MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『アレキサンダー』

2016-02-19 00:56:38 | goo映画レビュー

原題:『Alexander』
監督:オリヴァー・ストーン
脚本:オリヴァー・ストーン/クリストファー・カイル/レータ・カログリディス
撮影:ロドリゴ・プリエト
出演:アンソニー・ホプキンス/コリン・ファレル/ジャレッド・レト/アンジェリーナ・ジョリー
2004年/アメリカ・フランス・ドイツ・オランダ・イタリア・イギリス

登場人物の名前を把握しきれない3時間の映画について

 本作がアレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)の史実に正確かどうかはともかく、オリヴァー・ストーン監督らしい「英雄譚」であることは間違いない。父親のマケドニア王のピリッポス2世が護衛のパウサニアスに暗殺された直後に父親の後を継いで王位に付き、当初はアレクサンダー大王の青写真に魅力を感じて従者たちは彼の命令に従っていたが、積極的に異文化を取り入れるという考えの違いから、ピリッポス2世が暗殺された際に真っ先にアレクサンダーを王に推したクレイトスを酒席で殺してしまい、やがて従者たちはなかなか故郷に帰ることも叶わず世界統一を目指す大王についてアジアを渡り歩くことに我慢できなくなる。だからインドで更に先を進んでヒュダスペス河畔の戦いを挑もうとした時に、従者たちと同様にうんざりしたのは既に彼らの様子を2時間観ている観客自身なのである。
 母親のオリンピアスのコンプレックスを抱え、父親が暗殺されたように自分も周囲から命を狙われるようになり人間不信に陥り、従者たちの希望を無視して無謀を犯す頭のおかしな男が「英雄」と称されることにオリヴァー・ストーン監督は疑問を呈しているのである。「英雄」とは、例えば、本作においてもエジプト王のプトレマイオス1世の「語り」を通してアレキサンダー大王の生涯が描かれているように、「物語」の中にしか存在しないのである。
 西洋人はともかく、日本人にとっては登場人物の名前を把握することだけで手一杯ではあるが、当時の猿や像の認識の仕方は興味深い。


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『スティーブ・ジョブズ』

2016-02-18 00:23:05 | goo映画レビュー

原題:『Steve Jobs』
監督:ダニー・ボイル
脚本:アーロン・ソーキン
撮影:アルヴィン・クーフラー
出演:マイケル・ファスベンダー/ケイト・ウィンスレット/ジェフ・ダニエルズ/セス・ローゲン
2015年/アメリカ

 「メインテーマ曲」が流れない謎について

 スティーブ・ジョブズに関する作品ならば既に『スティーブ・ジョブズ(Jobs)』(ジョシュア・マイケル・スターン監督 2013年)が存在し、何故再びスティーブ・ジョブズを取り上げるのか疑問に思っていたのであるが、本作を観て理由が分かった。本作がスティーブ・ジョブズの人生を描いていることは間違いないのだが、どの場面も1984年、1988年、1998年の華やかであるはずのプレゼンテーションの開始直前のドタバタの「舞台裏」を描写しており、要するにスティーブ・ジョブズの変人振りを確認するというよりも、その「スラップスティック」な悲喜劇として観賞するべきなのであろう。
 『オデッセイ』(リドリー・スコット監督 2015年)でも音楽の使い方が気になったのであるが、本作においては「使われなかった」曲に関して論じておきたい。スティーブが9歳になった娘のリサがウォークマンで聴いている曲を訊ねた時、リサは2人の歌手が解釈を変えて歌っている曲だと答える。一人は少女のように歌い、もう一人は「後悔」を歌っていると答え、何故かスティーブは激怒するのである。
 リサが聴いていた曲はジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)作詞作曲の「青春の光と影(Both Sides, Now)」という曲で、おそらくリサはジュディ・コリンズ(Judy Collins)が歌って大ヒットしたヴァージョンを聴いていたと思うが、もう一人は作者のジョニ・ミッチェルの許可を得て更に詞を書き加えて歌ったピート・シーガー(Pete Seeger)のヴァージョンであろう。以下、ストーリーを勘案しながらそれぞれ和訳してみる。

