原題:『さらば あぶない刑事』
監督:村川透
脚本:柏原寛司
撮影:仙元誠三
出演:舘ひろし/柴田恭兵/仲村トオル/浅野温子/吉川晃司/吉沢亮/菜々緒
2016年/日本
若さ故に輝いていた「あぶなさ」について
かなり期待して観に行ったのであるが、正直に言うならば「あぶない刑事」の「あぶなさ」が欠けているように感じた。
シリーズを通して観ている者ならば主人公の鷹山敏樹と大下勇次の売りであったはずの体を張ったアクションシーンのもの足りなさに不満を持つかもしれないが、それはさすがの2人でも寄る年波には勝てないくらいの理解は持っているつもりではある。
しかし例えば、敵方のキョウイチ・ガルシアが自分の金庫の暗証番号を単純に自分の誕生日である12月27日の数字の並びにしていたためにユージにいとも簡単に開けられてしまうところなど、当然のことながらマフィアのボスの振る舞いには見えず、リアリティーが感じられないのである。
あるいはラストシーンは2人が大勢の敵に囲まれ、ユージがタカに「残りの弾の数と敵の数が全く合いません!」と叫び、意を決して拳銃を撃ちながら飛び出していくところまでは『明日に向って撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid)』(ジョージ・ロイ・ヒル監督 1969年)のラストシーンのオマージュとして良かったのだが、その後どのようにして助かったのか具体的な描写がないまま、いつの間にか定年後になって生きている2人がニュージーランドで開設した私立探偵事務所の場面になってしまっているのである。ここのシーンなどはミサイルやバズーカ砲などが飛び出して危機を脱することが「あぶない刑事」としてのリアリティーではなかっただろうか?
ここまで書いたところで気がついたことがある。何も老いたのは舘ひろしや柴田恭兵のみならず、監督の村川透や脚本を担った柏原寛司も同様なのだった。ありがとう。そしてさようなら。