青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

青いリボンのスカーレット。

2023年01月09日 10時00分00秒 | 名古屋鉄道

(いざ討ち入り@名鉄・吉良吉田駅)

という訳で蒲郡線の終点・吉良吉田駅。折しも年末、年末と言えば赤穂浪士の討ち入りこと忠臣蔵。浅野内匠頭に恨みを買った吉良上野介が松の廊下で刃傷沙汰に遭うという例のアレ。この「吉良」こそ吉良上野介の吉良でして、出自は三河国幡豆郡吉良荘を中心に領地を持った江戸時代の高家。すっかり忠臣蔵の敵役として有名になった彼ですが、地元では低湿地帯に苦しむ農民のために治水や灌漑事業に精を出した名君として慕われており、決して悪人であったわけではないらしい。そういや、昔は年末年始でテレ東が12時間くらい忠臣蔵やってた記憶があるんだけど、最近のテレ東はすっかり「孤独のグルメ」を1シーズン垂れ流しで放送して時間潰しするようになってしまいましたよね。まあ孤独のグルメ大好きだからいいんだけど。今回も年末SP含めてガッツリ見てしまったので・・・(笑)。

吉良吉田駅蒲郡線ホーム。折り返しの蒲郡行きが停車中。蒲郡線は手前の蒲郡側から見て西向きの突っ込んだ場所にある相対式のホームに入線するのですが、以前はこのホームの先に名鉄三河線が碧南方面に向かって伸びていました。碧南~吉良吉田間は長年利用者の少ないローカル区間として数々の合理化が為され、末期は電車運転をやめてディーゼルカーによる単行運転に切り替えられていた曰くつきの閑散線区。沿線自治体の補助金を頼りに運行は続けられていましたが、2004~2005年にかけての名鉄が振るった大ナタ(揖斐・谷汲・岐阜市内線・八百津線・竹鼻線・三河線南北末端区間の廃止)によって、バッサリと廃止されてしまいました。

旧・三河線方面の末端部分。暫く先まで線路は伸びていますが、踏切一つを越えた先でぷっつりと線路は途切れています。右側に停車しているバスは、その三河線廃線区間を結ぶ碧南・西尾市運営の「ふれんどバス」。名鉄バスに運行を依頼する形で、一色・平津・平坂とかつての三河線沿線を結びながら碧南に向かっています。少なくとも日中でも毎時一本は確保されていて、そこそこの本数はあるようです。

陽だまりの吉良吉田駅ホームに憩う名鉄6000系。燃える深紅のスカーレットが冬の低い日差しに映える。名鉄の顔って言うとまずはパノラマカー7000系なんでしょうが、こと一般車となると団塊ジュニアに一番ブッ刺さるのがこの6000系辺りの顔ではないでしょうか。自分より上の世代だと5200系か5500系あたりだろうし、下の世代だと3500系とかがスイートスポットなのかなあ。ともかくパノラミックウインドウに両端尾灯に謎の通風孔?が付いたこの顔が、自分的な名鉄のスタンダードなのだ。

名鉄初の3ドア車、そして通勤車両としては珍しく、鉄道友の会からブルーリボン賞を受賞している6000系。名鉄のブルーリボン賞受賞車としては国鉄乗り入れ用気動車キハ8000形(北アルプス)以来のもので、後に受賞したのもパノラマDXこと8800系のみ。いかに名鉄においてこの車両が画期的な新型通勤車両であったか、という事なのかもしれません。本線筋では4連・6連もまだまだ活躍を見せていますが、他の大手私鉄も東急の8500系とか、団塊ジュニアに刺さる車両はそろそろ50年選手。どこも徐々に廃車になってたり、ゆくゆくは引退・転用の気配も強まっており、この手の車両は抑えに行くなら早目にね・・・という感じですね。

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名鉄顔の、団塊ジュニア。

2023年01月07日 10時00分00秒 | 名古屋鉄道

(海街電車@名鉄蒲郡線車内)

