳴る音が骨伝導のように届くのである。

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー@稲毛Candy(2016年)
エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2016年)
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
エヴァン・パーカー『残像』(1982年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)

●クリス・コルサーノ
クリス・コルサーノ、石橋英子+ダーリン・グレイ@Lady Jane(2015年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(2013年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)
ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』(2012年)


M.A.S.H.@七針

2016-05-11 07:02:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

新川の七針でM.A.S.H.のライヴ(2016/5/10)。

Shiro Onuma 大沼志朗 (ds)
Junji Mori 森順治 (as, fl)
Hiraku Amemiya 雨宮拓 (p)
Guest:
Hideki Hashimoto 橋本英樹 (tp)

M.A.S.H.ならではの、キレとパワーとはこれだと見せつけるような演奏。外は雨、中は嵐。ぜひ録音してCDを出してほしい。

客がわたしと、トランペットの橋本さんのふたりだった(橋本さんはセカンドセットではトランペットを吹いたので結局ひとり)。ほとんど酒盛りにお邪魔したようなものだが、生活向上委員会のことや(森さんはかつて参加していた)、雨宮さんが故・富樫雅彦の晩年に組んでいたトリオのことや、カーラ・ブレイとスティーヴ・スワロウのことや、六本木ピットインや、ジョー・ロヴァーノがデューイ・レッドマンの隣で演奏してひじょうに恐縮していたことや、何やらの四方山話。

Fuji X-E2 + XF 60mmF2.4

●参照
森順治+橋本英樹@Ftarri(2016年)
M.A.S.H.@七針(2015年)
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
1984年12月8日、高木元輝+ダニー・デイヴィス+大沼志朗
高木元輝の最後の歌