【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「地雷を踏む勇気 人生のとるにたらない警句」小田嶋隆

2012年09月19日 21時38分25秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「地雷を踏む勇気 人生のとるにたらない警句」小田嶋隆

先日「その「正義」があぶない。」を読んで、よても良かった。
そこで、さらに本作を読んでみた。
やはり、おもしろかった。
複雑に見える時事ネタを一刀両断。
シンプルに料理し、尚且つ美味い。
いくつか文章を紹介する。

P18
「要するに『核拡散防止条約』ってのは、実質的には『核兵器保有国利権現状維持条約』なわけだわな」
「っていうか、『てめえら弱小国が核兵器を持とうだなんて百年はえーんだよ条約』と呼ぶべきだと思うが」

P24(読売新聞記事2011.9.7、原発が『潜在的な核抑止力として機能している』について)
原子力は男の世界だ。学者も作業員も推進者も官僚もほとんどすべて男ばかりの、いまどき珍しいガチムチなサークルだ。
そういう著しく男密度の高い場所では、「怖い」という言葉は、事実上封殺される。誰もその言葉を口にすることができなくなるのだ。
でなくても、一定以上の人数の男が集まると、その集団は、必ずチキンレースの原理で動くようになる。
なぜなのか、理由はよくわからない。が、経験的に、必ずそうなる。
とすると、原発を止めるための理屈は、「怖い」ではいけないことになる。
(中略)
「君らは色々言うけどさ、原発持ってるとそれだけで周辺国を黙らせることができるんだぜ」
という、このどうにも中二病なマッチョ志向は、外務官僚や防衛省関係者が、内心で思っていてはいても決して口外しない種類の、懐中の剣の如き思想だった。
が、一方において、中二病は、彼らの「切り札」でもあったわけだ。
なんという子供っぽさだろう。

P82(橋下氏の君が代問題について)
実際、橋下知事は、自身のツイッター上で、
「これは君が代問題ではない。教員は職務命令を無視できるのか?の問題」
であると述べている。
(中略) 
学校は工場ではない。
教育現場が目指すところの理想は、歩留まりや均質性ではない。効率でも生産性でもない。
学校は、人間を扱う場所だ。
と、当然そこには一定のバラつきが前提として偏在しており、そうである以上、多様性を許す環境が担保されていなければ、教育は十全な機能を果たすことができない。
生徒の個性を尊重するためには、個性ある教師の存在が不可欠だ。というのも、多様な個性を守ることができるのは、多様な個性だけだからだ。

P122(石原都知事『天罰』発言について)
石原都知事閣下は、3月14日、震災に関する記者の質問に対して、以下のように答えている。
「日本人のアイデンティティは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う」
・・・・・・私は、論評する言葉を持たない。
閣下ご自身に、自らのご発言の反響を噛みしめていただくほかどうしようもないと思う。
これはやっぱり天唾だと思う。

P196(竹中平蔵氏の発言について)
「競争が進むとみんなが豊かになっていく」
と。なるほど。
竹中さんの発言が、原理として間違っていると言うつもりはない。
実際に競争が人間を労働に駆り立てているのは事実だし、その競争の前提には格差の存在がある。あたりまえの話だ
が、同じ競争でも「もっと豊かになるために、もっと頑張ろう」と思うタイプの前向きの競争と「うかうかしてるとホームレスになっちまうぞ」という恐怖に駆られた形の、追い立てられる競争は、全く別のものだ。

【ネット上の紹介】
東電も保安院も復興会議もネトウヨもナデ斬り!3.11大震災以降「言論の地雷」を踏み続け、そのチャレンジングな姿勢で大喝采を浴びた、日経ビジネスオンラインの超人気連載、待望の単行本化。
[目次]
1 見張り塔からずっと(隠しきれなくなった核抑止力;復興構想会議異聞;やらせメールが運ぶ空気 ほか);2 金曜の午後、2時46分(善き隣人のための無常観;ただちに人生に影響を与えるものでなく;「てんでんこ」の未来 ほか);3 ギミー・シェルター(隠された格差としてのバーベキュー;二位じゃダメな理由;スーパークールビズというぬるま湯的着地点 ほか)