蒲郡を出た電車は、蒲郡競艇場前駅を出ると東海道線から離れ、三ヶ根山の南側を三河湾に沿って走っていきます。昔は蒲郡競艇への客も蒲郡線の収益を支えてたんですが、東海道線に競艇場前駅と並ぶ形で三河塩津駅が出来てしまって、そこらへんのニーズも吸収されてしまっているそうな。ちなみに「がまごおりきょうていじょうまえ」って読み仮名の長い駅名だよねえ。今は地鉄の富山市内線に「トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)」というアホみたいに長い駅名があって、この程度の長さでは霞んでしまうのだが。子供のころの記憶だと、日本で一番長い駅名は「西線9条旭山公園通(札幌市交通局)」だったなあ。

電車は三河鹿島、形原、西浦と三河湾沿いの漁港町に止まっては、地元客が降りたり乗ったりしてくる。西浦で蒲郡行き電車と交換。沿線の形原温泉や西浦温泉は、以前は三河湾沿いの温泉地としてホテルが立ち並び、それなりの宿泊客を集めた観光地ではありましたが、そこらへんの「昭和な」温泉地の斜陽化も、なんとなく蒲郡線の衰退に拍車をかけているようです。西浦から先、車窓には海が見え、こどもの国に向かって小さなサミットを越えて行きます。山にはミカンの木が植わっていて、この時期オレンジの鮮やかな果実を付けていました。

電車は旧幡豆郡に入って東幡豆・西幡豆とそれぞれかつての中心街の駅に停車。ここらへんでもそれなりの地元客の乗り降り。割と高齢者中心ですが。名鉄蒲郡線の存廃問題は、前述の西浦・形原温泉などの観光衰退、旧幡豆郡の合併消滅による域内流動の減少、工業化しなかった三河湾沿岸の町の農業漁業の斜陽化など複合的な理由がありそうなのだが、岡崎や刈谷など東海道線沿いの内陸へ人口が遷移する中、対名古屋への流動に合わない線形も仇か。この「沿線にはそこそこ人口があってもニーズに合わない感じ」は、長野市内へのアクセスが悪い長電の屋代線に近い印象を受けた。ただ、普通にすれ違う電車にも1列車に30人くらいは乗車してたんで、そこまで存廃問題になるのかな?という雰囲気はあるんだよね。末期の屋代線に比べればウンと乗客多いよ。もっとガラガラなのかと思っていたのでね。

三河鳥羽駅で行先板付きの「にしがま号」と交換。かつての特急車を彷彿とさせる白帯にプレミアム感が。サボの「三河湾」ってのは、かつてパノラマカーで運転されていた蒲郡行きの有料特急「三河湾号」をリバイバルしたもの。逆に名鉄名古屋行きは「名古屋号」という名前で運転されていたそうです。当時の蒲郡線は、一応名古屋から特急が直通するくらいの観光需要があって、春の潮干狩りや夏の海水浴、こどもの国や温泉地も賑わいがあったという事なのでしょう・・・

6000系のハンドルを握る初老の運転士氏。結構ブレーキ音の大きい車両で、右手が左右に動くたびにシュー、プシューとエアー音が盛大に漏れる。マスコンとブレーキハンドル、両手で操るのもいかにも昭和世代の電車という感じがする。計器類にデジタルなものが皆無というのも今となってはポイント高い。6000系は1976年~83年にかけて増備された車両で、ちょうど我々のような団塊ジュニア世代。自分的にも「名鉄顔」って言われるとこの6000系の顔を思い出してしまうので、色々と「刺さる」ポイントの多い車両でもあります。

針を見て  細かく動く 右腕に
誰が継ぐのか 職人の技。

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都忘れの赤き防人。

2023年01月05日 17時00分00秒 | 名古屋鉄道

(久し振りだよトト丸くん@蒲郡駅)

