【ぼちぼちクライミング&読書】

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「ベトナムの風に吹かれて」小松みゆき

2016年02月15日 21時19分55秒 | 読書(介護/終活)

角川文庫<br> ベトナムの風に吹かれて 
「ベトナムの風に吹かれて」小松みゆき

著者はベトナムで働く、日本語教師。
母が要介護・認知症となる。
いったい、どうしたものか?
熟慮の結果、母親をベトナムに連れて行って介護する、という決断をする。
特殊な事例ではあるが、参考になる点もあり、興味深く読めた。

P46
母は自分の生きてきた時代に興味があるようだ。田舎にいるとき「認知症」というだけで、やっかいもの扱いする傾向があったような気がする。けれども一緒に暮らして分かったが、認知症であっても「知りたい」という気持ちは強いし、その場の会話はまともだと思う。だた記憶が飛ぶことや物忘れ、思い違い、思い込みはある。このことを家族や周囲の人がうまくカバーできるか、どう受けとめるかが課題だと思う。

P156
ちなみにハノイを流れる川はソンホン(紅河)。その河の内側の町がハノイ。漢字で書くと河の内なので「河内」と書いてHa Noiとなる。

P159
サバから見える一番高い山は、ファンシパンといい、3143メートルあるベトナムの最高峰だ。

PS
母子を☆(ぼし)と書いたり、婆さん=BAさんとしたり、言語感覚に首をかしげる箇所もあるが、概ね、読みやすい文章だ。

【ネット上の紹介】
ベトナムの首都ハノイで、日本語教師として働く著者。新潟に住む81歳の母とは離れて暮らしていたが、母の認知症がひどくなり介護の必要性が増したことから、母をハノイに迎え同居生活を始めた。人間関係の濃い下町の旧市街や旅先での緑豊かな山々の光景に刺激され、母はイキイキと昔の思い出を語り出す。転倒による大怪我や失踪事件などのトラブルにもめげない母娘。等身大の海外介護の日常をユーモラスに綴った感動のエッセイ。


「おひとりさまの老後」上野千鶴子

2015年11月18日 22時18分28秒 | 読書(介護/終活)


「おひとりさまの老後」上野千鶴子

気になるテーマ。
何年か後の切実な問題、である。

P40
データをみると、結婚の好きなひとはこりずに結婚を何度もくりかえし、結婚しないひとはずーっと結婚しない、という傾向があるからだ。

P65
 往年のケア付き有料老人ホームは、結局、中流以上の階層のひとびとの世間体のよい“姥捨て山”の役割を果たしたと思う。

P106
友人をつくるには努力もいるし、メンテナンスもいる。

P109
ときどき集まっては食事をともにするが、自分の自慢話ばかりするひとや、他人の過去を詮索するひと、説教癖のあるひとなどは、その場ではにこにこ合わせているものの、次回からさりげなくはずされている。(自慢、詮索、説教・・・この3つは要注意、私も気をつけたい)

P120-122
元気のいい男ならそいつの自慢話を、元気のない男ならそいつのグチを聞かされるはめになる。(う~ん、愚痴もダメだ!いよいよ話すことがなくなってきたぞ!)

P135
アウトドアの楽しみの理由のひとつは、わたしを受けいれてくれる大自然があること。もっと正確にいえば、人間を受けいれるでも受けいれないでもなく、ただ自然がそこにある、という圧倒的な事実に接することだ。

P137
人間が「こわれもの」であることをわかるようになったのが、年齢の効果だろうか。「こわれもの」だから「こわれもの」のように扱わなければならないと思うようになったのだ。それも、ずいぶんたくさんこわしたあとのことだ。

P181
両親を看とってつくづく思ったのは、人間のような大型動物はゆっくり死ぬということ。

P206
丁寧語は、相手との距離を置く技法である。丁寧語を使いつづけるかぎり、「わたしはあなたとの距離を詰めるつもりはありませんよ」というメッセージが伝わる。これを社会学の用語で「儀礼的距離化」という。ラッシュアワーの満員電車でカラダを密着させた相手とは目をそらすとか、ホントはまるみえなのに見てみないふりをする結界とかは、この儀礼的距離化の例である。

