「古川柳おちぼひろい」田辺聖子
P34
長病みに女衒の見える気の毒さ
男の子は丁稚、女の子は大店や武家へ行儀見習いの女中にゆくが、これが品下ると、女の子は六つ七つから遊里で養われるようになる。(中略)
禿というのは、六つかせいぜい十二三までの童女で、遊女の身のまわりの用をする給仕のようなものである。これも長ずると一人前のおいらんになるのである。
P101
間男の来べき宵なり酒肴
これはむろん、古歌の「我が背子が来べき宵なりささがねの蜘蛛の行ひこよひ著しも」からとっている。「日本書紀」によれば、允恭天皇は絶世の美女衣通姫を妃とされたが皇后の嫉妬をはばかって遠い離宮にお置きになった。(川柳にも本歌取りがあったのね。間男の川柳、けっこう多い。江戸は男女比に偏りがあり、圧倒的に男性が多い。結果として少ない女性を取り合った。あぶれた男性は吉原に行くか、我慢するか・・・)
P118
させもせずしもせぬ二人名が高し
男の女ぎらい代表選手が弁慶とすると女の男ぎらい代表は小野小町ということになっている。小町は口碑俗説によれば穴なしといわれていて、これはいかに美女でも物の役に立ちがたい。(中略)私の思うに小町にふられた男のいやがらせである。男を知らぬ情け知らずの女が、あんな情緒纏綿たる恋歌をよめるわけはない。(中略)義経と(弁慶が)ホモだちであったというのは「吾妻鏡」にも「義経記」にも載っていないので、これまた推測の域を出ない。
P124
ほとんど句によまれないのに、頼朝がある。頼朝は、徳川家康と同じく、全然おもしろくない人間であって、からかう材料にこまるらしい。
P217
傾城を買ふと男が生きてくる
遊里の洗礼を受けて、はじめて男が一人前の戦士として社会に送り出される、という社会。
戦闘員と非戦闘員(つまりオトナとコドモ)、それから、男と女。シロウトとクロウト。非売品と売品。野暮と通人。金持と貧乏人。強者と弱者。
その区別がハッキリしている世界なのだ。
それは、男性文化の特徴である。(中略)
女房はすつぽん女郎はお月さま
これも男性文化の中でいうから、おかしい味になるのだ。こう威張る男、以前に朝帰りの句で拾ったように〈朝帰り命に別儀ないばかり〉――この句も女性文化の時代に作られたのでは面白くもおかしくもない。――しかく、現代の川柳がむつかしい岐路に立っているのは、現代が女性文化の時代だからではあるまいか。
P232
ひる過ぎの娘は琴の弟子も取り
ハイ・ミス(=ひる過ぎの娘)は、つれづれなるままに、お琴の弟子を取ったりしている。たぶん、この頃のひる過ぎは、21、2であろうか、現代なら娘ざかりであるが、200年前の娘の婚期は17、8だから、20すぎて、白歯でいると、目立ったろう。
P235
親爺まだ西より北へいく気なり
西は仏さまの極楽だが、北はこの世の極楽、吉原をさす。
【感想】
笑いは、その時代にリアルタイムで聞かないと分からないことが多い。流行もあって、50年前の漫才を聞いても面白くなかったりする。読み解くにも、教養が必要。直感で分かるくらいの素養が欲しいものだ。