新少林寺/SHAOLIN<日本語吹替版>
2010年/香港=中国
「1912年」のジャッキー・チェン
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
本作は『1911』(チャン・リー監督 2011年)の翌年の1912年、辛亥革命により混沌に陥っていた中国が舞台となっている。『1911』は主に軍人の視点から描かれていたが、『新少林寺/SHAOLIN』の視点は主に少林寺の僧侶たちに移り、必然的に‘弱者たち’に焦点が当たる。主人公の将軍である侯杰は粗暴で傲慢で全く人を信じることをしないために、わざわざ登封城の将軍である霍龍が少林寺まで逃げ込んで命乞いをしているにも関わらず無視して銃殺してしまい、外交交渉しようとする外国人も信用せず、義兄弟の浄空まで信用出来ずに暗殺しようと企んでいた。しかし浄空は侯杰に全幅の信頼を寄せていることを侯杰は暗殺直前になって知り、うかつにも腹心であった曹蛮に裏切られることになる。
ところで肝心のジャッキー・チェンなのであるが、『1911』では黄興という革命家であったが、本作では悟道という少林寺の厨房係に‘降格’させられている(あるいは制作の順番から見れば‘昇格’なのかもしれないが)。本作ではジャッキーは完全に戦うことを禁じられて、せいぜい麺作りを応用したカンフーを試みるだけで、通用しないと悟ると、難民たちを引き連れて少林寺を脱出してしまう。しかし『1911』と同様に、もはや戦闘不能の状態と化したジャッキーは見る価値が無いと判断することは早計であろう。何故ならば本作は憎しみや恨みを抱き続けて戦うことの無意味さを描いているからである。素手で戦うカンフーは銃の前では為すすべが無いことは冒頭のシーンで描かれた通りであるが、その銃でさえクライマックスで少林寺を炎上させる大砲の前では無力なのであり、その‘力比べ’に際限はない。実りの無い諍いに対する唯一の有効手段がジャッキーが実践した‘闘争’ならぬ‘逃走’であるのならば、ジャッキーのアクションの‘不振’は本作では意味を持つはずなのである。
ところでこのような極めて真っ当と思える本作のテーマを真っ向から覆そうとする作品が同時期に公開されている。『インモータルズ 神々の戦い』(ターセム・シン監督 2011年)と題されたその作品に関しては稿を改めて論じてみたい。
銀座の二つ星店、有毒のふぐ肝提供の疑い 保健所が告発(朝日新聞) - goo ニュース
飲食店ガイドブック「ミシュランガイド」で二つ星の評価を受けた東京都中央区のふぐ料理店
「ふぐ福治」の店と調理師のオーナー男性は、有毒部位として提供が禁じられている天然
トラフグの肝臓を「肝ぽんず」として出したとして1週間の営業停止処分を受けたようだ。
しかしこれは考えてみるならば注文した客はもちろんメニューに載っていない天然トラフグの
肝臓の危険性を十分に認識した上で注文したはずだし、「ミシュランガイド」で二つ星の評価
を受けていた店だからこそ口唇のしびれ程度で治まったと見倣すべきで、普通の店だったら
死んでいてもおかしくない。女性客が入院してしまったから明るみになったと思うが、常連客
であったならば症状が出ても家で寝込むだけで、“裏メニュー”の存在を守っていただろう。