P245
ひとりでいることのつらさと、ひとりでいさせてもらえないつらさとは、どちらがつらいか。ストレスもトラブルも人間関係からくる。ひとりでいることが基本なら、心は平安でいられる。

【ネット上の紹介】
結婚していようがいまいが、世界一長生きの日本女性は、最後は「おひとりさま」になる(確率が高い)。 そこで、元気なうちに、セーフティネットを準備し、予備知識を得ておこう、というのが、この本の狙いだ。著者である東大教授の上野千鶴子さんも、おひとりさまの一人。「どうすれば安心して老いと付き合っていけるか、そして心おきなく死ねるか」を問いながら、その心構えや覚悟、今の社会に必要な情報やハイテクの現代ならではの便利なツールまで、幅広く先達や専門家の意見なども交えて紹介。住まいやお金、どんな介護や医療を受けて、最期は誰に何を遺し、どう終わるか。 社会学者の視点で、「老い」のさまざまな問題点も浮き彫りにしながら、自身の問題としても考察する。 上野教授、久々の書き下ろしである。

【目次】
第1章 ようこそ、シングルライフへ
第2章 どこでどう暮らすか
第3章 だれとどうつきあうか
第4章 おカネはどうするか
第5章 どんな介護を受けるか
第6章 どんなふうに「終わる」か 


「認知症介護びっくり日記」高口光子

2015年11月10日 23時19分02秒 | 読書(介護/終活)


「認知症介護びっくり日記」高口光子

著者は、その道の有名人、介護のカリスマ。
私も以前、TVで話しているのを聞いて感銘を受けた。
もともと理学療法士だったが、介護職へ転身。
話される内容は、臨床心理士か哲学者、である。
介護を極めると、人生も深まるのか!

P22
介護職員のおっぱいをさわるジイさんの話。
このジイさん、右のおっぱいばかり掴もうとする。
「本当に、あのおジイさんおかしいよね。私もこの前やられたんだけど、いつも右のオッパイばっかりなんだよね。なんで右ばっかりなんだろう。だから私、この間、『左のオッパイはどうしてくれるのよ』って言っちゃった」
さすがベテラン介護職員だ、レスポンスが違う。

夜間、トイレ誘導に成功したバアちゃんの話。
ずっとおむつをしていたけど、おむつ外しに挑戦したのだ。
P81
「ちょっと見てみい」
「なに?おバアちゃん」
 バアちゃんはポータブルトイレを指します。ポータブルトイレのバケツの中には、とぐろを巻いたウンコがありました。
(中略)
「いやあ、たいしたもんだ。久しぶりだね、こんな大きなウンコ見たの。すっきりするねえ。あんたも、このバアちゃんのウンコを見て嬉しいかね」
「はい、嬉しいです」
「人はね、あんまり他人のウンコなんか、見たくないんだよね。あんた、施設長のウンコみたい?」
「いいえ、嫌ですよ」
 その人のウンコを見て嬉しいということは、その人が生きていてくれて嬉しいということです。

P97
現場には言葉が必要です。自分たちはどこにいるのか、どこに向かおうとしているのかということを短いセンテンスで表現しなければならない場面があります。

P111
 認知症のお年寄りは、あるはずのない物を探すことがあります。
 年をとると連れ合いを亡くしたり、仕事を失ったり、貯金が減っていく。今まで人生を通じて培ったものが、一つひとつ失われていき、それが漠然とした不安を招きます。ない物探しの背景には、そんな喪失感や不安感が潜んでいるのです。

P112
 ここで大事なのは、おジイさんやおバアさんに、失ったものがあるかもしれないけれど、本当に大切なものは何も失われていないのだと伝えることです。年をとるということは、多くのものを得て、そして失うということでもあります。あなたはいまも生きているし、あなたのことを大切に思っている人がここにいる。そのいちばん大切なことは何も失われていないということを、探し物を一緒に探すという行為を通して伝えます。

P182に名物バアちゃん・ケサノさんの話が語られる。
このバアちゃん、踊りが大好き、踊るバアちゃん、である。

お風呂に入ろうと脱衣場に来ても、踊るのに忙しくて服を脱ごうとしない。トイレでもしっかり座って、ふんばらなきゃいけないのに踊っている。
 そのたびに職員が「踊らないで、お願いだから踊らないでよ」と頼んでも、いっこうに踊りをやめようとしない。とにかく施設ではけっこう手のかかるバアちゃんでした。

