日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
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上前淳一郎著 「洞爺丸はなぜ沈んだか」(文春文庫)

2008-06-24 23:29:57 | 本・映画・展覧会
 ハコマ、トワマ、タセマ、ヨテマ、マシマ…何のことかお分かりだろうか?

 今みたく国内線の航空運賃が手ごろになる前、そして今みたくヒコーキマニアが嵩じる前、その頃から北海道へ行くのが好きだった。そして、毎年1~2回は必ず足を運ぶその地に達するには、4時間弱の「船旅」が必ず伴った。青函連絡船である。先に書いたカタカナは青函連絡船の電略記号(コールサインとは別)。これらの船が登場する要因の一つが史上有数の海難事故だった。昭和29年に起きた洞爺丸ほかの大量海難である。

 宇高連絡船には紫雲丸、青函連絡船には洞爺丸、と、国鉄連絡船で対になって語られる悲劇の一方について、本書は台風接近から座礁~転覆に至る過程を時々刻々と描いている。ある時は函館港域全体を、ある時は洞爺丸のブリッジをと、視点を変えながら。

 船長を初めとする乗組員、また運航関係者など連絡船よりの内容だけでなく、その連絡船に乗り込んだ、もしくは乗り込むはずだった乗客たちの姿も著者は描く。職業も性別も年齢も(あえて)さまざまな幾人もの登場人物の行動を描くことで、読者の視点は変わり視野は広がる。

 当日の克明な記録だけでなく、その後の海難審判(原因は「船長の過失」)についてを読むと、単純にひでぇ可哀相だだけでなく、ではどうすれば良かったのか!?と考えずにはいられない。テケミ(天気険悪出航見合せの電略)していても風浪で舫い綱は切断され函館港内を彷徨っただろう。せめて乗客や車両を降ろしておくべきだったか。そんな余裕はあったのか。後になって船長の判断を責めるのはた易い。

合掌。

 2008年6月19日 自宅にて読了
コメント (2)
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