寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市鞆町・平漁港へ向かう

2012年01月24日 | 
淀姫神社鳥居を潜り更に南西に進む。衣料品店の赤い軒出しテントを見て幼い頃の記憶が段々蘇ってきた。沖浦という姓は平(ひら)地区に多いことを思い出す。

福山市鞆町後地の平簡易郵便局付近

造船所、簡易郵便局辺りの風景は昔とほとんど変わっていない。はるか向こうに見える二つ目信号機の先が平漁港である。私は足をよく揉んでから再び歩き出した。

福山市鞆町後地の藤本酒店を望む

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酸味を抑えた紅白なます

2012年01月24日 | 食材
私はなます(膾)の類が好きである、但しあまり酸っぱくないのに限る。おでんの大根を面取りした時に出る部分を捨てずになますに加工する。大根だけだと視覚的に寂しいので人参を合わせる。

繊切りの大根と人参に軽く塩をあて水気が出たところで絞る。甘酢は米酢・みりん・水を各1の割合で合わせたもので沸騰手前で火を止め冷ましておく。脱水して塩味をつけた大根と人参を甘酢と和えて完成である。

酸味を抑えたなますは汁まで飲み干すことができる。酢の物が苦手な人でもこれなら大丈夫だろう。煎り胡麻や細かく砕いたナッツを足すと更に美味しくなり栄養価が上がる。

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福山市鞆町後地の淀姫神社(その3)

2012年01月23日 | 
淀姫神社参拝を終え側方に回り瀬戸内海を望む。眩しい位に海が青く輝き美しい。対岸の道越町からてくてく歩いて来た甲斐があった。

淀姫神社から大可島(道越町)を望む

かつて漁師町だった平地区のダンゴ祭り(毎年8月第1週の土日に開催)が激しいことで有名なのは個人のブログを通して知っていたが、実際に見たことはない。夏の真っ盛りにまたこの地を訪れたいと思う。

淀姫神社と平の祭り
 この社には、明治四年に新調されたといわれる父祖四代に亘る古神輿が本殿脇の神輿庫に永らく収まっていた。
 併し、うち二体は昭和四十四年八月七日(その年の祭礼日)に福山城の宝物館に奉納され、あとの一体は同じ年に新調した唐破風作りの神輿と共に百年以上の齢を誇るかのように鎮まっている。
 そのような事績を持つ神輿は、明治の初期より五十年を経過した大正の頃、平町の祭礼が最とも旺んであったと云われるころに活躍したものである。それは平漁業が打瀬網の興隆期で、一二〇隻の漁船と四〇〇人あまりの乗り子を擁していたので、年に一度の祭礼も漁業者中心の神輿祭りとなり、沖の潮風で鍛えた赤銅色の肌を持つ若者たちは半裸の姿となり、ねぢ鉢巻も、威勢のよい掛け声と共に舁ぎ廻わる神輿の三体廻わし‥‥それは、平独特の祭り風景でもあった。
 新調より五十年を経過した神輿は、威勢の良い若者たちが勢い余って他の組の神輿に接触し、よく地面に投げ出した。元が頑丈な作りであった為か?本体はゆるがない。破損の修理も祭礼の直前に大工によって完全に手直していたので、若連中が毎年惜し気もなく投げ出していた。だから「平の投げ神輿」とまで他町から言われたものである。
 この祭礼は旧暦七月六日、七日の七夕(タナバタ)祭りと同じ日に二日に亘って行われたので、全たく夏の暑い最中であった。この日、五五〇戸(現在では六五〇戸)の平町全戸では、平独特のだんごを作り町外の縁類にも配った。また七日の午前中には井戸がえ(井戸の掃除)を実施し、そのあと心おきなく、お仮屋に止めた神輿を前日同様に舁ぎ廻わりながら元の神社に還幸するのであった。

(註) 大正年代の一二〇隻の打瀬船は、昭和後期の今日ではその二〇%にも達しない。内海の魚類の減少により大部分が鉄工業に転向を余儀なくされたからである。従って神輿を昔のように喜こんで奉舁する若者は次第に減少している。これも時代の流れと言えよう。

『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年)』

淀姫神社から平の防波堤を望む

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干しキビナゴで作ったごまめ(五万米)

2012年01月23日 | 食材
ごまめ(五万米)は田作りとも言い正月三が日の酒肴として知られる。普通はイリコを使用するが干しキビナゴでも美味しいものができる。

キビナゴを平皿に並べラップをかけずにレンジで加熱するのが簡単だ。この炒り工程で香ばしい風味がつく。酒・みりん・醤油・砂糖を合わせて蜜を作り、炒ったキビナゴに絡める。

砂糖の量を減らして味醂を増やすとキビナゴが引っ付きにくい。顎を使うアテが少しあるだけで酒が進む。日持ちするのでまとめて作っておくとよいだろう。

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福山市鞆町後地の淀姫神社(その2)

