原題:『Iron Man 3』
監督:シェーン・ブラック
脚本:シェーン・ブラック/ドリュー・ピアース
撮影:ジョン・トール
出演:ロバート・ダウニー・Jr/グウィネス・パルトロー/ドン・チードル/ガイ・ピアース
2013年/アメリカ
ヒーローが生み出す悪という宿痾
『アイアンマン』(ジョン・ファヴロー監督 2008年)、『アイアンマン2』(ジョン・ファヴロー監督 2010年)と観てきた私の本シリーズに対する関心は、他のヒーローが自身の素性を隠しながら戦っている中、トニー・スタークスがいとも簡単に自ら、自身がアイアンマンであることを公表したことによるヒーローとしての責任の取り方だった。しかし冒頭のトニーの「自らが悪を生み出す」という、カウンセリング中の告白によりそれまでの杞憂は晴れてしまった。スターク・インダストリーズ社長の座を秘書のペッパー・ポッツに譲った理由は、アイアンマン・スーツの開発に専念するためであり、睡眠時間の削りすぎにより、過酷な「アベンジャーズ」の戦いによるPTSDと相まってトニーの精神的疲労はピークに達していた。トニーの身振りとは対照的に、本作の敵となるマンダリンはテレビ局の電波ジャックを通じてテロを行ないなかなか捕らえられないでいた。トニー自身もマンダリンというキャラクターが中東など様々な要素の組み合わせのようなリアリティの薄さを感じており、実は、マンダリンは俳優によって演じられた架空の人物で、黒幕は脳の未使用の部分とDNAを進化させる「エクストリミス」と呼ばれる技術の研究をしているアルドリッチ・キリアンであり、この対称性がヒーロー像の皮肉として効いているのだが、同時に、メカニックの進化は人間のDNAの進化にいつまでも対等でいられるのかという問いを投げかけてもいる。実際に、ラストでトニーを救ったのはアイアンマン・スーツではなく、「エクストリミス」と化したペッパーなのである。冒頭で語ったように、アイアンマンの存在が悪を生み出すことを悟ったトニーはヒーローであることを辞めることにするのであるが、ここまで追い込まれたヒーローがどのような活躍を見せるのか、あるいは見せないのか楽しみである。
自身がアイアンマンであるという事実のみならず、マリブにある自宅の住所まで相手に教えるという‘ギャグ’から、腕を吊られたまま2人の見張り役に対して声を張り上げながらやがて部分ごとにやって来るアイアンマンスーツで相手を倒すシーンや、飛行機から放り出された13人の乗客を‘モンキー’ばりに救出するシーンや、ハッピー・ホーガンが好んで観ているテレビのソープオペラがやがてハッピーを介護している看護婦との関係が密になるような暗示を果たし、さらにはエンドロール後に、トニーが話していることを心理カウンセラーが眠っていて、スイスのエレベーターの辺りから、そのような話にカウンセラーとして全く興味が持てず、全然聞いておらず、仕方がないから1983年の14歳のころからの話をし始めるという自虐ギャグまで、ネタが詰まっており最後まで飽きさせない完璧な脚本でシリーズ最高作である。