(仮)
7月16日、5日目。パラオから帰国の途中、経由地のグアムでピンポイント観光してゆく。
UA158便(N39297:737-800)でパラオを真夜中に出発、3席を独り占めでき、短時間ながら横になって眠れた。グアムに5時前に到着、1時間49分。かつては乗り継ぎ良く7時の便があったのだが無くなってしまったようで、最短で11時発。中途半端な滞在時間がいやで、帰りを夕方発にして日中グアム観光してゆく。
早朝の到着だが空港内に営業しているレンタカー屋があったので、そこで予約しておいた。グアムは日本の運転免許証でレンタカーを借りられる。借りたのは日産セントラ、元々サニーの輸出名だが今のは車体が大きい。デニーズで時間調整がてらの朝食、普通のメニューだがチップ含み3,000円近くになる(泣)。
訪問したのは太平洋戦争記念館 ビジターセンター。前回なんで未訪問だったのかな。ここでは日本人が悪者扱いであり、あまり居心地は良くない。それでもしっかり見学した。
グアムの戦跡に関しては前回で見尽くした感があったのと、パラオとは異なり快晴で猛暑だったのとで他を回る気にならず、幸い航空券が変更可能な券種だったので空港へ戻り帰国を早めることにした。UA196便(N77261:737-800)で成田へ、この便でも2人で3席を使え楽だった。3時間21分。空港で友人と別れ、格安バス(JRバス関東車H657-17402)で東京駅に出てJRで帰宅した。予定よりも早く帰れたので洗濯、片付けと作業でき助かった。
南洋諸島、今後向かうとしたらどこかな。ソロモン諸島、ナウル、ツバルあたりが候補だろうか。フィジー航空がワンワールドに加盟したので、個人的には行き易くなったと感じている。新たな課題として計画してみよう。(おわり)
7月15日、4日目。深夜の帰国まで終日フリー。今日こそは遊覧飛行!それと市内観光を少し。
昨日の読み通り、今日も雲が多いものの時おり陽が射しており到着以来いちばん良い天気。空港ターミナルビルを横目に滑走路の反対側にある事務所で手続き。本日最初の遊覧飛行から戻って来たパイロットと挨拶し、空の状況を聞く。うん、良さそうだ。ここでパイロットと事務員にアンガウル島まで足を伸ばせないかと相談し、OKとなった。アンガウルへの船は欠航が多く、行った人は多くないと言う。せめて空からでも慰霊できれば。
11時、L機長と私、友人の3人を載せたセスナ182P(T8A-210)出発。自分が前席、友人が後席。帰国して調べたところ、機体は1976年製の古豪だった。眺めをよくするためか右ドアは外されており、しっかりショルダーハーネスをしているので怖くはないがスマホを落とさないかが不安。遊覧飛行なので高度は上げず、1300ftとかで飛んでゆく。ミルキーウェイ、ジェリーフォッシュレイク、カープアイランド等を過ぎ高度は3000ftまで上昇。ペリリュー島、その先にアンガウル島が見える。やはり上から見ると大珊瑚礁に囲まれた小さな島々の有り様が分かる。パラオ訪問者は必須の経験だと思う。
アンガウル島ではペリリュー島以上に滑走路整備工事が進行中、作業員は毎朝コロール空港から大型セスナ機で通勤しているそうだ。ペリリュー島よりさらに小さな島、ここでも80年前に数千人の兵士が命を落とした。上空を2周、合掌。帰りは少し西寄りのルートを、増えてきた雲を避けながら飛ぶ。少しだけ操縦桿を握らせて貰い記念撮影。55分の予定を30分近く上回って帰還。天候も回復し大満足のフライトだった。でもログブックには書けないな。
帰りホテルまで送って貰う途中に寄り道、旧日本軍の通信施設跡は随分と立派なコンクリ造りの建物だった。ランチ後はベラウ国立博物館を見学。ホテルまでの戻り道に市内に残されている地下壕入口、特2式内火艇を見学。これでパラオ見物はやり尽くした感。全くマリンレジャーをしなかったが、心残りではない。23時半にホテルピックアップ、空港へ。
[機中泊]