豊橋から特別快速に乗車し、一つ目の蒲郡で下車。蒲郡自体には、かつて競艇客だった時代にしょっちゅう来ていたものだが、電車で来るのは初めてだなあ。高架のホームから駅下の改札口に降りると、「BOAT RACE」と名前を変えた蒲郡競艇の広告看板がお出迎えしてくれた。マスコットキャラクターはトト丸くんだっけ。今ではボートのナイター開催も珍しくありませんが、蒲郡は桐生に続いて二番目にナイター始めたんで導入が早かったよね。思い出に残るのは熊谷直樹が気合の減量とイン突っ張りで逃げ切った2000年の第27回笹川賞とか、2号艇の今垣光太郎が超抜機で1枠の濱野谷からイン強奪で逃げ切った2002年の第48回MB記念とかなんですけど、話が聞きたかったらまた別の機会に話します(笑)。

ここから乗り換えるのは、名鉄蒲郡線。名鉄乗るなら豊橋からでも乗れましたが、すんなり名古屋本線に乗っても面白くないので、未乗の路線からアプローチしてみたいと思います。蒲郡駅で見上げる名鉄の路線図。かつての路線網からだいぶスリム化されたとはいえ、それでも名鉄は東海地区の私鉄の王者。三河・尾張・美濃そして知多半島に巡る20の路線。今のところどこへ行くか分からんし、途中精算が続くと運賃が嵩んでしまいそうなので、ひとまず3,200円で「まる乗り1DAYフリーきっぷ」を購入。さすが名鉄、フリーきっぷの価格もなかなかだが、まあ名鉄の運賃って高いので(笑)、元を取ろうと思えば案外簡単だ。少なくとも蒲郡から名鉄名古屋までで1,290円だから、往復してチョイチョイと途中下車すればすぐそのくらいの金額には行ってしまうだろう。

昭和の時代は名鉄名古屋から特急パノラマカーなども走っていたという蒲郡線ですが、今は蒲郡~吉良吉田間を結ぶ地域のローカル輸送にその役割が置かれていて、日中は30分ヘッドで2両の電車が往ったり来たりするのみ。駅に貼られた所要時間表には、「名古屋に行くならJR乗ったほうが・・・」的な、対名古屋を諦めたような表記もあって涙を禁じ得ない。真矢みきでも呼んで来ようかな。JR東海40分990円、名鉄100分1,290円。どっちを選ぶか。何となく、魚津あたりから対富山を眺めた地鉄vsあい鉄みたいなロケーションに近いものがあるな・・・

高架の蒲郡駅のホームに佇む名鉄6000系。現在の蒲郡線の主力車両。2連のワンマン対応車にて料金箱の設置などもある。蒲郡線は途中駅にICカードリーダーの設置もなく、途中の無人駅から乗る場合は自動券売機できっぷを買うか、乗車証明書を取って下車駅で精算するかのどっちか。そのため、蒲郡駅で到着列車のかなりの客が乗車証明書でラッチ精算してた。時間掛かっちゃってJRの乗り継ぎとか逃してるお客もいたので、そういうトコやぞ!って思ったんだけど、存廃問題も取り沙汰される名鉄の末端ローカル路線にICカードリーダーを入れて、どんくらいの費用対効果があるか・・・ということなんでしょうね。

ちなみにこの6000系ワンマン、蒲郡線と広見線でしか使われていない名鉄のローカル線区専用車のようです。上の路線図で見れば分かりますけど、両路線とも名鉄の中でも末端の末端にあって、うーん、まあようはそんなに利用者がいない閑散線区用の車両なんでしょうね。遠く名古屋を離れ、防人の如く東三河の末端ローカル需要を担います。

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冬三河・行き当たりばっ旅。

2023年01月03日 12時00分00秒 | 名古屋鉄道

(居酒屋新幹線@東海道新幹線・熱海駅)

