原題:『Breaking the Waves』
監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
撮影:ロビー・ミューラー
出演:エミリー・ワトソン/ステラン・スカルスガルド/カトリン・カートリッジ
1996年/デンマーク
宗教批判のあざとさ
主人公であるスコットランドの小さな村の住人であるベス・マクニールは7年前に兄を亡くして義姉で看護婦のドドと親しくしていたが、ある日、ヤン・ナイマンという男と結婚することを村人たちに告げるものの、よそ者であるヤンは歓迎されない。ベスとヤンがどのように知り合ったのかは詳しく描かれていない。どうやら結婚の許諾を教会から貰う代わりに油田の掘削業に携わることになったヤンはヘリコプターで他の労働者たちと北海へ向かうことになり、新婚であるにも関わらず2人は電話越しのコミュニケーションを強いられることになるが、作業中に背後から来た鉄棒をヤンが頭に受けて瀕死の重傷を負う。命は助かったものの、全身麻痺でベッドから動くことができなくなり自殺まで試みようとしたヤンは夫としての役割を果たせなくなったためにベスに愛人を持つように促す。その相手とセックスをしてその様子を語って欲しいというヤンの本音は、ベスに恋人が出来れば、自分のことは忘れてくれるだろうという願望が入っていたはずだが、プロテスタントの信仰に厳格なベスは娼婦として堕落してしまう。主治医のリチャードソンにまで手を出そうとするが、当然リチャードソンに断られたベスは、ついにベテランの娼婦でさえなかなか近づかない沖合に停泊する不気味な大型船に向かい売春しようとするが、レイプされそうになり背中を大きく切られながらも船内にあった拳銃で脅して脱出する。しかし病院に戻ってもヤンが回復している様子はなく、逆にヤンの同意を得たとしてベスは精神病院に連れていかれてしまう。病院に着く前に車から逃げ出したベスは子供たちから石を投げられ、牧師に助けられたものの、教会内に入れてもらうことは出来なかった。そこへ現れたドドにヤンが危篤であると聞いたベスは再び大型船に向かい、瀕死の重傷を負って病院に担ぎ込まれるがそのまま亡くなってしまうものの、その後、ヤンの方は奇跡的に歩けるようになるまで回復し、ベスの品行の悪さで葬儀をする許可さえしない教会からベスの遺体を仲間と一緒に盗んで、船で運び海に流して弔ると、間もなくして、空で鳴る2つの鐘を目撃する。それは村の教会には付いていなかったものである。
宗教教義の批判という意図は分かるが、ベスの口から神の言葉が語られ、わざわざ殺されることが分かっていながら夫を救うべく身を神に捧げるために大型船に戻るところなどストーリーのあざとさは否めない。それはベスを‘キリスト化’することにほかならず、ハンディカメラによる‘リアリティ’を追求し‘反神’を謳いながらラストの突然の‘ファンタジー化’で‘汎神’に落ち着いてしまうところが何とも解せないが、本作がヨーロッパでの評価が高い理由は、キリスト教に与しない者には理解出来ないのかもしれない。