「Both Sides, Now」 Joni Mitchell 日本語訳

天使の髪が弧を描いて流れている
空にはいくつものアイスクリームのお城があり
羽毛で埋まった渓谷があらゆる場所にある
私はそんな風にして雲を見ている

でも今や雲は太陽を遮るだけで
みんなの上に雨や雪を降らせるから
私がするつもりでいた色々なことは
雲が邪魔をしたのだ

今私は両側から雲を見ている
天上からでも地上からでも
でもどういう訳か
私が思い出す雲はどれも幻想
私は本当に雲に関して何も知らない

月日が流れ6月も何度も過ぎ観覧車が回り
あなたは目眩くような踊りだす感覚を得て
まるで全てのおとぎ話が現実になっていく
私はそんな風に愛を見ている

でも今はそれはただのありきたりのショーで
あなたが立ち去ってもみんなは笑顔のまま
もしもあなたが気になるならば彼らに知られないようにしよう
正体を悟られてはならないのだ

今私は両側から愛を見ている
意見を交換するところから
でもどういう訳か
私が思い出す愛はどれも幻想
私は本当に愛に関して何も知らない

悲哀や恐れと共に
「愛している」と大声で叫ぶことに誇りを感じる
夢や腹案やサーカスに集う人々
私はそんな風に人生を見ている

でも今や古い友人たちはよそよそしく振る舞い
頭を振って私が変わってしまったと言う
日々の生活の中では
失うものもあれば得るものもある

今私は両側から人生を見ている
成功と失敗の両方から
でもどういう訳か
私が思い出す人生はどれも幻想
私は本当に人生に関して何も知らない

今私は両側から人生を見ている
天上からでも地上からでも
でもどういう訳か
私が思い出す人生はどれも幻想
私は本当に人生に関して何も知らない

「Both Sides, Now」 Pete Seeger 日本語訳

天使の髪が弧を描いて流れている
空にはいくつものアイスクリームのお城があり
羽毛で埋まった渓谷があらゆる場所にある
僕はそんな風にして雲を見ている

でも今や雲は太陽を遮るだけで
みんなの上に雨や雹を降らせるから
僕がするつもりでいた色々なことは
雲が邪魔をしたのだ

今僕は両側から雲を見ている
天上からでも地上からでも
でもどういう訳か
僕が思い出す雲はどれも幻想
僕は本当に雲に関して何も知らない

月日が流れ6月も何度も過ぎ観覧車が回り
君は目眩くような踊りだす感覚を得て
まるで全てのおとぎ話が現実になっていく
僕はそんな風に愛を見ている

でも今はそれはただのありきたりのショーで
君が立ち去ってもみんなは笑顔のまま
もしも君が気になるならば彼らに知られないようにしよう
正体を悟られてはならないのだ

今僕は両側から愛を見ている
意見を交換するところから
でもどういう訳か
僕が思い出す愛はどれも幻想
僕は本当に愛に関して何も知らない

悲哀や恐れと共に
「愛している」と大声で叫ぶことに誇りを感じる
夢や腹案やサーカスに集う人々
僕はそんな風に人生を見ている

でも今や古い友人たちはよそよそしく振る舞い
頭を振って僕が変わってしまったと言う
日々の生活の中では
失うものもあれば得るものもある

今僕は両側から人生を見ている
成功と失敗の両方から
でもどういう訳か
僕が思い出す人生はどれも幻想
僕は本当に人生に関して何も知らない

娘よ、娘
君は知らないだろうが
そのように感じるのは君が初めてではない
だから僕が去る前に言わせて欲しい
いずれにしてもそれにこそ価値はあるのだと

いつか僕たちみんなが驚くだろう
僕たちが起きて目覚めると
その時ついに世界中の人々みんなが
このように感じていることに気がつくのだ

僕たちは全員混乱したまま生きている
愛を見いだせないまま周囲を見回す
そして最後に振り向くとようやく太陽を見いだす
そう、僕たち全員が

 自身が養子になった経緯を巡って抱いたトラウマから愛することができなかったリサとようやく理解し合えるようになったスティーブがラストでリサとした約束はiPodの開発だったのであるが、何故かラストにかかる曲はボブ・ディラン(Bob Dylan)の「シェルター・フロム・ザ・ストーム(Shelter from the Storm)」なのである。もちろん悪い選曲ではないが、ここまで伏線をはったはずのピート・シーガー(Pete Seeger)版の「青春の光と影(Both Sides, Now)」が流れないのは何とも解せない。アメリカでは流す必要もないほどのスタンダードナンバーということなのか。

