「作画汗まみれ」大塚康生
日本アニメの歴史、貴重な証言。
高畑勲に大きな影響を与え、新人の頃の宮崎駿も指導した。
「未来少年コナン」「カリオストロの城」も、大塚康生さん抜きで語れない。
P18
私は1951年4月、旧制中学校を卒業後、しばらく山口県庁で働いたのち、上京して有楽町のそばにあった「厚生省関東甲信越地区麻薬取締官事務所」というオソロシ気な名前の役所に働いていました。
P98
私個人は、手塚先生がわざわざ東映のすぐ近くの6畳と3畳の狭い拙宅に何度も見えて「虫プロに来てほしい」とお誘いを受けていました。
P100
手塚先生のことばのはしはしに「動かすだけでしょう?」とアニメーションの技術を甘くみておられるようすが感じられたことでした。
P104
「アトム」は放映されてみると爆発的な人気が出ました。それは、東映の私たちにとって、日本のお客さんは「あれでいいのだ」「あれで満足してもらえる」「人気原作漫画があれば、準備はおろか宣伝さえもいらない」と言われたような衝撃でありました。
P107
もし手塚先生が、若いアニメーターに真摯な生徒としてアニメーションの動かす魅力をイチから学ばせておられたら。少なくとも東映よりも高価格でテレビに進出しておられたら『アトム』以後の日本のアニメーションは大分様子が違っていたかもしれなかったのです。(手塚治虫さんが1989年に亡くなられた時、朝日新聞が各界著名人のコメントを掲載していた。氏の業績を絶讃する中で、宮崎駿さんのみ、日本アニメ界へマイナス影響を与えたと、怒っておられたのを思い出す)
P144
拳銃も持つ人の好みを反映すべきである。不二子はブローニング・ハースタル22(これは私が麻薬事務所にいた頃のいつも分解掃除していた拳銃です)、銭形は米軍の将校の持つコルト・ガバメント45等々・・・(後略)(ルパンの愛車をフィアット500としたのも大塚康生さん)
【ネット上の紹介】
「白蛇伝」から「太陽の王子ホルスの大冒険」「未来少年コナン」「ルパン三世」「じゃりン子チエ」まで。高畑勲、宮崎駿と共に青春時代を過ごし、数々の傑作アニメーションを作ってきた職人的名アニメーターの貴重な証言と記録。
1章 アニメーション新入生時代
2章 日本初のカラー長編動画
3章 東映長編を支えた仲間たち
4章 テレビアニメーション時代の幕開け
5章 『太陽の王子ホルスの大冒険』
6章 『ルパン三世』
7章 『未来少年コナン』
8章 長編アニメーション再燃
9章 『リトル・ニモ』顛末記
10章 日本人を描くアニメーション