あるとき、介護職員が、「私ね、思いっきり踊らせてあげたい」、と。
熊本県天草諸島南部の牛深のハイヤ祭りで、ハイヤ踊りが3日間にわたって踊り続けらるという。
それだったら「思い切って鹿児島に行ってみたらどかな」
「何で鹿児島なの?」
「ケサノさんのふる里は鹿児島なんだよ」

こうして、ケサノさんのふる里訪問計画が動き出す。
この帰郷シーンは感動、である。
親戚や近所の人たちが集まって宴会になる。
すると、バアちゃんが例によって踊り出す。
「ケサノババア、その踊り、覚えちょったかな」
そして、皆がいっせいに踊り出す!

この踊りにはなんと、歌があったのです。お米が苗として植えられ、稲穂となって刈り取られる。そんなお米の一生を歌った歌にあわせて秋祭りに踊るのですが、この地域では永吉家のひとしか踊ることができない大切な踊りでした。

【参考リンク】
こんにちは。高口光子です。 | 講談社 - おとなスタイル

eかいごナビ | 高口 光子特集ページ

【ネット上の紹介】
カリスマ介護アドバイザーのホンネ全開。教科書には書かれていない認知症介護の基本のき。
認知症介護が断然ラクになるとっておき話! そもそも認知症について、あなたはどれだけ分かっているのですか? 認知症介護は本当に大変?“介護界のしゃべるカリスマ”による現場からの貴重なメッセージ!
【目次】
1 未知との遭遇―疾風編(「うちに帰ろうよ、ジイちゃん」
「こんなのラーメンじゃない」 ほか)
2 七転び八起き―ルーキー編(「私、お給料いりません」
「生きていて何があるんや?」 ほか)
3 家族の葛藤―解決編(「しょうがない」で結論に至る家族会議
「問題行動」には理由がある ほか)
4 介護の質―抱腹編(今日は避難訓練の日?
保健所も真っ青、鳥のエサ介助 ほか)
5 故郷に錦を飾る―感動編(すべての罪を引き受けてくれたバアちゃん
家来を連れてお国入り? ほか)
【著者紹介】
横浜市生まれ。九州の玄関、門司港で育つ。1982年、高知医療学院を卒業後、理学療法士としてスタート。福岡の老人病院に勤めたが、お年寄りの現実に愕然とする。1995年、ヘッドハンティングされて「特養ホーム・シルバー日吉」へ。理学療法士から介護職への転身が話題となる。いま本人が本音を書き込む介護ブログが人気。『不幸くらべ』で「第1回生き生き大賞」受賞。1998年ケアマネジャー、2000年介護福祉士資格取得。現在、介護老人保健施設「鶴舞乃城」看・介護部長。介護アドバイザーとして全国で講演活動も続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


「老後の資金がありません」垣谷美雨

2015年11月04日 21時47分57秒 | 読書(介護/終活)


「老後の資金がありません」垣谷美雨

最近、老後について、よく考える。
まぁ、考えても、解答は出ないのだけど。
でも、先立つものは必要。
このタイトルは、タイムリー。

P8
本来、こんな男は好みのタイプじゃなかった。しみじみとそう思うようになったのは、50歳を過ぎてからだ。(こんな不穏な告白から物語が始まる・・・この夫婦大丈夫か?)

P143
「そんなことないよ」
 心にもない言葉がすらりと出る。
 若い頃と違って、その場しのぎの言葉で取り繕うことができるようになった。だが、寛容を装うのがうまくなっただけで、心の中は年齢とともにどんどん狭量になっている。(実のところ、私もそうだ。年とともに、怒りっぽくなって、辛抱も利かなくなってきた)

途中で、義理の母を引き取って、一緒に生活することになる。
生活が苦しく、老後のお金も無くなってきて、姑と同居!大丈夫か?
ところが、その義母が個性的で愉快な婆さん。
この辺りから、物語は好転して楽しくなってくる。

久しぶりに、垣谷美雨作品を読んだが、面白かった。
初期の頃から知ってるが、登場人物に奥行きが出てきた。
即ち、進化している。
抜けた作品を読んでみようか、って気分になった。

