(カンナも乾く旱天に@上総中野駅)
さて、しつこいのは新型コロナばかりでなく、今年の梅雨もなかなかしつこく明けてくれません。7月上旬の九州豪雨が梅雨末期の典型的な豪雨かと思いきや、早くも7月も終わろうとしているのに毎日毎日曇天か雨ばかり。例年の猛暑と比べれば気温も上がらず 過ごしやすいですが、こうも雨続きだと朝っぱらからセミが喧しく鳴き、油照りするような日差しが焚き付けるように注ぐ日が恋しくなったりする。まあ暑くなったらなったで「暑いんだよッ!」って叫んでブチ切れるのでしょうが・・・という事で、去年の夏にお盆休みのおヒマ時にぶらりと訪れた小湊鐡道での一枚を。植込みのカンナも、強い晩夏の日差しに照らされて乾き気味。そーいやコロナ禍の中で小湊は只見線のキハ40を買ったなんてネタもありましたね。整備や諸条件あって本格稼働はまだ先のようですけど、仙台色そのまんまで動かしたらそれはそれでまた盛り上がるのだろうなあ。
さて、四連休ですが皆さんどこかにお出かけはされましたでしょうか。一人で暮らしていればどこへ行こうと一人の判断になりますけども、家族がいると旅行するにも外食するにも感染に対する家族内のリスク評価が一致せず、結局「じゃあ何もしない方がいいね」という結論になってしまう傾向はありますよね。そうなると、自己判断が基本線になるソーシャルディスタンスの取れてる生き方(家族を持たない、他人に干渉しない、モノに執着しない)はこの時代単純明快で強いような気がします。それじゃあ寂しいじゃないか、という人間は、人間の和と連帯と繋がりに乗っかって蔓延するウイルスに絡め取られるか、ウイルスの恐怖に猜疑心満載となってしまった人間に後ろ指を差されて社会的に死ぬか。なんにせよこの時代は極めて生きにくい。
生きていく中での持ち物が多ければ多いほど、失うリスクに晒されるのがこの時代。「持たざるが勝ち」と言うのが、異常気象と災害と疫病が蔓延し、人心が疲弊して攻撃的となる令和の御世の新たな処方箋なのかもしれません。何分にも身軽が一番という事なのでしょう。