今日の毎日新聞の「日曜くらぶ」の「松尾貴史のちょっと違和感」では、卒業式や入学式で
国歌斉唱しない方針を示した岐阜大学の森脇久隆学長に対し、馳浩文部科学相が「日本人として、
特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」と批判したことを取り上げている。「そもそもその
(運営)交付金は国民から集めた税金であって、大臣や時の政府のポケットマネーではない。
贔屓の旦那衆のような口を叩く文部科学大臣の方がよっぽど恥知らずだ。」というのはもっともな
話なのではあるが、個人的に感じた違和感は馳浩が使っている「恥ずかしい」という言葉の方で、
「恥ずかしい」を辞書で引いてみると、「自分の至らなさ・みっともなさを感じてきまりが悪い。」
「相手が立派に思えて、自分は劣っていることを感じて気おくれする。」「こちらが恥ずかしく
なるほど相手がすぐれている。」「何となくてれくさい。」とあるのだが、「日本人として、
特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」とはどの意味に当てはまるだろうか。「恥ずかしい」
とはそのように感じる当事者の気持ちの問題であり、他人がその当事者になり代わって感じられる
ものではないはずなのである。だからここでは「恥ずかしい」ではなく、松尾貴史が正確に
使用しているように「恥知らずだ」が正解なのであるが、「恥知らず」だと言葉が強すぎると
思い批判をかわすために「恥ずかしい」を使ったのであろうが、却って訳が分からなくなっている。