日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
割とまめに書くようにしています。
お気軽にコメント下さい。

(写真展) 星野道夫展「星のような物語」

2007-10-02 22:13:12 | 本・映画・展覧会
 芸術の秋である。夏休みが終わり、お子様向けイベントが終了しデパートでは再びイベントが始まった。歓迎…(そう言えば蒲田の餃子も当分いってないなー^^)。トイウワケデ、「チケットショップやふおく」で入手した招待券をカバンに浅草へ繰り出したのでございます。

 アラスカと言えば植村直己に星野道夫って言うのが有名どころ、実は初めて写真展を見る。写真家がアラスカに移住したのでなく、アラスカに住みたいがために撮影技術を学んで写真家になったのだそうで、すごい意志です。今よりは機材を扱える人は少なかったかもしれないが、それでもねぇ…

 アメリカへは何回も言ってる自分であるが、アラスカは後回しにしようと思っている。できれば50州の最後にしたいな…(全部行くつもりか?)なぜって、あまりに良い所らしいので。昔アラスカ鉄道に乗りに行った友人がいて、そいつが「アラスカ見ちゃうと他所の自然がチンケに見える」と言ったのが強烈に心に残ってて。たまに掲示板で「釣り師カゴやん」(笑)の写真とか見ても、絶対に惹かれちゃいそうだしなぁ。

 そんなちょっとした自己ストーリーを思い出しつつ、会場狭しと展示された写真を見る。まずは動物から。カワイイ。カワイイ。カワイイの連続だ。そして雄大なアラスカの風景。やはりいつかは行ってみたいな。「誰かに見せてあげたい」と思い続けた星野氏の想いが伝わってくるようだ。

 それは確かにそうなのだけど、見てるうちに物足りなさを覚える。綺麗すぎる。それは撮影者ではなく主催者、展示する写真を選んだ側の問題なのかもしれない。大自然の中で生きてく上では、厳しい生存競争があり、非情な死が生と表裏一体であるはずだ。会場にはそういう写真がない、わずかにクマがサケを咥えていただけだ。

 Discovery Channelの見過ぎだろうか。現実的に過ぎるだろうか。でも「綺麗ねぇ」で通り過ぎてしまう鑑賞者たちの姿に、星野氏は満足するのだろうか。彼が見せたかったのは「美しいアラスカ」だけだったのだろうか。。。戦場カメラマンの作品ばかり見過ぎたかな?

 2007年9月29日 松屋銀座にて鑑賞
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2007年9月29日 のれん

2007-10-02 07:21:36 | ノンジャンル
 今日は下町でホームパーティー。メインは鰻なんですと…食事もゲストも楽しみなお出かけです。ちょっと天気悪い。一気に冷え込んだね、町行く人はみんな長袖。そんな中、ポロシャツ1枚の俺ってどうよ!?

 雨模様のため、他の人と予定してた「寄り道」はキャンセル。その代わり、明後日にも出直そうと考えていた写真展に寄ってくことにした。会場は松屋浅草。そう言えば松屋銀座ってのもあるんだっけ?

 古いデパートはいい。確かに何と無く暗い。天井が低い。売り場が狭い。いいのは階段である。今では途方も無くカネのかかりそうな、きちんとした石や木を使った造作が、そこにはある。バリヤフリーの時代、消防法の要請、いろいろ難しい問題はあるだろうけど、こういう建物を使っている店は「のれん」を感じることが出来る。もちろん、包装紙や紙袋のロゴからも感じることは出来るんだけど、、、

 先日訪れたグム百貨店(ロシア・モスクワ)にも同じ雰囲気があった。だが売り場を「切り売り」し始めちゃうとダメだ。ボロい雑居ビルになっちゃう。Old but New、そんなコンセプトで生きながらえて欲しい「のれん」である。建物だけ残れば良いというわけでもないのだ。

 写真は松屋浅草の階段。折り返し部分の曲がりが何とも言えない味わい。
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猪瀬直樹 「死者たちのロッキード事件」(文春文庫)

2007-10-01 22:04:31 | 本・映画・展覧会
 ロッキード事件、もちろん田中角栄。児玉誉士夫、小佐野賢治、そして丸紅の方々。笠原運転手。この辺までは、記憶に残ってる人も多いのではないだろうか。では福田太郎は?実は、この本を見つけた理由がこの名前だったのだ。たまたま「福田太郎」で検索をかけたらこの本がヒットしたので買ってみた。著者は何と…今をときめく副都知事サマですかぁ?

