リアル・スティール
2011年/アメリカ
身体運動の復権
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
2020年、より強い刺激を求めるようになっていた人々はロボットによるボクシングに熱狂していた。元ボクサーの主人公であるチャーリー・ケントンはアンブッシュやノイジー・ボーイと呼ばれるロボットを手に入れて試合に出場するのであるが、自分自身で戦っていないためなのか、いずれもケアレスミスで負けてしまう。
元恋人の死によって暫く一緒に暮らすことになった息子のマックスが鉄屑廃品置き場で見つけたアトムというロボットで「動物園」でメトロと呼ばれるロボットと戦い、勝利する。
アンブッシュやノイジー・ボーイの部品を使って改良したアトムは「ワールド・ロボット・ボクシング・リーグ」の初戦でツイン・シティーズと呼ばれるロボットと対戦することになり、チャーリーの実戦経験を活かして勝利することになる。
やがて2人はWRBのチャンピオンであるゼウスと呼ばれるロボットと対戦することになる。5ラウンド制で4ラウンドまではアトムは劣勢だったのであるが、アトムの音声受信装置が壊れたために、シャドーボクシングモードに切り換えて、場外のチャーリーの動きに合わせて戦うことでアトムは一転して優勢になる。しかし総合の判定の結果、アトムは敗れてしまうのであるが、観客の絶大な支持によってアトムは‘みんなのチャンピオン’として名を馳せることになる。
このように簡単にストーリーの流れを見ていくと、元ボクサーであったチャーリーが試合をロボットに任せっきりであった時は勝てなかったのであるが、アトムにボクシングの手ほどきをするようになり、最後はアトムを介して自ら戦うことでチャンピオンを追い詰めるまでに至る。それはマックスも同様で、最初はPCゲームを通してでしか知らなかったロボットを、自ら掘り出して一緒にダンスをすることで‘共感’出来るまでになり、アトムという‘接点’でチャーリーとマックスはお互いを理解し合えるようになる。
ところでラストシーンでマックスが父親のチャーリーに言った「大丈夫、秘密は守るよ」という謎めいたセリフについてである。その秘密とは、「実はマックスはチャーリーの実子ではない」という考えもあるが、試合直後にそのような話になることは考えにくく、彼女に子供が出来たから逃げ出したという言及もあるために無理がある。だからここの秘密とは、実はアトムには‘意志’があるということだと思われる。マックスは早々にアトムが自分に言っていることを理解していることが分かっており、そのことを秘密にしようと約束している。シャドーボクシングモードでアトムはマックスにダンスを習っているが、既に所々‘鏡合わせ’のようになっていないところがあり、恐らくチャーリーは5ラウンド辺りでアトムに‘意志’があることに気が付いたのだと思う。そもそもアトムという名前も手塚治虫の鉄腕アトムから取られているのであろうから、‘感情を持つロボット’の暗喩として命名されたと捉えることは不自然ではない。ゼウスとの試合直後に‘みんなのチャンピオン’となったアトムのために、2人の秘密にしようと口を合わせることで、あくまでもロボット同士の戦いということにしたのだと考えられる。ここのシーンやマックスがアトムを掘り出すシーンなど演出に甘いところも見受けられるが、身体運動を復権させるための様々な試みが面白く描かれていると思う。
八ツ場建設再開を決定 首相と確執、前原氏一人芝居(産経新聞) - goo ニュース
八ツ場ダム工事再開 メンツ丸潰れ、前原氏苦難 また「言うだけ番長」進退も(産経新聞) - goo ニュース
以前から前原誠司のポンコツぶりは指摘していた通りであるが、それでもさすがに今回の
八ツ場ダムの建設再開は絶対に阻止すると思っていた。そもそも建設中止を決めたのは
国土交通相だった前原本人であり、現在は民主党の政調会長の職につき、前原誠司の
了承が無ければ法案、予算、条約の国会提出は出来ないことになっているはずで、
前原は23日の政府・民主三役会議で、「党として承服できない。国交省予算の閣議決定は
認められない」と言ったが、無視された形で八ツ場ダムの建設再開は決まってしまった。
これでは前原誠司のメンツは丸つぶれであるから、抗議の意味を込めて政調会長を辞任
するのかと思いきや、「政権交代の理念が骨抜きになった。極めて残念だ」と語りながらも、
政調会長辞任については「キャッチャーとして野田政権を支えることに変わりはない」と否定
した。前原誠司は“キャッチャー”に徹する事で、事実上、政治生命を自ら終わらせたようだ。
ワイルド7