7月14日、3日目。今日は空からパラオ諸島を眺め、午後は市内見物の予定だった。が、昨夜からの雨が止まず、遊覧飛行へのお迎えは来たものの飛べるかは?の状態。事務所にいるパイロットと直接会話させて貰い、明日なら天候回復の可能性があると言うことで延期。代わりにレンタカーを借り、パラオをドライブすることにした。
クルマは日本流れのトヨタIST。中心地コロールのあるコロール島からは3つの橋で他の島と結ばれている。まずは北の、空港や移転した国会議事堂もある最大のバベルダオブ島へ。北端にある旧日本軍が建設した灯台を目指す。右ハンドルで右側通行を走るのにはすぐ慣れた。交通量が少ないので気は楽。空港を過ぎると交通量はゼロに近くなったのは日曜日でもあるからか。雨は激しくなったり小降りになったり、いずれにしてもクルマで良かったがワイパーゴムが古いせいで視界が良くない。灯台までミスコース含め1時間50分、既に巨木に覆われていたが破壊された建物のコンクリートが生々しかった。傍らに昭和十一年と刻まれた石標が残っていた。
折返しは西側の道で、途中にはパイン缶の工場跡があり、錆びた機械やペリリュー島と同様に右から文字が刻まれたビール瓶が残っていた。あとはひたすら戻り道。雨は止まず、降りて観光する気にならない。戻って来たコロール島を通り過ぎ、西側にある小さなメユッグス島の西端には日本大使館がある。その南側のマラカル島にはペリリュー&アンガウルへの定期船ターミナル、コンテナふ頭が。いずれも規模は小さい。
クルマで行ける島すべてを回ってホテルに戻ってきたのは15時、5時間170kmのドライブだった。満タン返し、鍵はフロントに預ける大らかなシステム。今日はこれまで、あとはノンビリ過ごした。
[Palau Hotel 泊③]
7月13日、2日目。起きてeSIMを有効に。kkdayで手配、3GB/日の3日間コース。今回はちょっと設定に手間取ったな。ホテルで朝食、9時前にピックアップありペリリュー島へ。昨夜の到着後に降り始めた雨は、このころ止んだ。ここのところ申込者が少なく不催行続きだったそうだが、今日は8名。コロールの港からペリリューまで45分くらい?
港に着いたら見学はハイエースワゴンで。ちなみにパラオは右側通行だが、走っているのは右ハンドルの日本流れの中古車ばかり。港近くの千人洞窟、戦没者慰霊碑「みたま」、電力工場跡、飛行場(米軍による再整備進行中)と巡ってゆく。
ほぼ操縦席部分しか残っていないが零戦52型、上皇陛夫妻訪問時に慰霊された平和記念公園がハイライトか。海の向こうに同じく激戦地だったアンガウル島が見える。ツアーの最後は徒歩で山に分け入り、同島守備隊長であった中川大佐(当時・戦死後は中尉)自決の地近くまで。持参した線香は「みたま」と山中で焼香し、四国八十八か所巡りで鍛えた(?)般若心経読経も行った。
本日のガイド・Hさんは若いがしっかり勉強されており、ペリリュー島の歴史を広く伝えたいがためにガイドをしていると言う志の高い人。ツアーでは伝えきれない話もありそうなので、夕食にもお付き合い頂きより深い話を伺った。またツアーでご一緒した、JICAより派遣されているOさんも夕食に参加され、JICAの活動状況やパラオツーリズムの課題などこれまた貴重な話を伺った。
雨季のパラオ、空は概ね曇り時おり雨がパラつく程度で、炎天下より身体には良かった。何しろ大満足の一日、夜にまた雨。
[Palau Hotel 泊②]
新しいパスポートの使い始めは、2019年以来の新規訪問国へ。海外旅行に行く常連、いすゞ仲間と今回は南洋パラオを目指す。彼との旅なので当然ながら目的はマリンアクティビティではなく、太平洋戦争の戦跡めぐり。こちら方面へは2017年以来の訪問。その時の旅行記はこちら↓。
中部太平洋慰霊の(?)旅(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)
今年からフライトスケジュールが変わったことにより、日本からパラオへの旅は事実上ユナイテッド航空の一択となった。単純な行程なので、航空券+ホテルツアーを申し込み、それにオプショナルツアーをつけた。
