「銀の館」永井路子(上)(下)
日野富子の生涯と、その時代を描いている。
どうして、日野富子は人気がないのか?
歴史上、気が強い女性、悪女と言われた女性は、他にもいる。
北条政子は気が強い女性だけど、人気がある。
淀殿も悪女と言われるが、徳川政権から見た偏見もある。
けっこう人気もあって、ファンもいるようだ。
では、日野富子はどうなんだろう?
また、応仁の乱との関わりは?
日野富子は、専門家の間でも、評価が分かれる。
実際、評価が難しい人物だと思う。
今回、実像を知る手がかりを得たくて読んでみた。
いくつか文章を紹介する。
夫を奪われた先妻が、後妻のところへなぐりこみをかける――これをウワナリ打ちという。ウワナリとは、耳慣れない言葉だが、古くから、先妻はコナミ、後妻はウワナリと呼ばれていた。
このころは宿屋というのは泊まるだけ、食事は出さないから、長旅の客は、食糧を持って歩き、薪代を払って自分で煮炊きするのが原則である。この薪の代金を木賃という。後世の木賃宿はここからつけられた名前である。
一つは富子たちの後継者争い。いわば御所内のサロン戦争である。
もう一つは細川と山名の権力争い。当の両者は一所懸命だが、それに従う人々にとっては利害を計算しながらのお義理戦争だ。このことは彼らの具体的な戦いぶりを見ればよくわかる。『応仁記』は双方の集めた兵力の総計は二十数万と書いているが、現実にはそんな数は動いていない。せいぜい一回の合戦に動いているのは百単位の人数にすぎない。これは、諸国から集まって来た武将が、自分の手勢の水増し報告をしているからである。当時こうした報告を「着到をつける」という。武将たちは現実に引きつれて来た兵員の数ではなく、自分たちの動員可能な――それも多分に水増しした数で着到をつけるのである。現実の合戦はだからその十分の一にもすぎない数でちょっと局地戦を行うだけ、したがって死傷者の数もせいぜい十人程度だ。しかも名のある武将は怪我もしなければ戦死もしない。十数年にわたる合戦が続いて、しかも有名武将が誰一人討ち死していないという、見方によっては破廉恥きわまる戦いは、日本合戦史の中では、このときくらいなものではないか。つまり彼らにとって今度の戦いは参加することに意義のあるお義理戦争なのだ。
考えてみれば、ここまで幕府がどうにかぼろを出さなかったのは、富子の切廻しのせいだった。母親としてつまずきの多かった彼女は、自分自身も気づかない才能で銀閣――銀の館の世界を支えつづけていたのである。
PS
「花の乱」というNHK大河ドラマがあった。
平均視聴率、歴代ワースト1位、という。
このドラマのヒロインが日野富子。
(人気がないから低視聴率?)