2011年/日本
個性を奪われたワイルド7
総合
50点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
集団が一丸となって活躍する海上保安官たちの勇姿を描いた『海猿』シリーズにおいては、それなりに健闘していた羽住英一郎監督ではあるが、強烈な個性を持つメンバーの集まりである「ワイルド7」は持て余し気味である。実際に、冒頭の事件において、能面をかぶって‘個性’を隠して強盗殺人を犯す犯罪者集団と、まだ素性が明かされていない「ワイルド7」のメンバーたちの攻防シーンまでは良くできているのであるが、「ワイルド7」のメンバーたちの素性が明らかにされた辺りから、物語のテンションが一気に下がってしまう。例えば、主人公の飛葉大陸が本間ユキを見初めてしまう理由は、「若い頃から喧嘩に明け暮れ、少年院から脱走を繰り返す。退院後は米軍基地に潜り込み、そこで3年を過ごす。そのとき出会った恋人を救うため、彼女につきまとっていた暴力団員の事務所へ話し合いに向かうが、乱闘になり組員3人を殺害。その直後、恋人も自ら命を絶った」その恋人の面影を認めたからであろうが、PSU(公安調査庁情報機関)情報分析部門統括者の桐生圭吾に飛葉大陸が「女にうつつを抜かすから」となじられるその女とは本間ユキではなく、その恋人であることなどもパンフレットを読まなければ詳細が分らない。
その本間ユキであるが、幼い頃にテロにより家族を失った報復とはいえ、レストランでウエイトレスのアルバイトをしながら一人でバイクも拳銃も上手く使いこなし、「ワイルド7」と呼ばれているメンバーたちと同等の仕事が出来る強者ぶりは深田恭子の演技と相まって、演出に行き詰った結果、その存在を謎のまま放り出したようにしか見えない。
飛行船によるウイルステロの主犯を捕まえたのは飛行船が爆破する1分前であるが、1分で解除出来るのかという議論の前に、ワイルド7のメンバーたちに追い詰められている時点で、もう時間が無いのだから犯人たちが自ら解除するだろう。
PSUへワイルド7のメンバーたちが突入するシーンにおいても、娘の岩下こずえを人質にとられているセカイ以外は、個性が発揮出来ないままで、銃撃戦に面白味を欠いている。
このようにストーリーの展開と共にますます内容はグダグダになるのであるが、何といってもこれだけの銃撃戦があり、SAT部隊なども大量に投入されているのも関わらず、全てを死亡した桐生圭吾の狂言としてワイルド7の存在を無かったことにするというオチには無理があると思う。どうしても草波警視正の命令通りに桐生以外に死者を出さなかったようには見えない。
それにしてもエンドロールに映し出される撮影現場のくつろいだカットの意図は何だろうか? 例えば、同時期に公開されている『ニューイヤーズ・イブ』(ゲイリー・マーシャル監督 2011年)のエンドロールに映し出されるNGシーンはハートフルコメディという作品の性格を鑑みれば観客に対するサービスと見倣せるのであるが、ハードボイルドである『ワイルド7』でそのような舞台裏を見せられると雰囲気が台無しになってしまうと思うのだが。
ビビる大木が説いた「仕事の姿勢」(R25) - goo ニュース
お笑い芸人のビビる大木が訪れたファッションブランドショップの店員が、「閉店2分前に
ビビる大木が来やがってちんたら見た挙句、なんも買わず帰り無駄な残業だった。芸能人
振りやがってマジ腹立たしい」とツイートしたことに対して、ビビる大木は「普通に見たつもり
です。どういうつもりですか?客に対して実名を出して悪口を言うとは」とリツイートで返信
したらしい。この店員は商売というものを全く理解していないと思う。一見客であるなら
まだしも、かなりの財産を貯め込んでいるという噂が絶えないビビる大木ならば、その時は
何も買わなかったとしても、懇切丁寧な対応で次回の来店で大量に購買してくれる
可能性があるからである。例えば、パチンコ店でなかなか出玉が無いことに腹をたてて
パチンコ台を壊してしまう客に対して、パチンコ店は穏やかに対応する。そのように熱くなる
客こそがパチンコ店にとっての“ドル箱”になるからである。
ハッピーフィート2 踊るペンギンレスキュー隊
2011年/アメリカ
アンダー・プレッシャー
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