Judy Collins - Both Sides Now (Official Audio)

Joni Mitchell - Both Sides Now (Official Audio)

Joni Mitchell - Both Sides Now (2021 Remaster) [Official Audio]


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『オデッセイ』

2016-02-17 00:38:21 | goo映画レビュー

原題:『The Martian』
監督:リドリー・スコット
脚本:ドリュー・ゴダード
撮影:ダリウス・ウォルスキー
出演:マット・デイモン/ジェシカ・チャステイン/ジェフ・ダニエルズ/クリステン・ウィグ
2015年/アメリカ

「趣味の悪い曲」が流れる真意について

 「火星人(The Martian)」として一人火星に取り残された主人公のマーク・ワトニーは、メリッサ・ルイス船長が残していった70年代にヒットしたディスコ・ミュージックに対して「趣味が悪い」と救出された後も語っていたのだが、それを観ている方もそれで済ましていいとは思えない。
 マークが聴いた曲を挙げるとヴィッキ・スー・ロビンソン(Vicki Sue Robinson)の「Turn the Beat Around」、ヒューズ・コーポレーション(The Hues Corporation)の「Rock the Boat」、 セルマ・ヒューストン(Thelma Houston)の「Don't Leave Me This Way」、アバ(ABBA)の「Waterloo」、オージェイズ(The O'Jays)の「Love Train」などである。デヴィッド・ボウイ(David Bowie)の「Starman」はBGMとして流れていたので別としても、マークが唯一気に入った曲はドナ・サマー(Donna Summer)の「Hot Stuff」だけである。
 ここまで曲名を並べてみると気がつくことがある。「Starman」はマーク自身を表し、「Hot Stuff」はマークの願望を表しており、一方で、「Don't Leave Me This Way」は「こんな風に俺を置いていかないでくれ」という意味で、「Waterloo」はナポレオン・ボナパルトが敗れた「ワーテルローの戦い」を表しており、要するにマークの気分を落ち込ませる曲なのである。あるいは「Love Train」の「Tell all the folks in Russia and China too. (ロシアや中国の人びとにも伝えよう)」として手を取り合って「ラブ・トレイン」を作ろうと呼びかける歌詞内容は中国のロケットを借りるというストーリーにも当てはまる。だから最後にようやくグロリア・ゲイナー(Gloria Gaynor)の名曲「I Will Survive(私は生き残る)」が流れたことも含めて全てストーリーに絡めて選曲されて流れていることに驚かされるのである。


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『初恋のきた道』

2016-02-16 00:37:17 | goo映画レビュー

原題:『我的父親母親』 英題:『The Road Home』
監督:チャン・イーモウ
脚本:パオ・シー
撮影:ホウ・ヨン
出演:チャン・ツィイー/チョン・ハオ/スン・ホンレイ/チャオ・ユエリン
1999年/中国

「赤と黒と白」で綴る物語について

 物語自体は主人公のルオ・ユーシェンの母親のチャオ・ディと父親のルオ・チャンユーとの出会いと、40年後の父親の死を弔う葬儀の模様が淡々と描かれているだけなのであるが、細かい配慮で裏打ちされた演出が素晴らしい。
 18歳のチャオ・ディと教師として村に赴任してきた20歳のルオ・チャンユーとの出会いのシーンはカラーで描かれるのであるが、彼女は新築の校舎の梁に貼る赤い布を織って、赤い服を身に着けながら馬車に乗って町に連れ戻される彼を一人で追って走っていく彼女のシーンと、再び白黒になって亡くなったルオ・チャンユーの棺を彼の多くの教え子たちが黙って担いで村に戻ってくるシーンの対照性が印象的で、年老いたチャオ・ディが校舎から子供たちの声に混じって聞こえてくる教師の声に導かれて学校に来てみると、そこでは村長に頼んで臨時に授業をさせてもらっていた自分の息子がおり、そこで今と過去がシンクロするのである。それはまるでルオ・チャンユーがチャオ・ディにプレゼントした「赤と黒と白」が入り混じった髪留めのようではなかったか