この秋(昨年の秋)は、「関東甲信越小さな旅モード」というべき小商いに留まっていた私の趣味活動。移動距離の小さい旅ばかりしていたので、少し年末に遠出してみようかなって事で新しい愛機こと「OLYMPUSPEN E-7」を持って日帰り旅に出てみました。というか、いきなり年休取ったから全くのノープランで、事前の計画が全くなかったのだけども、自分の胸に手を当てて何がしたいか考えてみたら「とりあえず新幹線乗って朝から酒飲みてえなあ」という我ながらどうしようもない欲求だった(笑)。そんなこんなで熱海駅。熱海から新幹線に乗るのは流石に人生で初めてなのだが、どうしてこうなった。

新幹線に乗るのに、ひとまず小田原に出て西行きの切符を手に入れるのだが、問題はどこへ行くか。静岡じゃ近過ぎて、でも名古屋じゃ片道でも1万弱。貧乏人なのでね、距離感と新幹線特急料金の「ちょうどええトコ」を時刻表引き引き考えてたら、小田原から熱海まで東海道線に乗って、熱海から豊橋までを新幹線にすると6,000円チョイくらいに収まる事が分かった。よし、んじゃそれ行ってみよ。という事でわざわざ熱海から新幹線に乗る事に。東海道新幹線の中でおそらく唯一通過線のない駅ですよね熱海って。西の方に行くと新神戸とかもそうだったと思うけど、どちらも平地がなく山が駅の際まで迫っているというスペースの都合でしょうね。

ガラガラの下りのこだま。自由席の三列シートを余裕で全占領し、通路側からコート、荷物、自分の順に並んだところでレモンサワーをプシュリ。あとはひたすらボーっとしながら高速で流れて行く景色にぼんやり目を合わせて微睡みの時間を過ごす。とはいえそこは各駅停車のこだま号、各駅に停車しては地上時代の小田急の東北沢もかくや、というような停車時間をたっぷり取って、とにかくのぞみに抜かれまくる。駅間の時間より駅での退避時間の方が長いんじゃねーか・・・と錯覚するくらい。冬の真っ青な浜名湖が眼下に過ぎて行く。

熱海から約1時間半で豊橋到着。ゆっくりレモンサワー2缶の飲酒で本懐を遂げる。これでこの日の目的を果たしてしまったので、いきなりやる事がなくなる(笑)。1時間半ってーと、のぞみの早いのだと東京から名古屋着いちゃうからなあ。静岡県を抜けるだけなのに、随分と悠長なのがこだまの旅である。別に急ぐ旅でもないのでいいんだけど、そんだけ静岡が横に長いという事か。

豊橋駅。春にJR東海の「休日乗り放題切符」で訪れたので今年二回目か。言わずと知れた東三河の中心都市、そして東京から一番近い路面電車のある街(で、いいんだよね?)。三河田原方面に伸びる豊鉄なんかも、車両は東急の7200系だけど温暖で花の見どころの多い路線で魅力的。んー、どうするか。路面電車は春に乗った、豊鉄でもいいんだけど、さすがに今は花の時期ではなく・・・帰省の手土産か、藤田屋の「大あんまき」の売店に並ぶ人並みを眺めながら、豊橋駅の構内をウロウロ。飯田線に乗って豊川行って、稲荷寿司食べて豊川稲荷にお参りでもしてこようかな。なんて思っているうちに、新城行きの飯田線は発車して行ってしまった。優柔不断。

ひとまず東海道線ホームに移り、全部が313系といういかにも東海地区な光景を眺める。313系は、スピード・快適性・車内設備・バリエーションと四拍子揃っていて、JR東海の作った最高傑作だと個人的には思っているのだけど、既に後継の315系という車両がスタンバっていて、まっことJR東海は新幹線の収益を設備更新に叩き込むという好循環サイクルが形成されていて羨ましいなあと思うばかり。いつまでもグズグズしていても仕方ないので、手前の特別快速大垣行きに飛び乗ったのでありました。