7月12日、1日目。東京駅から格安バス(JRバス関東車H657-12412)で着いた成田空港で友人と合流してチェックイン、荷物はキャリーオン1つにまとめ機内持込。出国審査で真新しいパスポートを提示、例によって別窓口に回って出国印を貰う。友人のステータスで使えるANAとユナイテッド航空のラウンジをハシゴ。UA827便(N37281:737-800)で。パラオへはグアム経由で行くが、現在グアムへのフライトは便数が増えた反動でか小型化され、すべて737型機になってしまった。比較的空いており、2人で3席占有でき楽。3時間18分で到着したグアムではUAラウンジは13時までの営業で使えず、プライオリティパスで使えるラウンジも16時まで。ダメだな~。
グアムからUA193便(N77296:737-800)から素晴らしい夕焼け空を眺めながら(写真)パラオの中心地コロールへ。JALやデルタ航空が成田から直行便を飛ばしていた時代が懐かしい。こちらも2人で3席占有、1時間41分で到着、ツアーなので送迎あり、ホテルに着いてシャワーを浴び、寝酒を飲んで初日は終了。ちなみにホテルはパラオに詳しい人に相談し、スーパーや土産物屋に歩いて行ける、立地優先で選んだ。
[Palau Hotel 泊①]
今日もクッソ暑い波止場で、屋祢下とは言え屋外でアルバイト。3種計1.3L持ち込んだドリンクは完パケ、さすがに雇い主からも水と多目の休憩が与えられた。こうなると短時間勤務を嘆くより、ほどほどで終了の方が良かったなと言う気になる。おかげで、15時まで昼営業している野毛の店でラーメンを食べることができた。
この店、ラーメン屋ではなくイタリア料理店である。店主が日式ラーメンに魅せられたのだろうか?それをイタリアンテイストで出すと言うので興味津々不安少々。
ランチメニューはパスタでなくラーメンのみ!?その中から「ポルケッタらーめん」をチョイス。ポルケッタとはイタリア版チャーシューだと。運ばれてきたのは、大き目の器からもはみ出しそうな大きさのチャーシュー、いやポルケッタか。見た目は豚骨みたいに白っぽく濁ったスープを啜ってみると、これは不思議な味わい。魚介系とくに貝の出汁が効いてる気がする。麺は少しモッチリ感があり、やはりスパゲティに通じるか。ちょっと違和感はあるものの、個性派ラーメンとして十分に通用する。先日のトマト麺より遥かにまともだと自分には思えた。
店主も厨房の方もイタリア人っぽかった。夜は本格的イタリアンが食べられるのかな?改めて訪ねてみたい。
東京都知事選挙も部分的に思いがけない結果、なので本稿タイトルに採用(笑)。
暑くて外出する気にならないので、一日中パソコンに向かって青春18きっぷの旅、島めぐりの旅、そしてJALマイレージの修行するかの検討。こういう検討って、集中的にやらないとどこまで考えたか忘れちゃうんで時間が取れるようになたのは嬉しい。
さて、マイレージ会員の「最」上級ステータスの維持には「修行」が必要である。コストだけ見るのであれば、東京~那覇を「スペシャルセイバー」で、かつ片道3,000円程度でアップできればクラスJでひたすら往復するのが、最も良いとあれこれ比較検討して納得した。ただしたまーに石垣便がよりポイント加算の多い「往復セイバー」で買えることもあり、絶対的金額では上回るもののポイント単価では下回ることも認識した。ちなみに「ヒラ」上級会員であれば、クレジットカードの年会費を払ってさえいれば良いので実質ゼロ円で維持できる。
そうやってひたすら沖縄まで往復するとして、最上級会員の維持には幾らかかるのか。ポイント単価は9円程度、所要ポイントは75,000(詳しい方へ:JGCプレミア8万-JALカード初回搭乗ボーナス5,000)。なので9x75,000=675,000円。空港までの交通費とか入れれば70万円を超えるだろう。果たして、それだけの資金を投じてまで維持する価値のあるものだろうか?