【参考作品】


私の印象に残っているのは、「リセット」と「夫の彼女」、「あなたの人生、片づけます」も良かった。


【蛇足】
老後の資金は1人6000万円必要、と言われている。
実際のところ、そんなに必要なのだろうか?
1年の必要経費200万円×10年生きたとして=2000万円。
20年で4000万円。
住宅の維持費、市民税、固定資産税、病院代、交際費・・・考え出すと暗くなってくる。
税金の塊である車を処分したいけど、すると、足が無くなる。
高齢者ほど、車を必要とするのに。
近くにあってほしいもの・・・①病院②スーパー③図書館。
この3つがあれば、何とか、老後をしのげるか?
成仏する直前まで、自分の足でトイレに行く、という目標を設定している。

【小咄】
 「4歳での成功 ーーお漏らしをしないこと。
  11歳での成功ーー友だちを持つこと。
  18歳での成功ーー車の免許を持つこと。
  35歳での成功ーーお金を持つこと。
  50歳での成功ーーお金を持つこと。
  70歳での成功ーー車の免許を持つこと。
  80歳での成功ーー友だちを持つこと。
  85歳での成功ーーお漏らしをしないこと。

出典・・・『ベンジャミン・バトンーー数奇な人生』

【ネット上の紹介】
後藤篤子は悩んでいた。娘が派手婚を予定しており、なんと600万円もかかるというのだ。折も折、夫の父が亡くなり、葬式代と姑の生活費の負担が発生、さらには夫婦ともに職を失い、1200万円の老後資金はみるみる減ってゆく。家族の諸事情に振り回されつつもやりくりする篤子の奮闘は報われるのか? 


「死を想う われらも終には仏なり」石牟礼道子/伊藤比呂美

2014年12月25日 23時43分53秒 | 読書(介護/終活)


「死を想う われらも終には仏なり」石牟礼道子/伊藤比呂美

石牟礼道子さんと伊藤比呂美さんの対談。
それだけで、(このテーマにもかかわらず)わくわくする。
どうして、このような対談をされたのだろうか?
あとがきに、次のように記されている。

P207
親が年老いて、死というものについて考えはじめたのが2年前、今、要介護五の母は入院して寝たきり、要介護一の父は家で独居、身の回りの世話は毎日1時間ずつのヘルパーさんに頼っている。わたしはほとんど1月おきに、カリフォルニアの家族と熊本の両親の間を行ったり来たりしている。

このような状況から、伊藤比呂美さんは「死とはどういうものか」と考えるようになった。
いったい誰に聞いたら、あけすけに語ってくださるだろう?
石牟礼道子さんなら、どうだろう?
そんな訳で、この対談が企画された。

P87
南無阿弥陀仏とは・・・
伊藤 それは、お経じゃない、なんて言うんですか。
石牟礼 「六字の名号(みょうごう)」と言いますね。

P110
「流流草花」(るーるーそーげ)と言う言葉は石牟礼道子さんの創作、とのこと。
そうだったのか!
山岸凉子作品に、同名の「流流草花」があるが、石牟礼道子さんの作品から拝借していた、という事が判明した。
即ち、山岸凉子さんは「あやとりの記」(1983)を読んで、自伝マンガ作品「流流草花」をASUKA1986年7月号に描かれた、と。

P114
石牟礼 お経を集団で詠むことを「声明」(しょうみょう)って言いますね。天台宗の声明が一番いいと言われているけれど、それで宗派によって、同じ『正信偈』(しょうしんげ)でも、ちょっと節が違うんです。

P136
この辺りから、本来のテーマから逸れて、「梁塵秘抄」や後白河院の話が中心になり、
どの歌が好きか、とか趣味の話に移行していく。(それはそれで面白いんだけど)

P188
石牟礼さんが子どもの頃のエピソードが語られる。
すぐ近くに末広という女郎屋があったそうだ。
七夕の日には大きな七夕さんが立ったそうだ。
石牟礼道子さんは母に、次のように尋ねたそうだ。

石牟礼 「末広の姉様たちは、なんば書きなはったやろか」って・・・・・・。
「良か夢なりとも、くださりませ」と書きなはるに違いないと母が言ってました。現世では良かことは来ないわけですから、夢でなりと、良か夢が来ますようにと、書きなはっとじゃなかろうかと。
伊藤 石牟礼さんも、そこに書かせてもらいました?
石牟礼 書きよりましたよ、一生懸命。
伊藤 なんて書きました?