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『ドラゴン・ブレイド』

2016-02-15 00:08:03 | goo映画レビュー

原題:『天将雄師』 英題:『Dragon Blade』
監督:ダニエル・リー
脚本:ダニエル・リー
撮影:トニー・チャン
出演:ジャッキー・チェン/エイドリアン・ブロディ/ジョン・キューザック/リン・ポン
2015年/中国・香港

平和を脅かす「愛」について

 主人公のフォ・アンはシルクロードの西域警備隊の司令官として活動していたが、48BC頃の中国周辺は多くの部族がひしめき合っており、なかなか互いの抗争が終わる気配さえない状態だった。同じ頃、ローマ帝国においては権力抗争が勃発しており、執政官の長男のティベリウスに命を狙われた彼の弟のプブリウスを守るために将軍のルシウスは中国方面に逃走しており、雁門関で彼らはフォ・アンと対峙することになり、結果的に友情を育み一緒に平和のために戦うことになる。
 基本的にフォ・アンの戦闘方法は無駄な殺生はしない方針で、例えば、ティベリウス率いるローマ軍とのクライマックスにおいて、フォ・アンは石を多用したり、鳥の群れの助けを借りたり、ラストのティベリウスとの一騎打ちにおいても、最後はフォ・アンが左腕に付けていた鉄の「プロテクター」でティベリウスの首筋に致命傷を負わせて勝利するのである。ここにはフォ・アンを演じたジャッキー・チェンの平和への想いが込められているように感じた。
 それにしてもティベリウスがプブリウスを殺そうとする動機が、権力闘争というよりもプブリウスを可愛がるルシウスに対する同性愛から来る嫉妬という展開は皮肉なものである。


