週末に土門拳記念館へ行ったこともあるが、写真に関する本が読みたくなったときに目に付いた一冊。
「報道」といっても長期的に撮影しルポルタージュとして発表するやり方もあるし、新聞のトップを飾るようないわゆるニュース写真も当然含まれる。ニュース写真の方が頭に浮かびやすいのではないかと思うが、ルポを世に問うスタイルの方がカメラマン個々人の取材スタイルや撮影手法が際立つように思える。
水俣、韓国、カンボジア等を取材し作品を発表してきた著者が、取材当時の思い出や周囲の状況について記した本書は、著者のみならず同時代に生きた写真家たちを作品と共に知る格好の足がかりともある。一方で、限られた枚数ゆえ記述不足というか半端に思えるところ、書きっ放しに感じられるところもあり少し残念。
自分は「フォト・ジャーナリスト」ではなく「報道写真家」であると述べる著者のこだわりは、オール自動化に対する「職人」としてのアンチテーゼであるように思える。が、約20年前の本書刊行時であればともかく、AF・AEに加えデジカメ化の進行した現在では受け容れる人は少ないかもしれない。技術だけでなく作品の好まれ方も時代によって変わるのだから、それは仕方のないことである。
「桑原史成写真美術館」が山口県津和野町、津和野駅近くにあることを知った。SLやまぐち号乗車と合わせて是非とも訪ねてみたいもの。
http://www.town.tsuwano.lg.jp/kuwabara_photo/index.html
2009年7月22日 通勤電車車中にて読了
「報道」といっても長期的に撮影しルポルタージュとして発表するやり方もあるし、新聞のトップを飾るようないわゆるニュース写真も当然含まれる。ニュース写真の方が頭に浮かびやすいのではないかと思うが、ルポを世に問うスタイルの方がカメラマン個々人の取材スタイルや撮影手法が際立つように思える。
水俣、韓国、カンボジア等を取材し作品を発表してきた著者が、取材当時の思い出や周囲の状況について記した本書は、著者のみならず同時代に生きた写真家たちを作品と共に知る格好の足がかりともある。一方で、限られた枚数ゆえ記述不足というか半端に思えるところ、書きっ放しに感じられるところもあり少し残念。
自分は「フォト・ジャーナリスト」ではなく「報道写真家」であると述べる著者のこだわりは、オール自動化に対する「職人」としてのアンチテーゼであるように思える。が、約20年前の本書刊行時であればともかく、AF・AEに加えデジカメ化の進行した現在では受け容れる人は少ないかもしれない。技術だけでなく作品の好まれ方も時代によって変わるのだから、それは仕方のないことである。
「桑原史成写真美術館」が山口県津和野町、津和野駅近くにあることを知った。SLやまぐち号乗車と合わせて是非とも訪ねてみたいもの。
http://www.town.tsuwano.lg.jp/kuwabara_photo/index.html
2009年7月22日 通勤電車車中にて読了