・・・なんて書いたと思いますか?
小さな女の子なら、普通、夢のあることを書く、と思われる。
ところが石牟礼さん、想像を絶することを書かれている。
・・・「我に七難八苦を与えたまえ」、と。(山中鹿之助か!!)

【梁塵秘抄より】

「暁静かに寝覚めして、思えば涙ぞ抑え敢へぬ、儚く此の世を過しえは 何時かは浄土へ参るべき」

「をかしく舞うものは、 巫(かうなぎ)小楢葉(こならは)車の筒(どう)とかや、平等院なる水車、囃せば舞ほ出づる蟷螂、蝸牛」

【参考リンク】
本作品は、先日紹介した「「先生!どうやって死んだらいいですか?」の姉妹編。
対で読むと良いでしょう。
「先生!どうやって死んだらいいですか?」山折哲雄/伊藤比呂美
・・・おおざっぱに言って、こちらは、自分自身どう死ぬか、どう向き合うか、がテーマ。
本作品「死を想う」は、死に逝くものをどう送るか、死とは何か、が語られる。

【ネット上の紹介】
寝たきりの母を持つ詩人は、死とはどういうものか知りたかった。他の人にあけすけに聞けない、「でも石牟礼さんなら」。これまで多くの苦しみと死を見つめてきた作家は、切実なことをぐさりと言われたような気がした。こうして十二月の穏やかな日、二人は語りはじめた。老いと病、介護・看護、家族の死、さらには『梁塵秘抄』。そして「いつかは浄土へ」という祈りに至る安らぎの対話。

[目次]

第1章 飢えと空襲の中で見たもの(パーキンソン症候群―読めなくなる、書けなくなる
声が出なくなるかもしれない ほか)
第2章 印象に残っている死とは(祖母の死
あの世は「良か所」 ほか)
第3章 それぞれの「願い」(『あやとりの記』―流々草花
お経はどこで習いましたか ほか)
第4章 いつかは浄土へ参るべき(『梁塵秘抄』を飛び飛びに読む
「我等も終には仏なり」 ほか)

 


「先生!どうやって死んだらいいですか?」山折哲雄/伊藤比呂美

2014年11月28日 22時34分19秒 | 読書(介護/終活)


「先生!どうやって死んだらいいですか?」山折哲雄/伊藤比呂美

山折哲雄さんと伊藤比呂美さんの対談。
性、老、病、死・・・この4つのテーマに分けて語られる。(「生」でなく「性」、ってのがミソ)
先生役の山折哲雄さんに、伊藤比呂美さんが、いろいろ質問する。
伊藤比呂美さんが、あまりに激しくつっこむので、山折哲雄さんもたじたじなシーンが。
でも、おおむね博覧強記な山折哲雄さんが、ずばずば答えていく。
読んでいて、目から鱗の数々。
これは、お薦めである。

P17-18
山折:性欲をコントロールするために何が一番必要か?到達した結論は、食欲を制すれば抑えられるということだったんです。女色を避けるための基本路線だったんだね。
伊藤:食欲と性欲ってつながってるんですか。
山折:食欲と性欲は切っても切れません。釈迦やキリストが修業時代、悟りを開くとか真理を突きとめるとかいう前に、断食や精進ということを非常に重視して行うわけですね。

P22
伊藤:「女の体は汚いから仏になれない」という箇所がありますね。
山折:はい、あります。ですから、女性は一度男に生まれ変わった上で、あらためて仏になる。これが釈迦滅後に出てきた「変成男子(へんじょうなんし)」という考え方なんですね。

P25
山折:たとえば、西洋近代の絵で、男女が草原で食事をする場面がよくあるでしょう。あれは、食後に性的饗宴の世界が待っていることを前提にして描いているわけですよ。