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石原慎太郎と大川隆法

2016-02-14 00:04:43 | Weblog

 2016年2月13日の毎日新聞朝刊を読んでいて驚いた。3ページ目に石原慎太郎の新刊の

『天才』(幻冬舎)の広告が載っていた。書き下ろしの「迫真のノンフィクション・ノベル」らしい。

「ノンフィクション・ノベル(=つまりノンフィクション・フィクション)」という意味がよく

分からないのではあるが、25万部突破とかなり売れているらしい。ここで気になったことは

「衝撃の霊言」という惹起である。ここまでなら別にどうでもいいのであるが、驚いたのは

次のページをめくった時である。

 幸福の科学グループ創始者・総裁の大川隆法の『台湾新総統 蔡英文の未来戦略』(幸福の

科学出版)という新刊の広告なのであるが、ここでも「公開霊言」という惹起が使われている

のである。元国会議員で古参の芥川賞作家と新興宗教の総裁が他人の名前を利用するという

同じ商法になっているところが興味深いのであるが、読んで分析しようと思うほど興味はないので、

文芸評論家の誰かが「2大巨頭」が選択した「霊言」という手法を分析してくれないだろうか

 ちなみに書店で実物の『天才』をパラパラめくってみたら、200ページくらいの本作は

「ギュ」っとしたら100ページくらいになる分量だった。


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優秀な作詞家の不在について

2016-02-13 00:57:12 | 美術

 東京都現代美術館で催されている「TОKYО 見えない都市を見せる」を観に行った理由は

YMО(イエローマジックオーケストラ)に関する資料が展示されていることを知ったからである。

YMОにはいまだにアンビヴァレントな気分を持ってしまう。1970年に結成されたドイツの

バンドのクラフトワーク(Kraftwerk)から多大な影響を受け、その無機質なポップミュージック

に「身体性」を与えて発展させていった功績は高く評価されるべきであろうが、上の写真や

あるいは「増殖」のアートワークなど見ていると気持ち悪さが拭えないのである。要するに

彼らの「オタク的」な部分に嫌悪感を感じてしまうのである。どうしてそうなってしまうのか

考えてみると、例えば細野晴臣が在籍していた「はっぴいえんど」というバンドに松本隆という

優秀な作詞家がいたように、YMОには致命的ともいえる作詞家の不在が分かりやすいコンセプト

を作れず、「身体性」を感じるのに、そこには「実存」も「政治性」も「愛」も感じられない

「ゾンビ感」が不気味なのである。それが「TОKYО」だと言われればそれまでなのだが。


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「あん、あん、あ~ん」について

2016-02-12 00:30:37 | 邦楽

 2016年2月5日にBS-TBSで放送された「金曜劇場 お宝映像大発見70年代アイドル

歌謡大全集」という番組を見ていて、川崎麻世の「天使の顔につばを吐け」という曲を聴いていて

サビの部分で「あん、あん、あ~ん」という歌詞があり、どこかで聞いたようなフレーズだと思って

いたら、西城秀樹の「炎」という曲にも同じようなフレーズがあることに気がついた。「天使の

顔につばを吐け」は1978年10月21日のリリースで阿木燿子の作詞によるものだが、「炎」は

1978年5月25日にリリースされ、阿久悠の作詞である。だから阿木燿子が阿久悠から

引用したのかと思ったのであるが、実は阿木燿子は「天使の顔につばを吐け」の前に山口百恵の

「イミテイション・ゴールド」の作詞をしており、1977年7月1日にリリースされたこの曲にも

同じような「あん、あん、あ~ん」という歌詞があるのである。だから何なのだと言われると

これ以上何もないのであるが、このどうでもいい質問を誰でもいいから阿木燿子に訊いて欲しい。

西城秀樹さん『炎』の歌詞
ホノオ
words by アクユウ
music by マカイノコウジ
Performed by サイジョウヒデキ

山口百恵さん『イミテイション・ゴールド』の歌詞
イミテイションゴールド
words by アキヨウコ
music by ウザキリュウドウ
Performed by ヤマグチモモエ


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イラストにも文句をつけられる風潮

2016-02-11 00:06:57 | Weblog

新国立競技場問題・森喜朗氏「国が作るもの」「私は大変迷惑している」自身の責任否定

 毎日新聞「日曜くらぶ」の「松尾貴史のちょっと違和感」を毎週楽しみに読んでいるのだが、

2016年2月7日のコラムにはちょっと違和感を持った。それは本文ではなくてイラストの

下に書かれていた、東京本社日曜くらぶ編集長の山本隆行による「1月17日の当コラムで本文

とは直接関係のないイラストが、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長

および関係者に不快な思いをさせました。おわびいたします。」という謝罪文である。

 それでは1月17日にどのようなことが書かれていたのか調べてみると「肩書を尊ぶ風潮」

と題されたコラムで、「世の中には自称モデルや、自称コンサルタント、自称俳優、自称青年

実業家、自称イラストレーター、自称占師、自称映画監督などがウヨウヨいる。」として

自戒も込めて書かれていた。能力のない人物が責任を取ることもせずに会長の肩書を

手放さずにいるのだから「本文とは直接関係のないイラスト」ではないとは思うし、

それはもちろん「直接関係」ないだけであって間接には関係しているというニュアンスは

あるのだろうが、その皮肉がこの頭の悪い男に理解できるのだろうか


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『実録阿部定』

2016-02-10 00:06:44 | goo映画レビュー

原題:『実録阿部定』
監督:田中登
脚本:いどあきお
撮影:森勝
出演:宮下順子/江角英明/坂本長利/橘田良江/花柳幻舟
1975年/日本

「尖端」の取り扱いについて

 作品前半は主人公の阿部定と石田吉蔵が旅館の一室に籠って少々危険な情事に明け暮れる日々が描かれ、定が吉蔵の首を絞めて殺し、斬り落とした局部を持ったまま行方をくらましてから、定の過去が描かれることになる。
 定の実家は畳職人の裕福な家族だった。彼女が5歳の時には目の前で父親が畳縁を大きな針で突き刺す様子を目撃しており、男に処女を奪われた15歳の頃から生活が荒れ始め、18歳の時には父親から錐で着物のあちらこちらを刺されて動けなくさせられ、ここから「尖端」に対するトラウマが生まれたのかもしれない。
 家出をして様々な職業を経験し、様々な名前を騙りながら、時には「ナイフ」を持った男たちに追いかけられ、31歳で石田吉蔵が経営する料理屋に女中として働きだしてから、2人は親密になったのである。
 「尖端」恐怖症である定はそれでも「尖端」という食い扶持無しでは生きていけない。だから一番好きな男の「尖端」を個人で所有することでようやく自分のアイデンティティーを確立することが出来たのである。『好色家族 狐と狸』(1972年)の登場人物たちの不確かなアイデンティティーの物語から、『人妻集団暴行致死事件』(1978年)の「屍姦」の物語に至るまでのブリッジを司っている作品だと思う。


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