2012年01月22日 | 
福山市鞆町の沼名前神社(祇園社)があまりにも有名なため、淀姫神社は陰に隠れた感じだ。しかし、日本神話を読み解く上でこの神社の由緒は重要である。

淀姫神社の鳥居の先には大きな注連柱があり、裏面に大正三年七月の銘が入っている。私は比較的新しいことを疑問に思いながら更に石段を上って行った。

淀姫神社と平の祭り
 平の明神山に造営されている淀姫神社の祭神は、鞆にゆかりの深い神功皇后の妹君に当る淀姫(別名は虚空津媛命こくつひめのみこと)といわれる。
 そもそも、この社の起源は別章で記述した神功皇后の事績……関の浜の渡守神社に高鞆を奉賽され、その祭主として淀姫を当分の間この地に止め置かれたことから発したものである。すなわち淀姫は、後世に大明神という地名の生まれた場所に住居され、毎日従者二人(一説には今日江之浦に住む平之内、武内両家の先祖)を従えて、関町の渡札の辻に祀る神社に通われた ……と、平村代々の口碑(口づたえ)として伝えられている。
 この平町の古い歴史をたずねると、源平時代、屋島の戦に敗れた平家の一門が、その水軍の根拠地であった千年村の能登原、敷名沖で、源氏の水軍を撃破して劣勢を一挙に挽回させようとしたのであったが、そこでも亦源氏方に夜襲をかけられ、陸に多くの傷兵を残したまま西国に落ちのびていった。その残留兵が能登原坂を越えて無人の土地を開拓し、平村を興こしたと伝えられている。その説に真をおくとすれば、平村のおこりはせいぜい七八〇年の古さに過ぎない。
 また一説には、三六〇年ほどの昔に、芸備の太守福島正則が家老の大崎玄蕃に命じて古城趾に鞆城を構築しようとしたとき、その周囲に住居する者を、武家屋敷を設ける理由から、多くの人々に立ち退きを命じた。それら人々の転居先が平村地域であったともいわれている。
 従ってこれらの二つの流れを先祖とする平の住人たちは、何時の頃から創めたものか?。その昔、淀姫が平の地に住居されたという故事を縁起して、のちに明神山と名付けられた小山(現在地)に淀姫大明神を祀った模様である。
 明治の末期まで小さな祠に過ぎなかったという淀姫大明神は、平全体の合力により、大正二年に神社の風格を備える社として造営され今日に至っている。

(註) 淀姫大明神を祀って以来、明神山と名付けられたという海抜二〇米余りの小山は、もと陸地を離れた浅瀬づたいの小島であったと古老は伝えている。底辺の周囲は約一五〇米余りで、三方は尚海に囲まれているが陸続きとなった年代は、大可島の浅瀬を埋立て、道越町が出来上った時代(一六一五年頃)より少しおくれたころと思われる。それは大可島の瀬と平の瀬の潮流が同じ方向であったから、道越の埋立が完成後には平の小島の瀬の潮は止まり、浅瀬が何時の間にか浮き上ったのであろう。すれば淀姫を祀った明神山の生れは推定一六五〇~一七〇〇年頃であろうか?。

『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年)』

淀姫神社の石段

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土佐の干しキビナゴ

2012年01月22日 | 食材
キビナゴというとキラキラ光る生物を連想する人がほとんどだろうが、高知県では干物に加工して販売している。干しキビナゴはイリコよりもしわい(≒噛み応えがある)ので私は好きだ。干しキビナゴを炒ると香ばしい香りが出てこれだけでも酒のアテになる。

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福山市鞆町後地の淀姫神社(その1)

2012年01月21日 | 
時差式の二つ目信号機を過ぎると道は右(南西の方向)にカーブを描く。細い道の左手に淀姫神社の鳥居が見えた。思えば私は明神山に鎮座する神社へ参ったことはなかった。

鞆の浦観光地図(鞆の浦振興事業団作成)より平地区を拡大

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栄養価満点・塩サケの粕汁

2012年01月21日 | 家飯
酒粕を使った料理で最も人気があるのが粕汁であろう。今回はサケかまの塩焼きと根菜類を入れて具沢山の汁にした。酒粕に白味噌を加えて味に丸みを出すのがポイント。

魚のアラを使うことで旨味の相乗効果が生まれ満足感もアップ。寒い日に粕汁を吸うと本当に生き返ったように感じる。発酵食品の力は偉大だ。

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福山市鞆町・平地区(後編)

2012年01月20日 | 
少年時代鞆へ農作業のてごをしに行く(≒手伝いに行く)のが楽しみだった。福山城下町にはない二つ目信号が見られたし、言葉や文化が全然違っているのが面白かったのである。

下町育ちの私は平(ひら)の男の会話を聞いて「なんであの人らは喧嘩しよーん?」と大人に尋ねたものだった。「喧嘩はしょーらん。普通にしゃべっとんじゃ」との地元のおっさんの説明に周囲はニヤニヤするばかり、決して怒られることはなかった。

