日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
割とまめに書くようにしています。
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2012年7月31日 実は騙されてたりして?

2012-08-06 20:54:21 | ノンジャンル
 ふと見たら財布に「ギザ10」が入っていた…お久しぶり(笑)。

 昭和29年=1954年。どんな時代だったろう。どんな暮らしだったろう。ちなみに「もはや戦後ではない」と謳われたのはこの2年後、終戦後10年弱、まだまだ混乱は続いていたのだろうか。第五福竜丸、洞爺丸事故、二十四の瞳、七人の侍、等々。

 ふと思った。当時、10円と言う硬貨はどれほどの価値を持っていたのだろうと。まさか今の10円と等価ではあるまし。ちょこっと調べたところ、当時の1円は今の40円弱くらいに相当する。であれば40倍、10円玉は今の500円玉に近い感覚なのかな。

 貨幣価値は日々変われど、硬貨紙幣の数値は変わらない。でないと銀行にギザ10を持っていって「今年発行の500円玉と交換して」って言えちゃいますからね(笑)。当たり前なんだけど、何だか不思議な気がした。騙されてるような…(笑)。夜、気がついたらギザ10は無くなっていた。コンビニで使っちゃったらしい。また遭う日まで…
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2012年7月30日 地震予知研究は役立たずなのか

2012-08-06 08:00:17 | ノンジャンル
 世の中、いろんな学者先生がいらっしゃっていろんな研究をされている。すぐに人類の役に立ちそうな研究もあれば、それが分かってどうなるの?とか一体その先どうなるの?って息の長そうな研究もある。素人目には無意味に見えても、きっと学術的には意義あることなのでしょう。それを否定するつもりはない。総ての研究が目先の対象ばかりってのは良くだろうってことくらいは分かる。

 しかし、どうにも解せないのが地震予知研究。日本のみならず、世界中の研究例で研究が役に立ち大勢の人々や貴重な物品が被災を免れた、或いは軽微な損害に留まったと言う話は聞いた事がないように思う。

 ビルの耐震や免震構造の進歩、初期微動を捕まえての警報システム構築など、広い意味での地震対策は日々進歩しているようにみえる。だがそれは「いつどの程度の規模で」と言う確固とした予知・予報ではない。

 ひょっとして世の人々は、永遠に成果の出ない研究に期待し知財を投入しちゃっているのではないか。少なくとも地震予知は単純な経験則から出せるものではなく、地殻や岩盤の調査など世界規模で言えば絶対にカバーしきれない規模のデータ採取と分析を必要として、それでも成果(正確な予知)が出るものではないのではあるまいか。

 人智を尽くしたところで、地球規模の地殻変動など正確に予知することなど不可能なのではないか。であれば予知研究にリソースを注ぎ込むより(実際には大して注ぎ込まれていなかったりしてね)、起こった場合の対策に注ぎ込む方が現実的ではないのか。どうも最近、そう考えてしまう。


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