P49
山折:アメリカにE・H・エリクソンという精神科医・心理学者がいますね。「アイデンティティ」という言葉を発明した人。彼が、成熟した人間は若い異性をそばに置いておくと、人生最後に生命の輝きが表れる、と言う意味のことを言っているんですよ。
伊藤:最後の生命の輝きが?
山折:その実例として『旧約聖書』のダビデ王の話を引き合いに出すんです。晩年になって枯木のように衰えた王を近臣たちが心配して、全国に美しい若い少女を求めた結果、シュナミ族のアビシャグという女性を見つけてきた。そして、彼女を湯たんぽ代わりにダビデに侍らせたところ、ダビデ王は見事に甦ったというんですね。
伊藤:湯たんぽ代わりですか。
山折:そこでエリクソンは、このようなケースに「シュナイズム」という、新造の心理学用語を与えているんです。シュナイズムというのは、男というのは年を取ると湯たんぽを欲しがると。
(例として、一休と森女、良寛と貞信尼が挙げられている・・・そう言えばパール・バックの「大地」でも、シュナイズムのシーンが出てきて印象に残っている)

P94-95
山折:日本では比叡山で修行するときに重要な四つの課題があると、伝統的に言われてきた。それが「論湿寒貧」です。日本の宗教にとって重要な時代、思想的に深まった時代というのは十三世紀です。法然・親鸞・道元・日蓮が出てくる。この四人は全員、その四つの課題にとりくんで、比叡山で修行したり勉強したりしていた。
伊藤:ろん・しつ・かん・ぴん?

P101
山折:センチメンタルということで言えば、敗戦と同時に、五七五の詩歌のリズムは「奴隷の韻律」だとして、短歌や俳句の叙情性が全面否定されたんですね。その先頭に立ったのが大阪の詩人の小野十三郎。
(このあと、全共闘の話につながっていく)
山折:あの演説は心に届かないんです。なぜなら、彼らの演説のすべてが五五調だから。
伊藤:「われわれはー、革命の-、なんとかでー、米帝とー、戦うぞ-」っていう調子ですね。

P125
山折:気配を感じる、気配で察する。煎じ詰めれば「察する」ということですね。それに対して西洋的なコミュニケーションでは、言葉で知らせる。それを告知と呼んでいるでしょう。だけどね、マリアの無原罪の身ごもりを告知する「受胎告知」にしても、告知する主体は神だったんです。それが現代は神殺しの時代になってしまったから、神に代わる代理人として医師が出てきて告知する。

P128-129
山折:『ヨハネ福音書』の冒頭に、「はじめに言葉ありき」と書かれているでしょう。この翻訳がほんとに正しいのかどうかに異議を唱える人はあまりいないけれど、山浦玄嗣(はるつぐ)さんという方がまったく新しい問題提起をされました。
伊藤:(前略)今、山折先生がおっしゃったところは、こんなふうになります。「初めに在ったのァ神様の思いだった。思いが神様の胸に在った。その思いごそァ神様そのもの。初めの初めに神様の胸の内に在ったもの」(『初めの言葉』ケセン語新約聖書)

P136
座禅の際、山折先生は、お茶を飲みながら線香を立ててするそうだ
山折:だいたい一本燃え尽きるのに五十分から一時間。私は毎日、東京の「毎日香」という線香を使っています。その話をしたら京都の人から、そんな安い線香を使わないで、京都にはたくさんいい線香がありますよって言われた(笑)。

【ネット上の紹介】
生きることを真正面から見つめ、格闘してきた詩人・伊藤比呂美が、宗教学者・山折哲雄に問いかける、「老いを生きる知恵」。

[目次]
1 性をこころえる(食欲と性欲の切っても切れない関係
欲望を満たしつつ、快く死んでいきたい
「翁」の表情は日本の老人の理想 ほか)
2 老によりそう(木石のように生きる
乾いた仏教、湿った仏教
国を誤らせた五七調 ほか)
3 病とむきあう(創造的な病
「気配の文化」と「告知の文化」
「思いやり」のあいまいさ ほか)
4 死のむこうに(骨を噛む
ひと握り散骨のすすめ
儀式抜きで生きていけない ほか)


老後の費用

2014年11月16日 21時39分38秒 | 読書(介護/終活)