『アーサー・クリスマスの大冒険』(サラ・スミス監督 2011年)の100万人の妖精エルフ軍団の描写の壮大さに驚いたばかりなのであるが、本作の、エンペラー帝国のみならず、アデリーランドのペンギンの大群集の描写に圧倒され、更に小さなオキアミの群集から大きなゾウアザラシの群集まで登場させることで、基調となる青い色彩画面に赤色や黒みを帯びた赤黄色を加え、薄っぺらくなりがちのアニメーションに重量感を持たせることに成功している。
重層させているものは画面だけではなく、物語もマンブルの息子のエリックの‘野心’とオキアミのウィルの‘野心’をリンクさせて進行させている。仲間の中でダンスが出来ないエリックは、そのコンプレックスを解消させるために、‘空を飛べるペンギン’としてアデリーランドのリーダーとして君臨しているマイティ・スベンに憧れるようになり、ダンスしか出来ない父親を見下すようになる。同じ頃、ウィルは新しい生き方を求めて友人のビルと一緒に群れから離れてしまう。
間もなくしてマイティ・スベンがペンギンではなく、鳥であることが明らかになり、エリックは‘超能力’は存在しないことを理解し、父親のマンブルの地道な努力の素晴らしさに気がつく。
ここまでならばタイトル通りに‘ハッピー’な‘エンド’であるが、物語はこれで終わらない。友人のビルとはぐれたオキアミのウィルは散々酷い目に遭遇するのであるが、最後にビルだけではなく他の仲間全員と再会することになる。何と仲間たちはウィルに賛同して食物連鎖から抜け出して、誰にも食べられない草食動物として生きることにしたのである。
ここで思い出してもらいたいことはオキアミたちの上でペンギンやゾウアザラシたちが歌いながら踊っている曲である。彼らはクイーンとデヴィッド・ボウイの『アンダー・プレッシャー(Under Pressure) 』(1981年)に合わせて踊ることで仲間たちを助けるのであるが、その氷山の下(=Under)でオキアミたちの食物連鎖からの独立によって受けるプレッシャー(=Pressure)は、ペンギンたちが歓喜すればするほど反比例するようにオキアミたちを襲うのである。もちろん高揚しているオキアミたちはそのプレッシャーにまだ気がついていない。海の中では「アンダー・プレッシャー」は聞こえていない。
アヤパン、初著書で“幸せの流儀”伝授(サンケイスポーツ) - goo ニュース
フリーアナウンサーの高島彩が初著書「聞く 笑う、ツナグ。」を書くきっかけになった事は
小学館から「高島さんの流儀を知りたい」と依頼され、当初は「誰かに読んでもらえるような
言葉を書ける人間ではない」と悩んだそうだが、現在の自身を形成しているものが「人と
場所と縁に恵まれたこと」と思った高島は、「そういうご縁とうまく付き合う方法を探って
みたい」と決意したようである。しかしそもそも私のような一般人には彼女のように人と
場所と縁に恵まれていないために、そのようなご縁とうまく付き合う方法を教えてもらっても
意味がなく、高島彩ほどの美貌と知性があるからこそ人と場所と縁に恵まれるのである。
映画「けいおん!」
2011年/日本
限りなく軽い音楽
総合
0点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
高校生のガールズバンドの物語という知識だけで観に行ったのであるが、全く想像していたものとは違っていた。作画もストーリーも緩く、日常を大切にして、平凡な毎日を終わらせないために敢えて特異なものになることを避けているようにすら感じる。例えば、ビートルズの「アビーロード」ネタやザ・フーの「イギリス国旗を羽織って眠る」ネタ、あるいはメンバーがイギリスに到着した辺りの音楽がU2の「Where The Streets Have No Name」に似せたBGMなどの‘オマージュ’はあるものの、ロンドンへ卒業旅行をする割にはイギリス音楽に拘りがあるわけではないが、オリジナルの楽曲は悪くはない。
平沢唯の、一人で眠っているのに「ハネムーン」というロゴが入ったTシャツを着ていたり、ロンドンに滞在しているのに「パリ」というロゴが入ったTシャツを着ていたりというレベルのギャグを見て笑える人ならば楽しめるのかもしれないが、残念ながら私は笑えなかった。
結局は、ガールズバンドという物語を装いながら女性の同性愛を描いた‘やおい系’の作品だと思う。そのような物語を必要としない私は評価を差し控えたい。
「書籍の自炊代行は違法」作家・漫画家7人が提訴(朝日新聞) - goo ニュース
今年9月に作家や漫画家122人と出版7社が代行業者約100社に、複写を許可しない
ことを通知し、続行するかどうかを聞いたところ、代行業者の「愛宕」と「スキャン×BANK」
の2社が継続の意思を示したため、提訴に踏み切ったようだ。ここまでは理解出来るが、
作家の浅田次郎の「わたしの作り出した本というものが、見ず知らずの人の手でいいように