言葉は確かに荒いが、根は優しい(実はシャイな)住民が多かったと記憶する。戦前から戦後の数年間は漁業で栄えた土地柄のため(鉄鋼団地で働く)元漁師は魚の味にはとりわけうるさく幼い私に多大な影響を及ぼした。私が料理に目覚めた原点は鞆だと言ってもよいかもしれない。

昭和二年の廣島県沼隈郡鞆町の地図(あき書房による復刻)より平地区周辺を拡大

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酒飲み用の甘酒にニンマリ

2012年01月20日 | 食材
江戸時代、特に夏場に庶民が栄養補給に飲んだ甘酒は米麹から作られる。アルコール分がないため子どもでも大丈夫である。

私のような酒飲みはアルコール分の残った酒粕でわざわざ甘酒を拵える。粕を水でのばして加熱し砂糖と少量の塩を追加。ほんのり甘さをつける位でよい。

固形物の多い甘酒を飲み干すと体が芯から温まり清酒以上に満足感が得られる。寒の時期は十分玉子酒の代わりになる。仕上げに生姜の絞り汁を加えると飲み口がすっきりすることを付け加えておく。

ハクツル特撰酒粕を使ったレシピ集(充填袋の裏面に印刷されていた)

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福山市鞆町・平地区(中編)

2012年01月19日 | 
旅に出た時に徹底的に歩くのは町の歴史を示す石碑などが間近で見られるからだ。車に乗せられてよく通ったこの道筋でさえ見落としていたものがあった。

平地区の「南無妙法蓮華経法界」と刻まれた題目塔の前で私は立ち止まった。日蓮上人の筆跡をまねた髭(ひげ)文字、巨大な碑と台石の間に挟まれた丸石が実にシブい。天保年間に設置された題目塔は住民の信仰心の篤さを現代に伝えている。

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福山市鞆町・平地区(前編)

2012年01月18日 | 
淀姫神社バス停横に建つ「鞆の津ふれあいサロン」。旧平(ひら)保育所である。昔は児童がたくさん通っていた。

平という名称がこの辺りに残っているのは、沼隈郡時代、平と呼ばれ1丁目から3丁目まであったためである(現在の住所表記は鞆町後地)。平地区が平家と関係があるのかどうかは知らぬが、近場では沼隈町の中山南(なかさんな)が落人集落としては有名だ。

〔平〕
元平村にして平一丁目より三丁目に至る、一筋町を爲し、漁家多く町はづれには農家多し。

『備後名所鞆津と阿伏兎 / 葦陽資料叢書第三集(大正十三年)』

平町
 昔の平村分の大半であって,合併後,平組と呼ばれたが,大正二年(1913)一ケ年程大正町と呼ばれ,以後平町という。昔は江の浦の南方中山の麓にわずかばかりの民家あり,それより少し高く平らかなる地であるので平の浦といったのが,平とのみ称えて此のあたりの名になったと古書にある。平家の子孫住んだ故との伝説もあると沼隈郡誌にあり。これはいぶかし。

『鞆の地名あれこれ』

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ハクツル特撰酒粕(白鶴酒造株式会社)

2012年01月18日 | 食材
我が家では寒の時期に一度は酒粕を仕入れる。珍しく今年はまだ購入していなかったが、意外な場所で白鶴酒造の特撰酒粕を貰うことになった。これが私の遊び心に火をつけた。袋の裏面を見て「酒飲みのための酒粕料理を拵えてみよう」と思ったのである。

ハクツル特撰酒粕

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鞆の浦の焚場跡を眺める

2012年01月17日 | 
広島県道47号鞆松永線を南に進んでいくと二股道になる。私は平(ひら)と書かれた矢印の方向に直進した。

淀姫神社バス停

まもなく淀姫神社バス停に着いた。急に懐かしさがこみ上げて来た。幼い頃何度この道を通ったことだろう。

福山市鞆町後地の日之出神明宮

バス停の西側に日之出神明宮が鎮座。東側に美しい青い海が広がっている。私は防波堤のそばから焚場(たでば)跡を見つめた。焚場とは船底に付着したフジツボなどを焼いて修理した場所のことである。

淀姫神社バス停のそばから焚場跡を望む

鞆の浦観光地図より江の浦町及び平の一部を拡大(鞆の浦振興事業団作成)

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魚のカマには肉がたっぷり

2012年01月17日 | 食材
カマは魚のエラの下、胸ビレ付近の部位を言う。広義ではアラに含まれるが、スーパーなどでは単体で売っていることが多い。カマという名称はおそらく草などを刈り取る道具・鎌に似ていることからついたのであろう。

カマには肉がたっぷりついており脂肪も多いので塩焼きの人気が高い。この時期であれば寒ブリのカマは最高峰と言える。夏場ではスズキのそれがよい。焼き物の他には酒蒸しなどがおすすめだ。

かまの塩焼き

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