この頃よく考えるのが、(自分自身の)『老後の費用』。
やりたいことがあっても、先立つものが無いと、身動きがとれない。
いったい、いくらあったら安心なのか?
一番不明なのが介護費用。
朝日新聞のコラム『続・お金のミカタ』の特集で、
『老後の費用を考える』①②を読むと、具体的な例をだして、費用を概算している。

施設の入居費     1,877万円
介護保険自己負担  308万円
医療保険自己負担  124万円
家政婦代金     1,335万円
その他費用        91万円
合計          3,735万円

・・・なお、これは約8年間に使った介護関連の費用、である。
介護を受ける期間が長ければ、それだけ費用もかさむ。
施設はピンキリだけど、この方は、1年で235万くらいの施設を利用されている。

関西だともう少し安い。
例えば年200万の施設に20年間入居したとする。
200万×20年=4000万円。
これに、医療・介護費の自己負担+諸雑費がプラスされる。

私は自分自身の老後に対して、三つのことを願っている。
①インフレで、施設入居費用が値上がりしないこと
②年金制度が破綻しないこと
③「適度な年齢」で、(惜しまれつつ)ぽっくり逝くこと(・・・これが一番難しい!)
そのためにも、家の中を整理しておきたい。
(もっとも、その前に、親の「介護・看取り」があるけど)

『老後の費用を考える』①朝日新聞2014.10.18


『老後の費用を考える』②朝日新聞2014.11.8

【参考図書】
週刊朝日mook<br> 高齢者ホーム 〈2015〉 「入居費用」と「医療・介護」で選ぶ 過去最大5264ホーム独 

高齢者ホーム 2015
「入居費用」と「医療・介護」で選ぶ
[出版社商品紹介]
新しい高齢者の住まいとして注目される「サービス付き高齢者向け住宅」の実態を初調査。危ないホームの見分け方、ほか。


「親ケア奮闘記」横井孝治

2013年12月28日 22時49分41秒 | 読書(介護/終活)

「親ケア奮闘記 がんばれ、母さん。たのむよ、父さん。」横井孝治

介護情報サイト「親ケア.com」を運営されている横井孝治さんの介護実録。
参考になるし、役立ち情報もきちんと記載されている。
なにより、読んでいて面白い。
P286
介護をする前と現代では、私自身の考え方や仕事内容、取り巻く環境が激変しました。今になってみれば、介護が必要になった父や母と向き合うなかで、私自身が抱いていた喜怒哀楽の感情、いろいろ考えさせられたこと、その結果として多くの出会いに恵まれたことのすべてが、両親からの贈り物だったように思えます。

・・・このような状態になるまで、そうとう苦労されている。
それは、この本を読めばよく解る。

この中で自分勝手な父が登場するが、第三者として読むぶんには、愉快な方である。
思わず笑ってしまう「自己チュー」である。
(誰でもこのような部分は持ち合わせている・・・思わず我が身を振り返った)

PS
なんとなく気になったのが、(書籍上で)著者の「妻」の影が薄いこと。
夫婦仲大丈夫?(よけいなお世話か?)

【参考リンク】
親を介護する人のための情報サイト 親ケア.com

横井孝治『親ケア奮闘記』 (11/08) - mm(ミリメートル) - FC2

[目次]
第1章 始まりは、突然に。(荒れ果てた実家。;母の告白。 ほか);第2章 母の入院。(クリニックへの遠い道。;初めてのクリニック。 ほか);第3章 父の異変。(戻らぬ父。;「お父さん、生きとったのか?」 ほか);第4章 家族の絆。(振り出し以下。;「私を殺してくれ」 ほか)
【ネット上の紹介】
すべての変えたのは一本の電話だった――。34歳男性、一人っ子。しかも遠距離。話題の介護アドバイザーによる泣き笑い介護録。
著者紹介
横井 孝治 (ヨコイ コウジ)  
1967年、三重県生まれ。印刷会社のコピーライターや宣伝・販促プランナーを経て、2006年に株式会社コミュニケーターを設立。宣伝・販促プロデュースやコンサルティング事業とともに、介護情報サイト「親ケア.com」などを運営。All About「介護」をはじめ、各メディアへの出演や寄稿、講演活動を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


「介護はしないぞ 私と母の1000日戦争」井上雅義

2013年09月14日 10時41分42秒 | 読書(介護/終活)

