プリピャチ
1999年/オーストリア
ストイックな演出の背景
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
1986年のチェルノブイリ原発事故後、原発の周辺地域には30キロ圏の立入制限区域が設けられた。「プリピャチ」とは原発から4キロ離れた、発電所の労働者が暮らす街だった。ニコラウス・ゲイハルター監督は約三ヶ月間その街に滞在して(作品内に映っているカレンダーによるならば撮影は1998年)、そこに住んでいる人々にインタビューを試みている。
ニコラウス・ゲイハルター監督の演出は非常にストイックである。敢えて白黒で撮影し、インタビューする相手のみならず、街に立てられている看板も画面の中央に据える理由は、煽動や、‘右’や‘左’の政治色を取り払うためであろう。ラストでオリガとアンドレイの二人が固定カメラからゆっくりと右奥に去って作品が終わるまで、登場人物は徹底して中央に‘位置付け’られている。だからゲイハルター監督としては、今の日本で本作が公開されることは不本意なのではないかと想像する。
因ってここでも内容に関しては議論しないが、プリピャチ市の環境研究所『ラデク』に勤務しているジナイーダという女性が「鳥やネズミさえいなくなった」と吐露しているのも関わらず、時々歩き回っているネコが映っていたり、彼女が事故以前に住んでいたアパートへ向かう途中で、事故後に育ったらしいリンゴの木を見つけたり、放射能で汚染されたクルマやヘリコプターなどの廃車が置かれているところに、3キロ先にあるコルホーズやソフホーズで働いている人たちが危険であるにも関わらず部品を盗みに来たり、ドニエプル川で無意味だと分かりながら放射線を計測している役人のインタビューの後に、その支流であるプリピャチ川でアンドレイ(因みに彼は原発事故の3日前に解雇されたおかげで命が助かったと語っている)が生活水を汲んでいるなど、‘ホットスポット’はどこに現れてどこに現れないのか全く予測がつかず、実は‘慣れ’による心の隙を突いてきたりするのである。
それにしても出来ればカラーで観たかった。
群馬大教授「福島の農家はオウム信者と同じ」 訓告処分(朝日新聞) - goo ニュース
群大教授暴言「福島の農家はオウム信者と同じ」(読売新聞) - goo ニュース
群馬大学の教育学部の早川由紀夫教授(火山学)は約3万4千人のフォロワー(読者)が
いるツイッターに「福島県がやったコメのセシウム検査はすべて信用できない。利益相反が
発生してる。第三者が検査しない限り福島県のコメは全部たべられない」「セシウムまみれ
の干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米つくる
行為も、サリンつくったオウム信者がしたことと同じだ」「福島の農家のことなんかひとつも
心配していない。彼らが滅びても私は何も困らない」と書き込んでいるらしい。さらに、8日の
記者会見で、大学から訓告処分を受けたことに対して「放射能の危険性を多くの人に迅速
に伝えるために、あえて過激にした。処分は学問の自由を奪う行為で、大学の自殺」と批判
している。早川由紀夫は福島第一原発事故による放射能汚染地図をいち早く作製したこと
で知られるわけだから、それなりの確信があるのだろうが、それならば本人が福島産の米を
食べなければいいだけの話なのではないだろうか