 この本ではロッキード事件に関連した数人にスポットライトを当て、事件前から事件後までの彼らの生活を丹念にレポートしている。その中に、「黒子」福田太郎がいる。ジャパンPR社社長、児玉誉士夫と密接な関係にあった日系二世。

 別に後ろめたくも何ともないので書けば、私の父は福田太郎氏の会社に居た。モロに「あの」時期である。だから、家にL-1011のデモカラーのダイキャスト模型があったり(取っておけば今頃ひと財産だった…)、デモフライトで鹿児島まで同乗してきたり(オイ、静かな飛行機が手放しで着陸するんだぞ!と言ってた)したワケだ。ついでに児玉誉士夫の作った「民族の歌」のレコードもあった。作曲はなんと古賀政男だ!(このレコードも今なら高く売れた?)ちなみに私も福田氏には会っている、筈なのだが「記憶にございません」。さすがに幼すぎた。

 父がどういう仕事をしていたかは知らない。少なくとも政治家や商社員関連の席には同席していない筈だ。警察の事情聴取を受けた様子はないから、きっと「疑獄」には関与していない(するほどの大物ではなかった)んだろう。恐らくはロ社の資料を翻訳したり、新聞社や航空会社との会見会議の段取りとかしていたのではないか。それはまぁ、どうでも良い。自分に飯を食わせ、学校に行かせてくれた父に変わりはないのだから(じゃあ仮に殺人犯や強姦魔だったとしても同じコトが言えるか?うーん)。

 元より飛行機に罪はない。父親が多少なりとも関連したこととは無関係に、トライスターはイルカっぽいノーズとNo.2エンジンからの滑らかな曲線が好きだった。DLC(Direct Lift Control)なんてメカは知らなかったからデザインが総てだ。ライバルのDC-10は「とって付けた様な」No.2エンジンが嫌いだった。導入する日本航空も高慢でいけ好かない会社だと思ってた。それが今やJGC、隔世の感がありますな(笑)。

 事件後、ウチで「トライスター」が禁句になることはなかったし、何かの折には生前の福田太郎氏の思い出話も出たりしていた。この本の福田太郎氏の章を父に読ませ、いま改めてあの事件の前後のことについて、秋の夜長に酒でも飲みながら語って貰いたいと思う。まだまだ元気なうちに。この本の感想になって無いけどここまで。

 2007年9月28日 クルマ引取りの埼京線車中にて読了
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2007年9月28日 あけてびっくり

2007-10-01 06:27:26 | クルマ
 本日2本目の書き込み。修理の終わった「輸送機」を引き取ってきた。電車の駅から近い店と言うのは便利なものだ。。。

 実はここ、知ったのは10年も前だが実際に仕事を頼んだのは今回が初めて。キチンとしたお店なのは日ごろの電話の取次ぎ方(誰が出ても)で想像はしていたが、やはりその通りだった。修理明細の項目について状況と交換理由の明確な説明。

 今回は大きく3つのパーツの修理をしたのだが、結果的に一番ヤバかったのがこれ、排気マニフォールドのクラック。ほぼ全周に渡り入っていた。ススが付いていないのでまだ漏れてはいなかったようだが、漏れたら「カチカチ山」の可能性がなかったとは言えない。溶接盛りで直すか迷ったが部品交換を依頼、外してみたら見えない裏側までクラックが回りこんでいた次第。

 それほど調子悪いクルマとは思っていなかったが、帰宅時に乗ったら格段に良いフィーリング。騒音も振動も少なくなった。ちょっとパワー感が増した?これがこのクルマの実力か~!秋のドライブが楽しみだ。おかげで危うく、首都高でオービスのお世話になる所でした。レーダー探知機つけようかなぁ。首都高だけは(そのとき乗ってるクルマが何だろうが)ついつい踏んでっちゃうんだよねぇ(汗)

 そう言えば今、首都高でアンケートやってます。けっこう時間かかりる割には賞品ショボいな…おヒマな方、やってみて下さい。
 http://www.shutoko.jp/cs/
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