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「暗殺者たち」黒川創

2013年12月01日 09時24分23秒 | 読書(小説/日本)

「暗殺者たち」黒川創

日本近代史に興味がある方必読。
1909年10月26日、伊藤博文は安重根に暗殺される。
その伊藤博文もかつて、暗殺者であった。
夏目漱石の新たに発見された文章から当時の状況を読み解いていく。
幸徳秋水、管野須賀子、荒畑寒村の三角関係に触れながら物語が進行していく。
文芸作品ではあるが、ほとんどノンフィクション。
講談社や文春の「新書」として出版されてもおかしくない内容。
19世紀末から20世紀初めの反政府運動が重層的に表現される。

P120
1881年3月、皇帝アレクサンドル二世は、急進化してナロードニキのグループから分かれた「人民の意志」党のテロリストたちのよって、二発の爆弾を投げつけられて、ペテルブルク市内で暗殺されます。このとき、イコン画修行のため、宣教師ニコライによって日本から送り出された女子画学生・山下りんは、この街のネフスキー大通りのホテルに到着したばかりで、大きな爆発音を聞いています。山下りんは満23歳、そして、テロリストたちを現場で指図した女性指導者ソフィア・ペロフスカヤは満27歳でした。また、ひと月ほど前に、59歳のドストエフスキーは同じ街のアパルトマンで急死していました。
13歳のエマ・ゴールドマンがケーニヒスベルクから引っ越してきて、この街の手袋工場の女工となって働きだすのは、さらにその次の年のことでした。

P139
伊藤博文を狙撃した安重根は、すでに、この1910年3月26日午前10時、伊藤殺害からちょうど五ヶ月目の同日同時刻を選び、遼東半島の日本租借地、旅順監獄で処刑されています。
「韓国併合」調印から二日後、8月24日、43歳の夏目漱石は、胃病を悪化させて養生に出むいていた伊豆の温泉地の旅館で、大量の血を吐いて、危篤状態に陥ります。

管野須賀子の手記より(・・・とても興味深い記述である)
P180
寒村は私を、死んだ妹と同じように姉ちゃんといい、私は寒村をかつ坊と呼んでいた。
同棲していても、夫婦というより姉弟と云った方が適当のような間柄であった。ゆえに夫婦として物足りないという感情が、そもそもの二人を隔てる原因であったが、その代わりに又別れての後も姉弟同様な過去の親しい感情は残っている。私は同棲当時も今日も、彼に対する感情に少しも変わりが無いのである。
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【ネット上の紹介】
安重根による伊藤博文暗殺。夏目漱石の「韓満所感」。大逆事件で処刑された幸徳秋水、管野須賀子、そして生きのびた者。二〇世紀初頭、動乱とテロルの世界を、人びとのリアルな姿として語りなおす。一〇〇%の知られざる史実から生みだされた長篇小説。