実は少し前に、その価値観が変わっていたのを失念していた。JALのマイレージ制度に大きな変更が加えられ、単年度の搭乗実績による上級会員維持と、長年の搭乗やグループ各社のサービス利用を合算した生涯ステータスの二本立てになったのだ。
これまで「最」上級会員維持にこだわっていたのは、獲得マイルの有効期限がなかったから。「ヒラ」上級会員だと、マイルは3年で失効してしまう。なので頑張って修行するかと思っていたのだが、新しい制度で付与された自分の生涯ステータスは、マイル期限がなくなるレベルのものだった(JGC Five Star)。
「最」上級会員だと使えるラウンジハファーストクラスラウンジ、「ヒラ」上級会員ではビジネスクラスラウンジとなるが、国内線ではさほどの差はない。国際線に乗る頻度は、せいぜい年10回だろう(最近アジア諸国へはLCC利用も多いし)。
マイレージ会員ステータス、少なくとも来年は「2位」のヒラ上級会員で良いんではと思った次第。修行せずに浮いたお金で、東南アジアへビジネスクラス旅行とか良いんじゃないかな。
過去にも何冊か読んできたけど、週末から行くパラオに関する本を、駆け込みで読んだ。
本書は「日本統治時代は良かった」だけでなく、負の面、暗黒史もインタビューした方々から引き出している。単なる風評だったのか、極秘裏に計画されていたのか、パラオ人大虐殺計画なんてのも。
くれぐれも、多くの住民の尊厳を踏みにじった侵略統治者の子孫であることを肝に銘じ、謙虚に現地を訪問しようと思った。
2024年7月8日 自宅にて読了
先日切替申請したパスポートが出来上がったついでに「使用実績」をチェックしたのが面白かったので、過去のパスポートも引っ張り出して同様の確認をしてみた。
【1冊目(1983.11~5年間)】
大判でまだ「数次旅券」となっている。
渡航先は「北朝鮮を除く」と入っている。
・出国回数:3
・押印国数:4
(アメリカ、カナダ、オーストラリア、グアム)
【2冊目(1990.12~5年間)】
大判だがタイトルが「旅券」に変わった。
渡航先は「北朝鮮を除く」と入っている。
・出国回数:14
・押印国数:9
(ニュージーランド、北マリアナ諸島、イギリス、香港、バハマ、アメリカ、台湾、タイ、中国)
【3冊目(1995.11~10年)】
現行サイズに変わり、有効期間も10年になった。
・出国回数:59
・押印国数:21
(オランダ、アメリカ、シンガポール、マレーシア、韓国、香港、タイ、中国、マカオ、インドネシア、アイルランド、グアム、カンボジア、台湾、フィリピン、ミャンマー、イギリス、シンガポール、ロシア、ベトナム、ドイツ)
【4冊目(2005.05~10年間)】
体裁変わらず(未IC)。初めて増補をした。
・出国回数:77
・押印国数:60
(モンテネグロ、ボリビア、アメリカ、フィリピン、韓国、シンガポール、ブルネイ、香港、台湾、中国、ベトナム、イタリア、マルタ、ラトビア、オランダ、ベラルーシ、ロシア、エストニア、ポーランド、タイ、マレーシア、オーストリア、インドネシア、マカオ、ドイツ、クロアチア、フランス、スロベニア、フィンランド、イギリス、オーストラリア、ルーマニア、パプアニューギニア、アイスランド、UAE、東チモール、ハンガリー、ブルガリア、トルコ、リトアニア、ウクライナ、モルドバ、チェコ、ペルー、セルビア、マケドニア、ギリシャ、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、セントマーチン、アンギラ、カザフスタン、スペイン、モロッコ、ラオス、ベルギー、ウズベキスタン、キルギス、コソボ)
【5冊目(2014.11~10年間】※前回報告のため国名は省略
表紙はほぼ同じだがICパスポートとなり中央部にICチップの入った厚紙が入った。これも増補。
(仮・3月末まで)
出国回数:70
押印国数:54
先日使い終えた5冊目より、その前の4冊目の方が実績数値は大きく、自己最高記録となるのは間違いない。5冊目はCovid-19で丸3年間出かけなかった影響が表れた。最後に、これまでの出国回数を合計してみた。(3+14+59+77+70=)223回だった。目指せ300回!?今後も、せめて出国時だけは押印して貰うのを続けよう。
次の作業は10年後か…それにしても、スタンプを見ると結構その時の旅行の内容を思い出すものだ。楽しい確認作業だった。
※本稿、写真なし