「介護はしないぞ 私と母の1000日戦争」井上雅義

避けて通れない問題・・・それが親の介護。
著者は、修業時代からビートたけしの友人にして、
現在も「週刊ポスト」で「ビートたけしの21世紀毒談」の更正をつとめている著述家。

P253
介護を経験した人なら誰しもが、最期まで親にどう生きてもらうことができるか、介護を抱える自分もどう生きていくか悩むが、介護者が悩むだけでは解決しないのが老人介護の厄介なところなのだ。
そしてまた、医療とちがい、完全に快癒して、めでたしめでたしと終わりにならないのが老人介護であり、悲しいことに介護が終わるときは被介護者が死ぬときという運命にある。

アルツハイマー型認知症は、2012年で462万人。
男性より女性が1.5倍の罹患率、と言われる。
症状の概要は・・・

①日にち、時間、食事等、物忘れ・・・・・「記憶障害」
②火の取り扱い、腐り物の判断が出来ない・・・「判断力障害」
③ゴミの片付け、掃除、買い物が出来なくなる・・・「実行機能障害」
④場所や道迷いがおこる・・・「見当障害」
⑤言葉がスムーズに出ない・・・「失語」
⑥家族の認知が出来ない・・・「失認」
⑦ふだん使っている歯ブラシなどの道具の使い方がわからなくなる・・・「失行」
⑧妄想、幻覚、過食、異食、徘徊、暴力、尿失禁、弄便・・・「末期症状」

初期は、まだら状ぼけで、本人の自覚がなく、自分を認知症と認めようとしないこと。
現在年寄りの方は、戦争や、物のない時代を経験して苦労している。
その分、負けず嫌いで、プライドも高く、人の世話になろうとしない。(自分の息子や娘の言うことを聞こうとしない)
いかに折り合いをつけて、ある程度納得して貰い、公共のサービスを利用するか。
・・・とても、難しい問題である。

【おおよその段取】(都道府県、市町村で微妙に異なるかも?)
①市役所の介護部門と相談する(見取図を描く)
②病院にかかって主治医を持つ(薬をもらい、現状と今後を判断して貰う)
③調査員の方の訪問を受けて介護レベルを判定してもらう(神経科主治医の判断も必要)
④各市町村相談窓口等で、ケアマネージャーを決めてもらう。
⑤ケアマネージャーと相談して、ケアプランを立てる。(体験サービスで雰囲気を知る)
⑥具体的サービス・・・リハビリ、デイサービス、ショートステイ等のサービスを受ける。
⑦最期は老人ホームのような施設に入居となるが、ピンからキリまであって、お金と相談。
*さらに、もっともハードルが高いのが、「本人が納得して入居するか?」、ってこと。

【おまけ】
認知症をパソコンに例えるなら、記憶障害はRAM(random access memory)が失われること。
やがて、表計算や文章作成といったアプリケーションソフトもエラー激発、使用不能。
最期はOS、ハードディスクも不具合が出て、キーボード、タッチパネルも誤作動、
基盤を交換することも出来ない状態。
・・・パソコンなら買い換えてバージョンアップするけど。
(車なら10万キロ以上走ったらオーバーホールか、燃費の良い新車購入)
・・・読んでいて、様々な思いが交錯した。
心を乱さず、客観的な判断力で、ひとつずつ処理していきたい。(無理)
【おおよその段取】の①~⑥までは、悪戦苦闘、藪漕ぎ状態。
(本人の思いはともかく)⑦になったら、やっと一息つけるかも。(その時は、家族の体力、精神力、経済力も低下して疲労困憊している)

【ネット上の紹介】
七転八倒介護ノンフィクション ハラハラして、ためになる介護ノンフィクション。認知症初期の母親と、その息子が直面した1000日におよぶ介護の現場を、リアルに、そしてどこか滑稽に描き出す。母の様子がおかしいと気づいてから、身の回りの世話をし始めるものの、長年のコミュニケーション不足がたたり、口論も絶えず、次々に起こる現実的な困難に対処できない。孤立していく親を、自分だけでなく妻や近所の人を巻き込みながらケアしていくなかで、漠然としていた親との関係を深く考えることになる。【編集者からのおすすめ情報】 読み物として面白いことはもちろん、実用的な情報も充実しています。