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常識に当てはまらない駅

2017年08月21日 07時00分00秒 | 名古屋鉄道

(接写出来ないので構外から@西枇杷島駅駅名票)

西枇杷島駅の駅名標。これと非常用ボタンのついた柱の2つが西枇杷島駅ホーム上の構造物となります。駅名票をホームから撮ろうとすると近過ぎて上手く撮れないので構外から。ホームの基礎部分が結構年代物っぽい石積みになっていますが、元々もう少し庄内川寄りにあった枇杷島橋駅を廃止したうえで昭和24年に開業したそうで、当時は駅でなく信号場だったそうな。おそらく保安装置以外の設備自体は開業当時のそのままのモノが多いのではないだろうか。ホーム自体も傘上げがされておらず今の電車のサイズと比べると妙に低いし。


ホームに通された我々の前をパノラマスーパーが通過。日傘のおばさまは狭いホームで接近する列車にも涼しい顔。そもそも庄内川に向けて急カーブになっている&デルタ線は犬山線との平面交差のため、制限速度は通過電車でも相当低く抑えられていてそこまでの恐怖感はありません。それでも子連れの我々としてはしっかり子供の手を引いて安全面には配慮すべき状況に変わりはありませんけどね。


乗る電車が来てしまえば乗ってこの駅を去るしかありませんので、実際この駅に電車が来たらどんな感じになるのだろうと言う事で帰りに電車が止まった状況で見てみましたが、ご覧の通り4両編成の普通列車がホームいっぱいいっぱいギリギリに止まる感じなのでここの駅は停目に寸分違わぬ位置にピタッと止めないとドア扱い出来ないだろうねえ。オーバーランと停止位置修正が日常茶飯事の京急の運転士はここに来て修業した方が(笑)。


通過する準急の吉良吉田行きの向こうに上り線を平面交差して犬山線に向かう列車が見えます。進路を支障する平面交差なので通過速度は非常にゆっくり。ホームの端っこに出発信号機が立てられていますが、この辺り地雷原のようにATSの地上子が付けられていて非常に細かい保安体制の中で運行の安全が確保されているようです。本来スピードアップと安全面の向上のためには立体交差するなりして平面交差は避けたいところですが、川と県道とJRの線路に挟まれ、急カーブの多い線形と相まって改良するには立地条件が悪過ぎるそうで。


乗客は少なくとも、かように運転上は重要な位置を占める西枇杷島の駅。出札掛不在の無人駅ですが、駅ホームの保安と非常時の信号取扱などのために駅員が常駐しています。切符の買い間違いとかはインターホンで神宮前の駅員が応対するらしい。遠くねえか?と思うんだけども、これが平成初期に岐阜市内線を始めとする600V区間、八百津線や三河線の閑散区間をバッタバッタと廃止した名鉄の合理化政策の一環なのであります。


っちゅー事でつらつらと書き連ねているうちに電車が来ました。名鉄って列車の起終点がテキトーと言うかどこから来てどう通ってどこへ行くのかがイマイチ分かりづらいよね。この列車も弥富から尾西線で津島、津島から津島線で須ヶ口、本線に入り名古屋を通って新安城から西尾線に入り吉良吉田まで行くのだそうだ。しかも名古屋からは急行になるんだって。弥富発津島・名古屋・新安城・西尾経由吉良吉田行き(なお名古屋から急行)って事ですが、初見殺しの分かりづらさだよねえ。

「白線の内側にお下がりください」という言葉はイロハのイになる安全上の注意喚起用語ですが、電車を待っている人たちが白線の内側に下がり過ぎて逆に危ないという事象が発生するのが西枇杷島の駅(笑)。色んなところが常識に当てはまらないのが西枇杷島らしさと言えましょうか。
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