されて、あずかり知らぬところで利益が出ている事が憤りです」というコメントはどうだろう
本というものは必然的に見ず知らずの人の手に行き渡り、“いいように”されて、新古書店
などに売られて“あずかり知らぬところで利益が出ている”のが現状なのである。人気作家
の、このような貧相なコメントこそが“自炊代行”という貧しさを生み出していると思う。
ここに幸あり
2006年/フランス=イタリア=ロシア
女性の脚とタバコと芸術と
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
『月曜日に乾杯!』(2002年)において、神父に跪く2人の女性の、靴を履いた両脚や、裾をたくしあげてはしゃぐ尼僧たちの脚や、主人公のヴァンサンが泊めてもらったカルロの家を去る際に映し出されるカルロの3人の寝ている娘たちの足などの控えめさを勘案するならば、『ここに幸あり』の最初の方で映し出される、主人公で大臣のヴァンサンの愛人のミニスカートのスリットから大胆に覗く長い両脚は、それまで堪えていた我慢を吐き出すかのようである。実際に、『月曜日に乾杯!』で禁じられていた喫煙は、本作では止められることはなくヴァンサンが吸おうとすると必ず周りの人間も彼にタバコを要求するのである。明らかに『月曜日に乾杯!』で制限されていたことが『ここに幸あり』で解放されたはずなのであるが、メインとなるものは女性の脚でもタバコでもなく、芸術であるということは『月曜日に乾杯!』のヴァンサンの長男が教会の壁に描いていたフレスコ画と、『ここに幸あり』のヴァンサンの友人が路上に描いていた絵が、馬に乗った男がワニを退治するという同一のものだからである。
ヴァンサンの愛人が購入したものは古代ギリシャ様式のヴィーナスの像であり、ここからヴァンサンは失政で大臣の職を追われる。アフリカの要人たちと会談していたヴァンサンが好きなものは、決して‘高級’なものではない。ヴァンサンの部屋に掛かっていた絵画は牛や猪などの、いわゆる‘素朴派’と呼ばれる親しみやすいものである。それはヴァンサンの友人が経営するビストロで、子供が描いているような絵であり、そのような絵に囲まれているおかげでヴァンサンは仲間たちと楽しい時を過ごすことが出来るのである。ここで思い出して欲しいことは『月曜日に乾杯!』のヴァンサンの実家に掛かっていたフランスの画家であるアンリ・ド・トゥルーズ=ロートレックのリトグラフ『ジャヌ・アヴリル(JANE Avril)』(1899年)である。ロートレックの作風もラフで親しみやすいものである。しかしヴァンサンが旅先から送っていた自作の絵葉書が破り捨てられるように、ビストロの壁に描かれた子供の絵は白いペンキで消されることになる。
ヴァンサンを見限った愛人はヴィーナスの像を持って髪の毛の無い男の元へ行くのであるが、やがて疫病神のように扱われることになる。ヴァンサンの後を継いで大臣になったテオディオールも国民のデモに遭ったからであるが、彼の執務室に掛かっていた絵は抽象絵画であり、ようするに‘行き過ぎ’たのである。
ヴァンサンが理想とするものは、例えばシューベルトの曲をギターで弾くような‘高級な軽さ’だと思うが、『月曜日に乾杯!』のラストカットの不規則な煙突の抽象性は、『ここに幸あり』においてはヴァンサンが付き合っていた全ての女性たちに置き換わり、ヴァンサンの、それまで‘すれ違って’いた全ての‘形式’を受け入れる覚悟を感じるのである。逆に言うならば自分が入ることになる棺桶の‘形式’に拘ることの虚しさを悟ったということなのかもしれないが、その答えがイオセリアー二の新作『汽車はふたたび故郷へ』で描かれているのかどうかは寡聞にして分らない。
小金井市長に稲葉氏 8カ月ぶり返り咲き 「ごみ処理体制 来年度に方向性」(産経新聞) - goo ニュース
東京都小金井市のごみ問題は全くわけが分らない。今年の4月の市長選で当選した
佐藤和雄前市長は、選挙戦中にごみ処理委託費を「無駄遣い」と発言していたのだから
当然、自前の処理場を建設出来る場所の目処があるのかと思いきや、実はノープラン
だったことが分かり、市長の辞任で今回改めて選挙することになったのであるが、何と
当選したのは、それまで12年間ゴミ処理問題を解決できなかった元市長の稲葉孝彦
である。しかし“反稲葉”として立候補した元市議の斎藤康夫の票(12749)と元衆院議員
秘書の野村隆の票(9147)を合わせれば稲葉孝彦が獲得した票(14383)を軽く超える
のである。ごみは寝ててもに集まるのに票はなかなか集められないことが分かっていない。